「一番“保守的”なのは後藤洋央紀。革命家を気取ってるだけ。後藤革命、俺には何にも響いてこないっすね」“新”IWGP世界ヘビー級王者・KONOSUKE TAKESHITAが次期挑戦者に辛辣発言!地方巡業、1.4東京ドームについても言及!!【10.14一夜明け会見】

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社】

10月14日(火)新日本プロレス事務所にて『KING OF PRO-WRESTLING 2025』一夜明け会見がおこなわれ、昨日、ザック・セイバーJr.選手に勝利し、IWGP世界ヘビー級王座初戴冠をはたしたKONOSUKE TAKESHITA選手が出席した。

撮影/中原義史

■IWGP世界ヘビー級王者・KONOSUKE TAKESHITA選手のコメント

【新日本プロレスリング株式会社】

「やっぱり一夜経つと“IWGPのベルトが俺の腰に来た”っていう、その実感が湧いてきて、感情として一番大きいのは喜び。

やっぱりそれは子供のころから数えるともう28年間プロレスを見て、新日本プロレスを最初に見て、28年見て、プロレスラーになって13年が経って、巡り巡ってIWGPのベルトが今自分のもとにあるっていう。コレはやっぱり竹下幸之介がこの世に誕生した宿命。プロレスラーになるために生まれてきたという宿命。それを自分自身、何よりも感じるし。

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そしてDDTでもAEWでも、チャンピオンを経験した人間としてベルトを獲った喜び、それをすぐに追い越そうと湧いてくる感情がプレッシャー。それはもちろん感じています。

これからさらにそのプレッシャーも大きくなってくるだろうし。でも、俺はそこに負けないから。IWGPのベルトを獲ったからにはTAKESHITAにしか見せられないIWGPの闘い、過去の数々のチャンピオン、名勝負を超えるということではなく、TAKESHITAのIWGPを作る。

それが、今俺がチャンピオンになった使命だと思っているんで。長いIWGPの歴史の中にもないような、プロレスの枠を超えるような、規格外の闘いっていうのをこのタイトルマッチを通して見せていくことを約束します」

■質疑応答

【新日本プロレスリング株式会社】

――11月2日(日)岐阜大会で後藤洋央紀選手とのIWGP世界ヘビー級選手権が決定しました。後藤選手、そして後藤革命に関してコメントをお願いします。

TAKESHITA「後藤洋央紀選手には去年の『G1』の公式戦で負けたという、その貸しはあるので、それを取り返すためにも、もちろん挑戦者としてふさわしいと思うし、このベルトをじつは巻いたこともあるから、それはふさわしいと思うし。

俺が昨日『残念やな』と思ったのは、後藤しか出てこなかったことやね。たぶん、いまのTAKESHITAとこのベルトを賭けて闘うって勇気がいるんですよ。その勇気を持つ者が一人しかいなかったということ。それが一つだけ残念だったこと。

で、後藤革命については、俺は何かまだプロレスで誰も成し遂げてないことをやりたい。それをずーっとこの13年やってきて、DDTでデビューし、アメリカに行って、そしていま新日本プロレスでIWGPを獲った。この異端なことをして、それはなんでかって言うと、プロレス界を変えたいから。プロレス界の常識を変えたいから、まだ誰もやったことのない道を通って来てるんです。

でも、後藤洋央紀はみんなよく考えてみて。ずーっと新日本プロレスにとどまりながら、もちろんそれは新日本プロレスへのプライド、矜持、そして新日本プロレスを守るという、それはよくわかる。でも、一番保守的なのは後藤洋央紀やから。革命家を気取ってるだけやから。

【新日本プロレスリング株式会社】

後藤革命?笑わせんじゃないよ。革命を起こすチャンス、いままで何度もあっただろ?それをやってこなかった人間が革命を語るんじゃないよ。俺はまだまだ革命家になってるなんて、自分自身は思わないけど、でもその革命を起こすぐらいのことを、これから未来見せていきたいから、いま頑張ってるんで。後藤革命、俺には何にも響いてこないっすね」
 
――あらためまして、ザック・セイバーJr.選手からIWGP世界ヘビー級王座を獲ったというのは?
 
