【スキー・モーグル】“遊びの延長”で世界のトップへ―平山将大、初W杯で掴んだ確かな手応え
1月16日・米国ニューハンプシャー州ウォータービルバレー大会。スーパーファイナルに進み、3位―自身初のW杯表彰台。 あと1段上の表彰台に立てば、五輪代表の可能性も見える状況での大躍進だった。
「めちゃくちゃうれしいけど、感情がぐちゃぐちゃだった」そう語る表情はどこか淡々としていた。だがその裏には、確かな手応えがあった。
「トップの選手はもちろん上手い。でも“自分も普通に戦える”と感じた。整えればもっと上に行ける」
五輪代表には届かなかったものの、この“手応え”こそが、平山が今シーズン大きく飛躍した理由と言える。
初W杯で掴んだ“世界との距離”
「W杯って世界のトップレベルの選手でも、もっとすごい戦いだと思ってたんです。60人全員が“怪物”みたいな。でも、意外と予選落ちすることも多いし、決勝までは普通に狙える、トップ10はサクッといける感覚があった」
海外勢の滑りを映像で見て「すごい」と思っていた空想と、実際に彼らと同じスタートに立つ現実。その状況に気負うことなく、いつも通りのメンタルで挑めたことが、初の表彰台を引き寄せた。
国内・アジアで示した安定感、世界で掴んだ“感覚”
「攻めるポイント、リスクをどこまで許容するか、世界のトップがどんなテンションで滑っているか…。実際に同じコースに立つと、映像ではわからないことが全部わかる」
特にスーパーファイナルでの経験は大きい。結果を恐れずに攻める姿勢、目まぐるしく変わる順位争いなど、“世界の基準”を肌で感じ取った。
「予選・決勝までは普通に戦える。あとは技を整えればトップにも届く」
国内で積み上げた安定感に、世界の“リアルな距離感”が重なった。この手応えが、4年後に五輪へ初出場するための大きな活力となっている。
「楽しくないならやらない」――独自の“遊びの哲学”
「楽しくないなら、やらない」
世界で戦うアスリートらしくないように聞こえるが、この言葉は平山の生き方そのものだと言える。2歳からスキーを始め、冬は家族とともにゲレンデで遊ぶのが日常。その“遊びの感覚”が、今も競技の中心にある。
シーズン中でもオフになれば、モーグル板を履かず、ただ広い山を自由に滑り、仲間たちと遊び、ただ純粋にスキーを楽しむ。結果に追われるほど、遊びの密度を上げる―そんな逆説的なアプローチが、彼の競技力を確実に高めている。
「モーグルのことをずっと考えすぎると、逆に良くない。遊びで気持ちを満たしているから、競技に向き合う時に余裕が生まれる」
自然の中で培った“感覚”を、彼は誰よりも信じている。
専属コーチをつけない理由―“自分で決める力”
「人から言われたことも、一度自分の中で噛み砕く。納得したものだけ採用する」
遊びの中で育てた“自分の感覚”を信じる姿勢と、コーチに頼らず決断していく“自立”を融合する。26歳になった今、平山の中で「自分らしい競技スタイル」として定着し、結果につながっている。
大学時代で得た“野性”と能動性
平山は「知識が増えたというより、人(動物)として強くなる感覚があった」と語る。雄大な自然の前では自分がどれだけ無力かを思い知る場面も多く、その経験が、アスリートとして必要な耐性と判断力が鍛えてくれたのだ。“必要なことは自分で動いて掴みにいく”―この能動性は、今の平山のスタイルそのものだ。
目標は五輪のメダル――力まず、自然体で
引退後も“指導者”の道は考えていない。「人が上手くなるかどうかはその人の問題。自分は滑り手でいたい」と、スキーと関わり続ける未来を柔軟に描いている。
後輩たちへ――「強くあれ。弱さは捨てていい」
「どんな方向でもいいから強くなること。自分の強みを知って、弱さは捨てる。必要なら取り込む」
強さは競技でも社会でもプラスしかない―その実感が込められていた。
平山 将大(ひらやま しょうた)
1999年3月27日生まれ。
兵庫県朝来市出身。
びわこ成蹊スポーツ大学を卒業後、PAPASU SKI CLUBに所属し、競技活動を行っている。
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