青い炎は静かに熱く、その灯は消えてはない

静岡ブルーレヴズ
チーム・協会

身をもって知った一発勝負の難しさ

2024-25シーズン、ブルーレヴズの冒険が終わった。

コベルコ神戸スティーラーズは、覚悟していた以上に強かった。
レヴズは諦めずに反撃し続けた。

PGで3点を先行されれば9分、チャールズ・ピウタウからのリターンパスでマロ・ツイタマが抜け、クロスして後ろから走り込んだテファレにつなぐ鮮やかなトライでリードを奪った。

後半、14点差にリードを広げられれば、ヴェティ・トゥポウのジャッカル-ショーン・ヴェーテーのピックから始まったカウンターアタックで山口 楓斗-マロ・ツイタマ-チャールズ・ピウタウと鮮やかなパスをつなぎ、北村 瞬太郎が今季15本目のトライを決めて追いすがった。17分にはサム・グリーンのPGで4点差に迫った。

だが届かなかった。

ラスト10分にセットプレーでミスが続き、点差を広げられ、焦りからかハンドリングミス、孤立してのペナルティーが続いてしまった。

優勝への道は準々決勝で途絶えた 【Photo by SHIZUOKA Bluerevs/Yuuri Tanimoto】

「最後は攻め急いでしまったところがありました」
と藤井雄一郎監督は唇を噛んだ。

誤算の始まりは前半のスクラムだった。

スクラムはレヴズの最大の武器だ。それは誰もが知っている。

だからといって、神戸も簡単に引き下がるわけにはいかない。
その象徴が神戸の背番号3、ピッチに立つ両チームの中で最年長の39歳、山下 裕史選手だった。トップリーグ時代からの通算出場は歴代最多の196という猛者が、前節の「前哨戦」で敗れた悔しさを胸に、試合の最初のスクラムからレヴズのフロントローに立ち向かってきた。

「今日はこの1週間の(準備の)答え合わせ。スクラムで勝てて、正解を出せたかなと思います」

借りは返せましたね? 試合にも勝てたし……そう聞かれると、山下選手は、「いえ、僕は試合はどうでもいい。僕の仕事はスクラムなんで」と笑った。

歴戦のタイトヘッドは、いかにもスクラム職人らしい、会心のコメントを発した。

同じ対戦でも、その駆け引きは常に変わっていく 【Photo by SHIZUOKA Bluerevs/Yuuri Tanimoto】

おそらくは、レヴズが勝っていれば、レヴズのフロントローたちが同じような言葉を発していたんだろう…そう思って聞いていたら、山下選手は自分から言ってくれた。

「ラグビーって良いな。ヒリヒリしてきますもんね。今日も、試合前はキツかった。先週はやられたし、レヴズはイケイケで来るだろうし。僕も今日“答え合わせ”をして勝ったからこうして余裕ありげにしゃべってるけど、逆だったらレヴズの選手が同じようにしゃべってたんだろうし」

言葉の端々に、命がけで戦った相手へのリスペクトがにじんでいた。
山下選手が言うように神戸はこの日、スクラム戦に完勝した。それは神戸から見れば準備した通りの結果(山下語で言う『答え合わせが正解だった』)だったろうけれど、山下選手はそれを誇らなかった。

どこか「勝負は時の運だから」という達観のようなものを感じる。

それはレヴズ藤井監督の言葉にもあった。

「スクラムは崩れたら、どっちの責任かはレフェリーに任せるしかない。それが向こうへ行ったのが多かった。誤算といえば誤算だけど、それがラグビーなので」

試合終了後の藤井雄一郎監督 【Photo by SHIZUOKA Bluerevs/Yuuri Tanimoto】

負けたのは悔しい。

だけど、努力しているのは自分たちだけではない。
厳しい鍛錬を重ね、試合ごとに準備を重ね、上手くいったりいかなかったりのアップデートを重ね、力をつけてここまでたどり着いた者同士の戦い。

だから、悔しい結果でも受け入れられる。
勝った側もおおげさに誇らない。

それがプレーオフという舞台なのだろう。

花園にも響いた"青援"

