学びと経験と感謝を力にして五輪の舞台で羽ばたきたい 飛込競技 金戸 凜

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飛込競技 金戸 凜選手 【日本大学】

祖父母、両親ともに飛込競技で五輪出場の経験を持ち、5つ上の姉と3つ上の兄もまた、日本大学水泳部に籍を置いて飛込競技で世界と戦ってきた。そうした家庭環境で育ち、兄の後を追うようにスポーツ科学部に進学した金戸凜選手(スポーツ科4・目黒日大)。度重なる怪我とともにあった大学4年間の足跡をたどると、経験してきた歓喜と挫折、出会い、家族愛など、そのすべてが人間的成長の糧となっていると感じられる。(取材:2026年3⽉23⽇)
2019年、高校1年で光州世界選手権に初出場。東京五輪2020の代表入りも見えていたが、10m高飛込の準決勝で右肩を負傷し敗退。小学1年生で競技を始めて以来、順風満帆だった競技人生に、怪我との戦いが加わった。
癖になった亜脱臼を頻発するようになり、「将来のために」とコーチでもある父に説得され、体への負担が少ない飛板飛込に専念することになったが、「当時はまだ体も出来ていなかったので、ジュニアの自分がシニアの中で戦えるのかと不安もあったし、高飛込なら世界でも戦っていける自信もあったので、どうしても納得できず、すごい悔しかった」。それでも「五輪に出られる可能性が少しでもあるならば飛板飛込で頑張ろう」と前を向き、「やると決めたからには全力でやろうという気持ちで挑んでいました」と振り返る。しかし、‘20年2月の国際大会派遣選考会でも3m飛板飛込で4位に終わり、祖父母・父母に続く親子3代での五輪出場は叶わず、失意の中で手術に踏み切った。

「自分の体を見直す時間が増えた」というリハビリを経て練習を再開し、体を作っていく中で飛板の技の難度と精度も上がっていった。翌年8月のインターハイで3m飛板飛込と10m高飛込の2冠を達成して復活を印象付けると、9月の全日本選手権では3m飛板飛込で東京五輪代表の三上紗也可選手に競り勝って初優勝を飾り、高飛込でも表彰台に立った。手術から1年半以上の時間が経っていた。

試合中は、目の前の1本に集中するため順位表示をあまり見ないという。「飛ぶ前は、大事なポイントだけ抑えて考えていますが、それよりも試合ならではの緊張感を味わいながら、結果よりも楽しく競技をしようという気持ちで挑んでいます」 【日本大学】

怪我を乗り越えるたび、強くなっていく

‘22年4月、姉・華と兄・快と同様に本学スポーツ科学部に進学。7月のブダペスト世界選手権は、個人種目では戦えなかったが、三上選手とペアを組み飛板飛込シンクロで準優勝、同種目で日本人初の銀メダルを獲得した。
「パートナーの三上選手は当時日本のトップだったので、そういう選手と合わせられるところまで戻って来れたことが自信になったし、銀メダルを獲って『飛板でも世界と戦えるんだ』っていうのをすごい実感しました」

しかし、それから2ヶ月後、再び試練が訪れる。初めてのインカレで高飛込優勝を飾り、「4連覇したい」と語っていたが、束の間のオフを過ごし「来年に向けてまた頑張ろう」と意気込んだ練習再開初日に、左膝の後十字靭帯断裂と半月板を損傷。すぐに手術となった。
「自分でも何が起こっているかわからない状態でした。悲しむより先に、本当に何が起きているのかわからない。膝を怪我したのも初めてだし、説明されてもどこが壊れたのかも全然わからないまま手術を受けて、すごい痛くって。それからは目まぐるしい日々を送ったという記憶しかないです」

怪我の影響で膝が曲がらなくなってしまった状況を改善するため、翌年1月に2回目の手術。そして再び、長く厳しいリハビリが始まった。
「リハビリしても次の日にはまた前の状態に戻ってしまうこともあって、なかなか前に進まないという印象が強かった」と、もどかしい日々が続く。心の支えになったのは、日大水泳部で出会った仲間たちだった。
「大学に入って初めて、自分を大切にしてくれるし、自分も大切にしたいと思える友達に出会えました。その友達が学校で待っていてくれる、自分の復帰をすごい楽しみにしてくれているということが、すごい支えになりました」

