カマモトよ永遠なれ~昭和のオヤジが記す釜本邦茂メモリアル~
【これはnoteに投稿されたKJソリューションズさんによる記事です。】
カマモトとの出会い サッカーとの出会い
カマモトという名前を知ったのは4歳か5歳頃。メキシコ五輪の後だったと思う。
明治生まれの祖父から、地元、嵯峨太秦地区が生んだ英雄としてその名前を聞かされた。
そして、それがサッカーとの出会いでもあった。
祖父は京都師範学校のア式蹴球部員。日本サッカー黎明期のフルバックだった。
「生のカマモト」を見たのは中学生の頃。
日本リーグ、ヤンマー対日立。西京極のサッカー場。
試合はたしか1対3でヤンマーの負け。
タイムアップ後、ピッチに飛び降りてサインを貰いに走った。
(そんなロクでもないことが当時は普通にできた)
「カマモトさん サインしてください」
「ハイハイハイ・・・」
振り払われてサインは貰えなかった。
「負けたさかい、怒っとんねん」
代わりに日立の日本代表DF、横谷さんがサインしてくれた。
彼も京都出身。
高校に入ると、サッカー部の顧問はカマモトと縁浅からぬ人物だった。
彼が高校時代、国体選抜のCFのポジションをカマモトに奪われたと。
彼からはカマモトの「伝説」をさんざん聞かされた。
曰く
明治生まれの祖父から、地元、嵯峨太秦地区が生んだ英雄としてその名前を聞かされた。
そして、それがサッカーとの出会いでもあった。
祖父は京都師範学校のア式蹴球部員。日本サッカー黎明期のフルバックだった。
「生のカマモト」を見たのは中学生の頃。
日本リーグ、ヤンマー対日立。西京極のサッカー場。
試合はたしか1対3でヤンマーの負け。
タイムアップ後、ピッチに飛び降りてサインを貰いに走った。
(そんなロクでもないことが当時は普通にできた)
「カマモトさん サインしてください」
「ハイハイハイ・・・」
振り払われてサインは貰えなかった。
「負けたさかい、怒っとんねん」
代わりに日立の日本代表DF、横谷さんがサインしてくれた。
彼も京都出身。
高校に入ると、サッカー部の顧問はカマモトと縁浅からぬ人物だった。
彼が高校時代、国体選抜のCFのポジションをカマモトに奪われたと。
彼からはカマモトの「伝説」をさんざん聞かされた。
曰く
「カマモトのシュートがクロスバーに当たったら、ボールが破裂した」
「カマモトのシュートを止めたGKの腕の骨がボールの勢いで折れた」
等々
高校時代も日本リーグを見に行った。
ガラガラのゴール裏で試合前の練習を見ていると、カマモトのあの立派な大腿二頭筋が躍動して見事なシュートが飛んでくる。
力の抜けたコンパクトなフォームで、膝から下のスウィングの速さが印象的だった。
大学に入ると、京都から離れたこともあって、カマモトとは少しご無沙汰になる。
カマモトも選手として晩年を迎えていた。
それでも引退試合は国立競技場まで見に行った。
何故かペレとオベラーツが助っ人に来ていて、オベラーツのパスセンスにヤンマーの選手がついていけなかったシーンの方を、カマモトのプレーよりもよく覚えている。
「カマモトのシュートを止めたGKの腕の骨がボールの勢いで折れた」
等々
高校時代も日本リーグを見に行った。
ガラガラのゴール裏で試合前の練習を見ていると、カマモトのあの立派な大腿二頭筋が躍動して見事なシュートが飛んでくる。
力の抜けたコンパクトなフォームで、膝から下のスウィングの速さが印象的だった。
大学に入ると、京都から離れたこともあって、カマモトとは少しご無沙汰になる。
カマモトも選手として晩年を迎えていた。
それでも引退試合は国立競技場まで見に行った。
何故かペレとオベラーツが助っ人に来ていて、オベラーツのパスセンスにヤンマーの選手がついていけなかったシーンの方を、カマモトのプレーよりもよく覚えている。
選手としてのカマモト
選手としてのカマモトは、
驚異的な身体能力(速い・強い・デカい・しなやか)
派手さはないが確かな技術(止める・蹴る・運ぶ)
そして自らの強みを巧みに活かすクレバーさ
この全てを兼ね備え、
且つゴールに向かう類い稀なる貪欲さ、エゴイズムがそれらを支えていた。
右足からは文字通りのキャノンシュートが放たれ、その右足シュートをオトリにして切り返しての左足シュート。
ヘディングシュートには打点の高さ/滞空時間の長さを生かしたパターンと、後方から爆発的な勢いで飛び込んでくるパターンの2つがあった。
