博多祇園山笠が映すスポーツマンシップ 受け継いだ日本の心が源流
夏空が明けそめる7月15日未明、博多の総鎮守・櫛田神社の桟敷席に、東京から来た友人の顔がありました。
博多の夏祭り「博多祇園山笠」のクライマックス「追い山」を見に来た彼は、少年野球を通じて人間教育に力を注ぐ熱血漢。
祭りに参加する老若の統率力が際立つ、博多祇園山笠のフィナーレを今や遅しと待ち構えていました。
博多祇園山笠は鎌倉時代に始まったと伝わる櫛田神社の祭りです。
重さ約1トンの山車(「山笠」)を26~28人の男たちが交代しながら担いで、沿道の水を浴びて勇壮に街を駆け抜けます。
山笠の数は7、博多の7つの地域(「7流(ながれ)」)がそれぞれに仕立てます。
祭りの最後を飾る追い山は、櫛田神社の境内に立てた旗を山笠が1周して速さを競い、そのまま境内を飛び出して、市街を巡るコースでもタイムを競います。
短距離と長距離での速さ比べで、それぞれの山笠は5分おきにスタートし、前の山笠を追うので「追い山」と言います。
境内の旗を回る走路は118メートル。
今年最も速かった山笠のタイムは29秒96で、他の山笠は31~39秒台でした。市街のコースは全長約5キロ。
最速の山笠は29分18秒だったので、時速にすると自転車並みの約10キロです。
1トンの山笠を担いで走るのですから、担ぎ手(舁(か)き手)たちは日ごろの鍛錬が欠かせません。
追い山はまさにタイムレースで、スポーツの要素を取り入れたお祭りです。
どの山笠も1秒でも早く走らせようと、チームワークを発揮しながら激走します。
ただ、スポーツの大会と違うところは表彰式がなく、優勝杯や賞状なども一切ないことです。
なぜかと言うと、山笠は櫛田神社に奉納する神事だからです。
危険を伴うので、けが人を出さずに無事に山笠を奉納することが本来の姿であり、タイムを競い合うことが目的ではないからです。
追い山には幼児からお年寄りまで、流によって約800人~1200人が参加します。
大半は山笠に触れることも、近寄ることもできません。
それでも、山笠と一緒に掛け声を合わせて走ります。
山笠には舁き手はもちろん、子どもやお年寄りにもそれぞれに役割があるのです。
言い換えれば、祭りに「補欠」は一人もいません。
山笠だけではなく、伝統のお祭りには参加者それぞれに役割があるからこそ長く続いているのだと思います。
追い山のタイムでトップになっても決して自慢はせず、遅い山笠を見下すような言動をすると、厳しく叱られます。
「参加することに意義がある」というオリンピックの精神にも似たところがあります。
昔は舁き手だった私も還暦を過ぎて、追い山では既に“戦力外”ですが、今年も山笠の風を背に市街を駆けました。
ゴールした時の充実感や爽快感は昔と少しも変わりません。
参加した山笠のタイムは振るいませんでしたが、残念なのはその一瞬だけで今年も参加できた喜びの方がはるかに勝りました。
追い山を終えた後はそれぞれの町に帰って直会(なおらい=お祭りの後にお神酒や料理を頂く宴)をします。
その時、野球で言えばレギュラーメンバーの舁き手たちは、かつてレギュラーだった私たちを手厚くもてなし、未来の舁き手の子どもたちにジュースやお菓子をたくさん振る舞います。
山笠を担がせてもらった舁き手たちの感謝の気持ちが伝わってきます。
野球をはじめとするスポーツは明治時代に欧米から日本に伝わりました。
その中で大切にされるスポーツマンとしての相手への思いやりや礼儀などは決して“輸入品”ではなく、日本の祭りなど我が国の伝統や慣習の中にその源流があるのです。
それらを大切にして伝え続けることは、私たちの努めでもあると思います。
追い山を見終えた友人が感激した様子で、私たちの直会に顔を見せてくれました。
にぎわう宴での舁き手たちの振る舞いや行儀よく食事をする子どもたちの姿を見て、この原稿を頼まれました。
「日本人が郷土で受け継いできた心を大切にして、次世代の子どもたちに伝えてほしい」。
言葉にせずとも、その顔が雄弁に物語っていました。
手嶋 秀剛 (てしま・ひでたけ)
パナソニックの創業者松下幸之助氏が設立した、公益財団法人・松下政経塾の塾員(OB)。
元西日本新聞社記者、編集委員。
ボーイズリーグの東都クラブ京葉ボーイズの勝本俊朗球団代表とは早稲田大学の卒業生同士で、20年ほど前から親交がある。
福岡市博多区で生まれ、博多祇園山笠に幼少期から参加している。64歳。
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