さらに、高校バレーを題材にした大好きなアニメのキャラクターの言葉に、気づかされたこともあった。
「その選手が『俺の強みは、ここにいる皆ほどバレーが好きじゃないこと』と言って、好きでいなきゃいけないと思っていた競技が実は好きじゃないことを自覚した時に、気持ちが楽になるというシーンがあるんです。私もいろいろ頑張ってきて、怪我をして辛い思いもして、でもこういう家に生まれてきたから頑張らないといけない、この競技が好きだから頑張りたいみたいな気持ちがあって、それが自分をちょっと苦しめていた。自分は本当にこの競技が好きなのかなって、すごい考えていた時期にこのアニメを見て、競技を好きでいるべきという思い込みが、自分の首を絞めていたんだと気づいて楽になったし、逆にもうちょっと頑張れそうだなって思いました」

入院中、兄の快選手が毎日、自演の動画を送ってくれたという。「一発芸みたいな笑いのある動画で、小さな幸せと言いますか、ちょっとした活力をもらっていました」と兄への感謝を語った。 【日本大学】

吹っ切れた金戸は驚異的な回復を見せ、9月の日本選手権で復帰。高飛込の接戦を制して初優勝し、翌’24年2月のドーハ世界選手権の出場権を獲得し、自らの手でパリ五輪2024への道を切り拓いた。しかし、惜しくも上位12人による決勝に進むことができず、またしても五輪切符を手にすることはできなかった。
「悔しさがあるのかなっていうくらい、すっからかんになっていましたね。予選の日に体調を崩してしまい、万全でない状態で準決勝に臨んで、普段ならしないようなミスが出た。不完全燃焼というか、本当ならもっとできたはずという思いがずっと残っています。上位との点差があまりなかっただけに、最後までやりきれなかった悔しさでいっぱいでした」

帰国後、「世界選手権の時から痛かった」という両膝を手術。7月に再受傷した右膝の半月盤は「手術はせずに温存してやっています」と言うが、3度目のインカレを回避した後の12月にも右肩腱板を損傷した。
「なっちゃったものはしょうがないし、今できることをやるしかないって、気持ちをシフトチェンジしました。リハビリって休みがないものですし、やればやるだけいいものなので、ひたすら頑張って周囲をびっくりさせてやろうと思って…。パリ五輪に自分は出ていないけれど、こんな選手がいるんだぞっていうのを見せてやろうと、そんな気持ちで頑張ってきました」

その思いは2025年に大きく花開いた。
3月、不死鳥のごとくプールに戻ってきた金戸は、世界選手権代表選考会を兼ねた翼ジャパンダイビングカップの高飛込で1年1カ月ぶりの実戦に挑み、2位以下に大差をつけて優勝。世界選手権の選考基準も突破し、完全復活への狼煙を上げた。
6月、「自分としては大事な試合でした」という国際大会復帰戦となるアメリカンカップでも優勝を飾り、7年ぶりに国際大会でのベストも更新して、世界選手権への弾みをつけた。
「私の場合、競技歴の割にはブランクの長い競技人生なので、国際大会での経験が周りと比べて劣っている。自分の演技を世界中の人に見てもらい評価されたいという気持ちがあったし、復帰したての自分が国際大会でどこまで行けるかを確認する機会でした。そこでとてもいい演技ができ、久しぶりの国際大会ベストだったので、初心に帰った感じで勝ててうれしかった。いろいろ考えながら競技をしていたけれど、実力が伴って結果が出てすごい楽しく、幸せだなって思えました」
その勢いは7月の世界選手権シンガポールでも続き、個人戦で自身初の決勝進出で10位、男女4人で戦う飛込混合団体で2種目を飛び同競技初の銅メダル獲得に貢献。1ヶ月後の日本選手権は高飛込の予選・決勝ともにトップを譲らず2年ぶり2度目の栄冠をつかむと、さらに9月、最後のインカレでも2年ぶり3回目の優勝を果たした。
「チームイベントは初めて出場でしたが、個人種目やシンクロとはまた違う緊張感があり、自分のやるべきことをやろうと思って試合に挑みました。その結果、トントン拍子でメダルが獲れちゃったので、驚きの方が大きかった。表彰台に立ってメダルをかけてもらった時に、込み上げてくるのがあって、『この瞬間のために競技を続けているんだな』っていう気持ちが大きかったですね。個人種目ではないけれど、この舞台に戻って来れたことが素直にうれしかったですね」

