東日本大震災復興支援「サンライズキャンプ」15年で18回目 大阪体育大学生が福島で高齢者の体力測定、子どもと交流 「体育大学だからこそできる支援」
※リンク先は外部サイトの場合があります
大阪体育大学社会貢献センターが主催し、今年は応募があった学生16名と、第1回から参加しているスポーツ科学部・池島明子教授(レクリエーション、健康づくり)、中山健教授(スポーツ社会学)ら教職員4名の計20名が参加した。
サッカー部・池田翔さん 「地元に帰り復興の先頭に立つ先生に」
池田さんは6歳の時、被災した。家は倒壊こそしなかったが、中はぐちゃぐちゃになり、原発事故のため避難を命じられ、福島市の親せき宅に一家で約1年間住んだ。福島市内の小学校に入学し、いじめにあった。「みんな、原発のことを知っていた」。「7歳、8歳のぼくにはきつかった」と振り返るほど苦しんだ。唯一救ってくれたのが体育の先生。自分に寄り添ってくれ、それで救われたという。1年後、避難指示が解除されて南相馬市に戻り、仮設の小学校へ。2年生になって本来の地元の校舎に通うことができたという。
サンライズキャンプでは、初日、津波にのまれて九死に一生を得た今野由喜さんの話を聴いた。今野さんは車ごと津波にのまれた時のことを、学生たちに「私は死を経験した」と表現した。また、生き残った後も食料やガソリンが手に入らず、生きていくために必死だったと語った。池田さんは「今野さんの体験談は、生きるために必死だった自分たちの経験と合致した」と振り返る。
サンライズキャンプでは、学生たちが高齢者や子どもとの交流プログラムの準備を整えて臨んだ。子どもとドッジボールで交流するプログラムの班長役の学生は、前夜午前2時ごろまで指導案を練ったという。池田さんは自分の担当だったサッカー交流は都合で中止になったが、各プログラムで元気よく参加者を盛り上げる役を担った。
池田さんは福島に戻って保健体育の先生になるのが夢だ。ゼミの中尾豊喜教授(学校教育学)から「先生になるなら、ボランティアを通じて地元のことをよく知った方がいい」と助言された。「福島と言うと、周囲から津波や震災、原発事故のことを言われるが、そのイメージをスポーツの力で変えたい。福島はサッカー、スポーツが盛んな県と言われるように。教員になったらキャンプの経験を活かして、福島の復興に尽くしたい」と力を込めた。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