<日本開催PGAツアー>決め手は松山の快諾だった。比嘉一貴がサーバーダウンの間に大会記録28 ⇒9位に浮上
日米共催「Baycurrent Classic Presented by LEXUS(ベイカレント・クラシック・プレゼンテッド・バイ・レクサス)」
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大会のあまりの注目度もあってか午前中の通信障害で、PGAツアーのネット速報がダウンした。
その間に、22年JGTO賞金王の比嘉一貴(ひが・かずき)が爆走していた。
スタートの1番で、3メートル弱のチャンスを決めると、2番、3番では5メートルと4メートルも沈めた。
サーバーダウンはその直後だったが、快進撃はその後も着々と続いた。
4番で1メートルにくっつけると、5番では左手前から13ヤードをチップイン。6番ではまた1メートルにくっついた。
自身初の6連続バーディを決め、さらに8番、9番で3メートルと5メートルも逃さず、大会およびJGTOツアー記録タイのハーフ「28」を記録し、自身のベストスコアも1打、更新。
日本開催のPGAツアーは「1年1回の大事な試合。そういうところで人生初の経験ができたのは凄いラッキーだったなと思います。凄く楽しかった」と、すがすがしい笑みがこぼれた。
最後18番も、左の手前の刈り込みから、右の奥の傾斜を使って巧みに寄せ、ピン奥1メートルに寄せたパーパットもがっちりしのいだ。
183センチのシュミット(ドイツ)と、193センチのフィッシュバーン(米)に挟まれながら、首位に急浮上したグレイサーマン(米)や、2位のシャウフェレらと並ぶ7アンダーの「63」をマーク。
通算6アンダーの9位に浮上し、身長158センチの小さな巨人がひときわ大きく見えた。
9月だけで言うと「フジサンケイクラシック」の山梨から「Shinhan Donghae Open」で韓国に飛び、次週の台湾「ヤンダーTPC」で2週連続Vを達成したあと、いったん帰国してから先週はインドネシアへ。
「僕の今のメインは日本とアジア」と、ハイペースで行き来し、隣の神田キャディも目に見えて「疲れているな、と感じる」と、気遣うほど。
日本開催のPGAツアーの出場資格を確実なものにはできても、当初は夏場以降の超・強行軍に、「スキップさせていただこうか」と、かすめた時もあったが、出場の決め手になったのは、大学先輩の松山英樹とのラインのやりとり。
「練習ラウンド入れてください」と、願い出ると「オッケー」と快諾が届いた。
「それで出ようと決めました」と、今週火曜日8時のスタートをとりつけ、先週のジャカルタから急いで戻ってきたのに、いざ当日は、諸事情により、松山はすでにスタートした後だった。
「一緒に回れると思ったから来たのに先に行っちゃってたんです。ショック…。選手ラウンジで時間をつぶしていた僕が悪いんですけど」。
先輩との至福の時間は次回にお預けだが、「試合を選んで出られるうちが華。プレーできてるだけ幸せ」と、次週は日光の「日本オープン」に出たあと、次々週はまたフィリピンに飛ぶ。
「連戦の飛行機代ぐらいは稼いで帰ろうかな?」。
日本開催のPGAツアーでJGTOの歴代賞金王は屈託なかった。
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