アジアの次は世界と五輪の頂点へ 新たな歴史を刻んで見せる。 レスリング・吉田アラシ
(取材:2026年3⽉23⽇)
アジア王者になり、世界と戦える手応えをつかんだ
「高校では、いろんな決め事に縛られているところもありましたが、大学では自分の時間が増えて自由の幅が広がりました。強い先輩方も多くいて、レスリングの専門的なところを深く学ぶことができたと思います」
中でも対戦の際に重要な “組手” の進化が、その後の自身の成長につながったと話す。
「大学ごとにレスリングの特色がありますが、日大の場合は“組手”で、攻撃する前に相手を崩す手段に長けていると思っていました。僕も組手を重要視するレスリングスタイルなので、その点は上手くマッチしたと思います。高校時代も組手の強化は重点的にやってきたが、大学ではよりレベルの高い選手が多くいるので、自分の組手の強さをさらに高めていこうと思いました」
その取り組みは、すぐに結果に結びついた。「レスリングはポイントを取らないと勝てませんが、その前に組手を突き詰めることによって相手の体力を奪ったり、攻撃させないようにすることができ、試合でポイントを取られることが少なくなってきました」
大学1年時の全日本選手権は、フリースタイル92kg級決勝で東京2020五輪86kg級代表の高谷惣亮選手を相手に粘りを見せるも準優勝。だが、翌‘23年4月、自身初の国際大会出場となるカザフスタンでのアジア選手権では、92kg級で2度のテクニカルフォール勝ちを含む4試合を勝ち抜き、日本男子最年少19歳3ヶ月3日でアジア王者となる。さらに9月にはセルビア世界選手権にも初出場。世界レスリング連合が選ぶ若手注目選手の1人して5位入賞を果たした。
「アジア選手権で優勝して、自分のレスリングをしていて間違いはない、このままやっていけば勝つことができるんだっていう感覚と、自信を持てました」という吉田。世界の舞台を経験して感じたのは、外国人の選手のフィジカルの強さと、現地のレスリング熱の高さだった。
「日本の大会とは規模が違うし、競技の人気も高いので会場の雰囲気や歓声の大きさが違う。これまで感じたことがないくらい大きな歓声が湧くので、そこで圧倒されたり雰囲気に呑まれたりしないようにするのが大事です。また、基本的にルールは一緒なんですが、海外と日本では何かちょっと違うなっていうのもありました」
失意からの覚醒、そして歴史を塗り替えた
大会後には膝の故障を発症し、五輪イヤーの‘24年早々に手術に踏み切った。約1ヶ月後、復帰に合わせて、97kg級で戦う体づくりのために、東京2020五輪の女子レスリング金メダリストたちを指導したコンディショニングコーチに指導を仰ぎ、「筋力のバランス面などを高めてもらいました」。
しかし、その効果がパフォーマンスに反映されるには時間が足りなかった。4月のアジア予選は97kg級で出場する初の国際大会だったが準々決勝で敗退。ラストチャンスだった5月の世界最終予選も2回戦で敗れ、パリの夢は消えた。
「悔しい気持ちはあったけれど、それよりなぜかホッとしました」と、その時の心境を吐露した吉田。「そこまでくるとプレッシャーがすごかったです。ふだん以上に応援してくれる人が増えて、それはとてもありがたいことなんですが、プレッシャーも大きくなって、もう勝たなきゃ、勝たなきゃって…。だから、負けて悔しいよりも、『あ、終わったんだ』という気持ちでした。ただ、すぐに東日本学生リーグ戦が始まるし、インカレも控えているので、レスリング部や同期たちに迷惑を掛けたくないので、くよくよしていられないなと思いました」
ようやく体づくりの成果が出たのは、その年の12月の全日本選手権。「その頃にはどんどん筋肉がついてきて体重も96kgか97kgあった」と97kg級での初優勝を飾ると、翌’25年は本格的な飛躍の年になった。
2月に2つの国際大会で優勝すると、3月のアジア選手権も優勝。6月の明治杯全日本選抜選手権を危なげなく勝って世界選手権代表を決め、8月の全日本学生選手権も連覇を果たした。
迎えた9月の世界選手権(クロアチア)も、1・2回戦を順当に勝ち上がり、準々決勝ではパリ五輪銀メダリストを撃破したが、準決勝でリオ五輪金メダリストに敗れた。その試合でアバラ骨を骨折したものの、「痛かったけれど、試合はできるレベルだった」と翌日の3位決定戦に出場。格上のポーランドの選手に得点を許さず完勝して銅メダルを獲得し、五輪・世界選手権を通じ日本最重量級の世界メダリストとなった。それは、言われて久しい「日本の重量級は世界で勝てない」という定説を覆した瞬間でもあった。
「準々決勝でパリ2位に勝つというのが無意識に目的になっていたように思います。準決勝で負けて、しっかり3位を取りに行こうって気持ちを切り替えて臨んで、銅メダルを獲れたことはうれしいのですが、最終的には五輪優勝が目標なので、3位で満足せずにやっていこうという感じでした」
さらに、10月のU23世界選手権も、5試合を戦い、決勝を含む4試合でテクニカルスペリオリティ(10点差)という圧倒的な力を見せて優勝。すべてのカテゴリーでも日本男子歴代最重量での金メダル獲得だった。11月の全日本大学選手権、12月の全日本選手権も優勝した吉田は、この1年で海外・国内合わせ7大会でフリースタイル97kg級を制した。