今年に入っても3月上旬にモントリオールで開催された飛込W杯に初参戦して8位入賞。
「予選の方がいいスコアで5位通過でき、ミスも最小限に抑えられたので、それを考えると、決勝はもうちょっとできたなっていうのが正直な気持ちです。世界大会のファイナリストはここ数年はほとんど顔ぶれが変わっていませんが、その中で自分がしっかり決勝に残る、決勝でも戦えるっていうのが分かりましたし、昨年の世界選手権10位から2つランクを上げられたっていうのは、ちょっとずつでも成長してるんじゃないかなと思います」

さらに、卒業式の6日前に行われた翼ジャパンダイビングカップも圧倒的な強さを見せて高飛込2連覇を飾り、9月に東京で開催されるアジア大会2026の代表にも選出された。
「国際大会に日本代表として出させていただいているので、国内大会では負けられないなという気持ちでした」と笑顔で話す金戸。自信と誇りを身につけて、その姿は一回り大きく見えた。

学生として臨む最後の大会、翼ジャパンダイビングカップで優勝した金戸選手の演技。怪我の痛みが残る中、決勝の最終5本目でも高得点をマークして有終の美を飾った。 【共同通信社】

日大の仲間たちが居場所を作ってくれた

怪我と向き合いながら、アスリートとして成長してきた4年間。金戸にとって日本大学と日本大学水泳部はどういうものだったかを尋ねると、心なしか雄弁になった。
「スポーツ科学部を選んだのは、姉と兄がいたということもありますが、大学に行くにしても競技を優先したかったので、その点でスポーツ科学部がいいなと思っていたし、授業で競技につながることも学べるのが魅力だなと思って選びました。1年生の頃は、遠征や入院であまり出席できませんでしたが、2年生以降は、遠征の時以外はキャンパスに通って授業を受けていました。遠征の時でも、課題をタブレットなどの端末で対応できることが多かったので助かりました。遠征中でもあまり周囲に遅れることなくやれたんじゃないかと思います」

そうした中で、競技に役立ったというのは心理学だという。「試合の時に精神面であまり良くない方に行ってしまったりとか、過緊張になってしまったりとか、そういうことがすごく多かったので、そういう緊張への対処法というか、自分がどういうふうにすればいい試合運びができるかというところで、スポーツ心理学の授業で学んだことが参考になりました。ゼミでもテーマとして取り上げましたが、緊張を緩和するための呼吸法というものがあって、それで自分がとてもリラックスできると感じられたので、試合前にもやるようにしています」

また、授業でのディスカッションの際に他競技の学生と話をすると、考え方の違いを知ることもできた。
「チームスポーツをやっている方とお話しすると、試合に対する向き合い方とか、自分の気持ちの持っていき方というのは、個人競技である私とはだいぶ違うなというのを感じました。個人競技でも、ウインタースポーツの方は私よりもっと気持ちが強いなと感じることが多いですし、競技のために全く学校に来ない人が、たまに学校に来て遠征の時の話をしているのを聞くと、違う場所で戦っている同学年の人がこんなにいるんだなと、刺激を受けました」

加えて「怪我のリハビリをする中で、自分の体の状態をちゃんと理解し、練習のスケジューリングとかも自分の体と相談しながら試合に向けてピーキングできるようになりました」と、臨機応変に対応できるようになった点が自身の成長だと話す。「昨日のベストが今日のベストとは違うので、今日の状態で今日のベストを出す。それを毎日続けていくという気持ちでやっていくスタイルが身についた思います」

大学4年間を振り返ると、「怪我も多かったし、正直苦しいことの多い学生生活でした」。だが、「大学の水泳部に入って、飛込競技じゃない選手や友達をはじめ、先生方やスタッフの方も応援してくださって、1人で戦っているんじゃないんだと実感できたし、個人競技でありながらも、チームとして戦うことの大切さを学びました」と、これまでにない経験、そして仲間と過ごす時間の楽しさも知った。
「オフの日に水泳部の同期で会ったり、みんなでディズニーランドに遊びに行くとか、そういうことを私は全くしてこなかったので、本当に楽しかった。競技は違うけれど、仲間に入れてくれ、自分の居場所を作ってくれたみんなにすごい感謝しています」