これらの得意技をより良い条件で発揮できるよう、相手DFの視野から「消える」動きが上手かった。
しかも消えて裏で受けるだけでなく、一旦消えておいて突如視野外から鼻先に飛び込んできて、強靭な体でDFを撥ね飛ばしてシュートを決めてしまう。
フィジカルと技術を活かす頭脳。
こうしたプレーをピッチ上で(特にアタッキングサードで)表現できる日本人選手は、カマモトの前はもちろん、その後、現在に至るまで、未だ現れていないと言って良い。
現在ではYouTubeなどで多くの動画を見ることができる。ホントかウソか、ご自分の目で確かめていただきたい。
晩年のカマモトは運動量も少なくなり、前線に突っ立って「交通整理」と揶揄されたりした。
引退後は、
派手さはないが確かな技術(止める・蹴る・運ぶ)
そして自らの強みを巧みに活かすクレバーさ
この全てを兼ね備え、
且つゴールに向かう類い稀なる貪欲さ、エゴイズムがそれらを支えていた。
右足からは文字通りのキャノンシュートが放たれ、その右足シュートをオトリにして切り返しての左足シュート。
ヘディングシュートには打点の高さ/滞空時間の長さを生かしたパターンと、後方から爆発的な勢いで飛び込んでくるパターンの2つがあった。
これらの得意技をより良い条件で発揮できるよう、相手DFの視野から「消える」動きが上手かった。
しかも消えて裏で受けるだけでなく、一旦消えておいて突如視野外から鼻先に飛び込んできて、強靭な体でDFを撥ね飛ばしてシュートを決めてしまう。
フィジカルと技術を活かす頭脳。
こうしたプレーをピッチ上で(特にアタッキングサードで)表現できる日本人選手は、カマモトの前はもちろん、その後、現在に至るまで、未だ現れていないと言って良い。
現在ではYouTubeなどで多くの動画を見ることができる。ホントかウソか、ご自分の目で確かめていただきたい。
晩年のカマモトは運動量も少なくなり、前線に突っ立って「交通整理」と揶揄されたりした。
引退後は、
「最近のフォワードは動き回り過ぎ。そんなに守備にエネルギーを使ったら、肝心の時(得点機)に力を発揮できない。前線に残っていれば相手はマークを残さなければならない。それで十分守備の役に立っている」
と言っていた。
おっしゃる通り、と言えなくもないが、モダンな発想とは言えない。
監督としても「ちゃんと蹴れ!当たれ!」しか言わない、などと批判された。
その評価が妥当なのかどうかはわからないが、ガンバ大阪の監督を務めた後は監督をやっていないのも事実。
全体を見てバランスを取る感覚はなかったのかもしれない。
ただ、そうしたアクの強さも含めて「客の呼べる」キャラクターだった。(マラドーナと同じ)
と言っていた。
おっしゃる通り、と言えなくもないが、モダンな発想とは言えない。
監督としても「ちゃんと蹴れ!当たれ!」しか言わない、などと批判された。
その評価が妥当なのかどうかはわからないが、ガンバ大阪の監督を務めた後は監督をやっていないのも事実。
全体を見てバランスを取る感覚はなかったのかもしれない。
ただ、そうしたアクの強さも含めて「客の呼べる」キャラクターだった。(マラドーナと同じ)
さいごに
山城高校でカマモトを育てた森貞男
日本代表でカマモトを育てたデットマール・クラマー
クラマーからカマモトを預り、ドイツ留学でひと回りスケールアップさせたユップ・デアバル
カマモトの才能を早くから見抜き、ジャーナリストの枠組を越えてプロモーションに奔走した賀川浩
贔屓の杉山隆一の敵役、悪役の「K青年」としてカマモトを描いた望月三起也
カマモトを育てた指導者やジャーナリスト(&漫画家)の多くは既に鬼籍に入っている。
今ごろは
「ガマ、よう来たな」
と皆で囲んでいるに違いない。
合掌。
日本代表でカマモトを育てたデットマール・クラマー
クラマーからカマモトを預り、ドイツ留学でひと回りスケールアップさせたユップ・デアバル
カマモトの才能を早くから見抜き、ジャーナリストの枠組を越えてプロモーションに奔走した賀川浩
贔屓の杉山隆一の敵役、悪役の「K青年」としてカマモトを描いた望月三起也
カマモトを育てた指導者やジャーナリスト(&漫画家)の多くは既に鬼籍に入っている。
今ごろは
「ガマ、よう来たな」
と皆で囲んでいるに違いない。
合掌。
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