TAKESHITA「こう世界でいろんな選手と試合して、ホントにトップたくさん試合してきて、その中でもこの1年2年闘ってきた中で、『あっ、ザックやっぱ一番強いな』って感じたのが『G1』の試合だったんですよ。やっぱり、このIWGPのベルトのチャンピオンっていうのが非常にボクの中で腑に落ちたというか、納得ができた。それがザック・セイバーJr.という対戦相手だったんです。
 
やっぱり、このIWGPっていうベルトに、いま自分は結果的に勝ってこのベルトを持ってますけど、初挑戦するならそういう相手が良かった。だから、そのザックがチャンピオンの時に挑戦ができたことも、ボク自身幸せを感じたし、ザックからこのベルトを獲れたということは、なによりもボクは嬉しかった。
 
だから、ザック・セイバーJr.から獲ったって、この意味は凄く大きいんです。だから、ボクはこのベルトを大切に、IWGPというその名前も背負いながら、でも新しいIWGPを創っていく。それはたぶんいま俺にしかできない。ザックから勝ったことはもちろん、ザックと自分自身が納得のいく試合で勝てたっていう、これはいまのTAKESHITAにとって大きな財産です」

――3団体所属の中で、IWGPを獲ったことで新日本プロレスの看板選手として新日本プロレスのシリーズ、地方巡業に出てほしいという声が凄く高まっている中で、次期シリーズ、来年以降のシリーズはどういう風に考えていらっしゃいますか?

【新日本プロレスリング株式会社】

TAKESHITA「ボクは前回も言った通り呼ばれたら来るから、だからボクはつねにそのスタンスで入るし、そこは3団体の交渉の場っていうのはきっとあるはずなので、『じゃあ、AEWの独占契約だから、アメリカでしか試合ができない』っていうこともないし、実際こそがちゃんと動けば、ボクが地方巡業に参加することも可能だとは思います。
 
ただ、ただよ、キング・オブ・プロレスリングじゃない?ボクはそのキング・オブ・プロレスリングを名乗るからには、もちろん日本の隅々まで回れる。それもいいでしょう。でも、世界の隅々まで回るっていうのは、これは大事やと思ってるから。IWGPチャンピオンが、『G1』覇者が地方巡業に出ないっていう、地方巡業に逆に出れたとしても世界中の人にこのベルトの価値を見せることができる選手っていうのも逆にほかにいないんですよ。

ボクがチャンピオンの間は、それをボクはしないといけない。そこに勝ちがあるから。そこにボクがチャンピオンになった意味があるから。人ができないことをする。人ができることは人にやってもらう。それがボクの考えですね。だから、このベルトを持って飛行機に乗って世界中を回りますよ。逆にこのベルトを見たいけど、見れない人たちは世界中にいるわけやから、日本だけじゃなくて。そういう人たちにも見せますよ、ボクはね。それはボクにしかできないからね」

――昨日の両国大会後、一部でブーイングもありましたが、そういうファンに対してはどんな景色を見せていきたいですか?

【新日本プロレスリング株式会社】


TAKESHITA「ボク忙しいんで、賛否の否に、否定の方に構う時間ないんですよ。これは申し訳ないけど。だったら、自分に賛同してくれる人の方が、昨日の会場の盛り上がりだと多いとボクは思いました。だったら、その人たちを幸せにすることに使う時間しか、いまボクないんですね。
 
ブーイングをする人のブーイングをなくす。ブーイングをむしろ声援に変える。そこまでの時間はいまないです。だから、ボクはマイクで言った通り、聞きましたよね?ブーイングか言ってたらブーって。それとも声援を送るのかって声援をする人が多かったですよね。

だったら、俺がいまできることは、その時に声援を送ってくれた人、お前たちを絶対に裏切らないから。いま日本に限られた時間で来てる中、その時間しかないんですよ、いまのボクは」

――次の岐阜大会でタイトルを防衛すると、東京ドームも見えてくると思います。現時点でその部分はどれぐらい意識されていますか?

【新日本プロレスリング株式会社】

TAKESHITA「やっぱり、年間の日本最大のプロレスの興行が1.4東京ドーム。これはもう間違いないことで、そこにチャンピオンとして、IWGPの王者として立つ。これって日本プロレスからにデビューした時から、誰しもが最大の目標に一度は必ず誰しもが想い、願うことだと思うんですよ。
 
で、その夢を敗れ去る人もいれば、違う夢を見つける人もいるかもしれない。でも、誰しもが夢が叶うならそれをしたいと。その景色がもうすぐ目の前まで来てる。だから、コメントでも言った通り、このベルトを昨日獲ったから、俺は1.4東京ドームにこのベルトを持って行くっていうのは言いたくなかった、このベルトの重みをわかってるから。そんな簡単じゃないことってわかってるから。

だから、1試合でも2試合でもいいから防衛をして、しっかりIWGP王者として防衛をして、1.4東京ドームに立ちたいという気持ちが芽生えました。だから、べつに1.4もし闘うなら誰と闘いたいとか、そんなのはまだ何にも思い描いてないです。

まずはこのベルトを巻いたこともある後藤洋央紀と試合をして、防衛し、もちろんチャンスがあれば、日本でもアメリカでも世界中どこでもこのベルトの防衛戦のチャンスがあるならして、そのうえで1.4東京ドームに立ちたいなと思ってますね」
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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