世界レベルで戦っている吉田にとって国内大会で対戦する相手のレベルや格が国際大会と違うのは否めないが、「勝って当然と見られることにプレッシャーはあります。しかし、高校の時に“謙虚になる”ということを教え込まれてきたので、どんな相手であっても点数を取られない、負けないという気持ちで試合に臨み、しっかり地盤を固めて勝つようにしてきました」と、戦う時は常に全力で挑んでいる。
大学での学びと仲間との思い出
だが、コロナ禍で寮から実家に戻り、「量を食べさせられたというのもあったかも(笑)」と体重が増え、体力もついてくると2年生から3年生にかけてレスリングも一気に上達し、勝てるようになった。
「それまで何をしても相手に技が掛からなかったけれど、明確な課題が見つかるようになった。やることをやれば勝てるので、レスリングが楽しくなってきました」
そして日本大学へ進学。長兄アミン(2018年スポーツ科学部卒)、次兄ケイワン(2022年スポーツ科学部卒)が活躍する姿を見ていた四男アラシが、「競技に打ち込める時間が他の学部よりも長く取れるということだったので、スポーツ科学部に入りたいと思った」というのは必然だった。
スポーツ科学部での学びの中では、「スポーツ心理学」と「技術トレーニング論」の授業が印象に残っているという。
「棒高跳びの澤野(大地)先生が教えてくれた技術トレーニング論で、本格的な技術の学び方を教えていただきました。それまではトレーニングにしても、レスリングの指導者に言われたようにしかやってこなかったし、その目的を科学に基づいて説明を受けたことはなかったので、『なるほどな』と思うことがありました。また、先生の五輪での実体験を交えて話をしてくれ、『そういう考え方もあるんだな』と、初めて授業を受けた時は鮮な感じでしたね」
また、「友達は多くない」と言いながらも、スポーツ科学部に在籍しているアスリートたちの動向は気に掛けており、「世界の舞台で戦っている自分だけじゃない、みんな頑張っているんだっていうのは感じていました」。
一方、レスリング部での活動で思い出深いのは、新潟県十日町市での夏合宿だという。「学年ごとの大部屋で、布団を敷いて全員まとまって寝るんですが、寝る前にみんなと話をしたり、遊んだりした。レスリング以外のこともいろいろ話たりして、練習がきつかった反面、そういう時間がとても楽しかった」と、懐かしんだ吉田。さらに「海外遠征や代表合宿に参加して、しばらく大学に戻れない時に、みんなが楽しそうにやっている様子をSNSで見ると、ちょっと寂しかったです」と微笑んだ。
会社と日大の支えで、ロスの夢へ歩んでいく
この4月からは次兄のケイワンも所属する三恵海運に入社して社員アスリートとして活動していくが、その練習拠点は慣れ親しんだ日大レスリング部の道場。「日本大学の練習メニューに則ってやっていきます」と、弟のアリヤ(スポーツ科2・JWA/帝京)、妹のロヤ(スポーツ科2・安部学院)をはじめとする後輩たちとともに、ロス五輪を目指して切磋琢磨していく。
「学生の時は齊藤(将士)監督にいろいろ相談できて動きやすいところもありましたが、これからは、会社の監督やコーチと連携を取りながら、心機一転頑張っていく。しっかりした人格形成をして、社会人として恥ずかしくない行動をしていきたい」と、抱負を口にした吉田。レスリングの面では「自分は上半身への攻めが多いので、相手に下に入られた時の対応や防御をもっと強化していく必要がある」と、取り組むべき課題を挙げた。
そして最後に力強く決意を語った。
「次のアジア大会もしっかり優勝して、‘27年9月の世界選手権で五輪出場枠を取る。そこでの出場枠が1つ減ったので他の国々も全力で来ると思いますが、しっかり出場枠を取って五輪に向けて準備し、そのまま優勝って感じですね」
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4月10日(金)、中東のキルギスで開催された2026アジア選手権。三恵海運所属として出場した吉田は、準決勝でパリ五輪王者に攻め勝つと、翌日の決勝も昨年の世界選手権2位の選手を破り、見事にフリースタイル97kg級2連覇を達成した。
試合後の共同インタビューでは「意識はしていなかったけれど、連覇は自分がやったことなので、自信を持ちたい」と話し、「強い選手たちが対策をしてくるだろうし、今回より厳しい闘いになると思う。しっかりと心していきたい」と、今秋の世界選手権へ向けて気を引き締めていた。
‘28年ロス五輪金メダルへ、アジア王者が大きな一歩を踏み出した。
吉田アラシ(よしだ・あらし)
2004年生まれ。千葉県出身。花咲徳栄高卒。2026年3月、スポーツ科学部卒業。4月より三恵海運に所属。高校では‘21年にインターハイと全国高校グレコローマン選手権で優勝。’22年の日大進学後、国体と全日本大学選手権の97kg級で優勝して頭角を現し、’23年4月のアジア選手権92kg級で優勝して日本男子最年少のアジア王者となるが、同年の世界選手権は97kg級で5位に終わりパリ五輪出場が消滅。その後、正式に97kg級に転向すると、’24年の全日本選手権、’25年のアジア選手権ほかで優勝を重ね、2度目の世界選手権でも銅メダルを獲得。不振が続く日本重量級の期待の星として一躍脚光を浴びる。今年4月のアジア選手権も制し、92kg級優勝を含めればアジア選手権3大会連続の金メダル獲得を果たした。
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