気の置けない同期たちと。左から曽根裟月マネージャー(スポーツ科4)、金戸選手、山﨑千瑶選手(文理4)、黒部藍心マネージャー(スポーツ科4) 【日本大学】

支えてくれる人たちが、自分の原動力

ロサンゼルス2028五輪まで、あと2年あまり。金戸の、そして家族の悲願でもある五輪出場に向けて、代表選考に直結するのは来夏のブタベスト世界選手権が当面の目標になる。
「最短でロス五輪につながる試合なので、そこで出場権が獲れたら一番いい。ただ自分は何があるか分からないので、怪我に気をつけつつ、臨機応変にしっかり経験を積んで、世界選手権までいい状態でいけたらいいなと思っています」

そのために重要だと考えているのは、意外にも精神面だと言う。「もちろん、各種目で精度をもっと上げたり、安定性を上げるというのも大切だと思いますが、ここ最近は、そうした技術面よりも、競技に対する心の持ち方や試合での精神面のコントロールの方にフォーカスしています」
それはまさにスポーツ心理学での学びの実践ということになる。「周りが気になる、点数や順位が気になるとか、そういう気持ちを押し殺して、どれだけ自分に集中できるか、どうしたら精神的に良い状態に持っていけるかっていうのを模索中です。経験不足なので、怪我をせずコンスタントに試合に出場してさまざまな経験を積み、自分に合った試合中の精神面のコントロール方法を探っていきたい」と目を輝かせる。

「語学の勉強が好き」という金戸選手。「海外の選手とコミュニケーションを取るために、今は英語と韓国語の勉強を頑張っています」 【日本大学】

卒業後は社員アスリートとして競技に取り組んでいくが、「学生アスリートとは違う責任が伴ってくると思いますが、その中でも自分を見失うことなく、競技としっかり向き合って楽しみながらやっていきたい。競技しかしてこなかったので、会社のことや社会のことなど、社会人として普通のこともこれからも勉強していきたい」と、抱負を語った金戸。改めて「飛込とは」と問うと、「15年くらいずっとやってきても、正直、自分にとって何なのか分かっていない」と笑いながらも「自分が帰ってくる場所みたいなものかなと思います」と白い歯を見せる。そしてもう一度、同じ言葉を口にした。
「怪我をたくさんしてきて一番感じるのは、一人で戦っているんじゃないんだっていうこと。本当にたくさんの方々の支えがあって、ここまで戻って来れたし、今でもたくさんの方に支えられています。そうした方々が私の原動力にもなっているので、感謝の気持ちは絶対に忘れたくない。そこを一番大切にしながら、目標に向かってチャレンジしていきます」

まさに“不屈”という言葉が似合う金戸。心の翼にもさらに磨きをかけて、ロサンゼルスへ向けて羽ばたいていく。

祖父母からは「怪我をせず、元気に競技をやってくれるのが一番」とずっと言われてきたという金戸選手。これまでコーチである父へ大きなプレゼントをしたことはないが、「いい結果を残すことが恩返しになる」と覚悟を見せる。それでも「社会人としての初任給で両親に何かプレゼントしたいですね」と微笑んだ。 【日本大学】

Profile

金戸 凜[かねと・りん]
2003年生まれ。東京都出身。目黒日大高卒。2026年3月、スポーツ科学部卒業。4月より東海東京フィナンシャル・ホールディングス(株)に入社。小学1年から競技を始め、すぐに頭角を現す。中学1年で日本室内選手権3m飛板飛込優勝。’18年・’19年は同選手権の高飛込で連覇を達成し、日本代表として世界選手権にも出場。’21年に世界選手権3m飛板シンクロで銀メダルを獲得。日大入学後は怪我と戦いながらも’22年の10m高飛込で日本選手権を制してドーハ世界選手権に出場したが、パリ五輪2024の出場権は逃す。‘25年に続き’26年の翼ジャパンダイビングカップも10m高飛込を連覇。
9月のアジア大会(名古屋)の代表に選出されている。
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著者プロフィール

日本大学は「日本大学競技スポーツ宣言」を競技部活動の根幹に据え,競技部に関わる者が行動規範を遵守し,活動を通じた人間形成の場を提供してきました。 今後も引き続き,日本オリンピック委員会を始めとする各中央競技団体と連携を図り,学生アスリートとともに本学の競技スポーツの発展に向けて積極的なコミュニケーションおよび情報共有,指導体制の見直しおよび向上を目的とした研修会の実施,学生の生活・健康・就学面のサポート強化,地域やスポーツ界等の社会への貢献を行っていきます

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