嬉しかったのは、そんなプレーオフという舞台で、多くのレヴニスタがいっしょに戦ってくれたことだ。

この日、花園ラグビー場は熱かった。

静岡からは3台の応援バスが西へひた走った。
新幹線や近鉄特急、いろいろな道のりで、青いレプリカジャージーや歴代のさまざまなレヴシャツを着込んだレヴニスタが駆けつけた。花園のメインスタンドから。バックスタンドから。「GO!GO!REVS!」の叫び声が沸き上がり、メインスタンドの鉄傘にこだました。

ホームスタジアムのような音楽を使った盛り上げや大型ビジョンでの呼びかけはない。特別なコールリーダーもいない。それでも花園に駆けつけたレヴニスタたちは、地声によるアカペラ伴奏で「シ・ズ・オ・カ!」と叫び、「GO!GO!REVS!」と叫び続け、「イケイケコーベ!」の応援を飲み込んでしまった。

そのうねりのような声の渦は、応援という言葉では表現しきれない熱を発していた。

文字通り”共に”戦った 【Photo by SHIZUOKA Bluerevs/Yuuri Tanimoto】

「僕らが思っていた以上にたくさんの皆様が応援にきてくださいました。場所はアウェーでしたが、気持ちはホームでやっている感覚でした」と藤井雄一郎監督は振り返った。

クワッガ・スミス主将は言った。

「レヴズのファンの皆さんは本当にグレーテストです。今日だけでなく、シーズンを通じてスペシャルな応援をしてくれたことに本当に感謝しています。本当はきょう勝って、あと2試合、応援に来てもらいたかったけど、それがかなわなくて残念です。

だけど、この静岡ブルーレヴズというカルチャーは、いまファンの皆さまと一緒に作っているところなのだと思っています。ファンの皆さまの応援に深く感謝しています」

涙が乾いた後には

敗戦は悔しい。
ノーサイドのあと、北村 瞬太郎は人目を憚らず涙を流した。
百戦錬磨の日野 剛志も泣いていた。

だがロッカールームで涙を流し終え、ミックスゾーンに現れた戦士たちは皆、気持ちを切り替えていた。

「リーグ戦では神戸に2度勝てたけど、一発勝負では勝てなかった。でもこれも伸びしろ。来年はここで勝てるチームを作りたい」と大戸 裕矢。

涙が乾いた後の視線はもう前を見ている 【Photo by SHIZUOKA Bluerevs/Yuuri Tanimoto】

「ファイナルラグビーを戦うことは本当にワクワクした。今日は雨の影響もあって15人でボールを動かすのは難しかったけれど、グレートなシーズンを送ることができた。チャンピオンに2度勝ってもここで負けたら意味はないけれど、大勢の若い選手がここを経験できた価値は大きい」とマリー・ダグラスも言った。

ダグラスが言った若手の一人、北村 瞬太郎は、若手らしくダイレクトな言葉で試合を振り返った。

「悔しかった。80分の打ちあいで負けた感じ。SHとしても僕より日和佐さんが上だった。何もできなかった。来シーズンは負けたくない。リーグワンで一番のSHになれるように成長して戻ってきたい」

プレーオフでの悔しさは、プレーオフでしか返せない。

1年後へ。
静岡ブルーレヴズの頂点を目指す冒険、新章は、もう始まっている。

冒険はまだ続く 【Photo by SHIZUOKA Bluerevs/Yuuri Tanimoto】

(大友信彦|静岡ブルーレヴズ公式ライター)
大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。
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著者プロフィール

JAPAN RUGBY LEAGUE ONEに参戦している静岡ブルーレヴズ(旧:ヤマハ発動機ジュビロ)の公式アカウントです。 「静岡ブルーレヴズ/SHIZUOKA BlueRevs 」というチーム名には、変わらない為に変わり続ける、伝統を受け継ぎ、なお「革新」を恐れない精神を象徴する “Blue” と、困難な目標にワクワクして挑み、高ぶる「情熱」を象徴する “Revs”が、一体として込められています。また、ホストエリアとなる「静岡」に貢献し、愛されるチームとなるべくその名を冠しています。 いままでヤマハ発動機ジュビロとして築き上げてきた伝統や技を活かしながらも、新たな挑戦とともに静岡から、心躍る最高の感動を世界へと届けていきます。 静岡ブルーレヴズの活躍にぜひご注目ください。

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