【週刊グランドスラム303】大学時代を過ごした仙台での“凱旋登板”で好投した三菱重工East・川和田悠太
「僕はこの街が大好きです。第二の故郷というか、何なら出身地と言いたいくらい好きです」
千葉県生まれで、八千代松陰高から仙台大に進んだ。2年春から先発ローテーションに割って入り、3年秋にはベストナインを獲得。4年時は仙台大では「監督の許可が下りなければ着けられない」とされるエースナンバーの18を背負った。川和田は大学4年間を「高め合える仲間のいる恵まれた環境で成長できた。感謝しています」と振り返る。
そんな川和田は、5月9日に幕を開けた東北大会で“凱旋登板”を果たした。仙台市民球場で行なわれたトヨタ自動車東日本とのリーグ戦第1戦、同点の4回表一死二塁から救援登板。空振り三振と投ゴロでピンチを切り抜けると、その後も危なげなくアウトを積み重ね、3回2/3を1安打無失点と好投する間に勝ち越して勝利投手となった。
「結果を残すことが、東北でお世話になった方々への恩返しになると思っているのでよかったです」
そう語る表情には、充実感が滲んでいた。
ただ、仙台市民球場には苦い思い出もある。先発の柱を担ってリーグ優勝に貢献した3年秋、投げながら感じていた右ヒジの痛みが限界に達し、神宮大会出場をかけた東北地区選手権の代表決定戦を欠場。会場の仙台市民球場には、複雑な表情で戦況を見詰める川和田の姿があった。
「あんまり鮮明には覚えていないですけど……気持ちよくはなかったです」
チームは神宮への切符をつかみ、試合後は力投した1学年上の長久保滉成(現・NTT東日本)らと抱き合って喜んだ。だが、歓喜の瞬間にユニホームを着て立ち合えなかったことは痛恨の極みだった。
それでも、ケガの経験がきっかけとなって「ヒジに関する勉強」に没頭する時間ができた。4年時は万全の状態ではない中でブルペンを支え、大学選手権でも好投。社会人に進んでからはヒジ痛も完治し、3年前は立てなかった仙台市民球場のマウンドで恩返しを実現した。
1年目に「怖さ」を感じてモデルチェンジ
今オフは直球を磨くことに重きを置き、「空振りやファウルを取れる、前に飛ばない真っ直ぐ」を追い求めた。右腕の位置も上げ、2月のキャンプ中には自身初の大台となる150キロを計測。5月9日の試合でも140キロ台中盤から後半の直球で押す場面が見られた。長野県知事旗大会決勝で登板した際は力みが出て試合を作れなかったと言うが、この日は気合いを入れながらも力感なく速球を走らせる投球が印象的だった。
中でも、今秋のドラフト候補と評される渡邉とは特別なつながりを持つ。気分の浮き沈みが激しい1年時の渡邉を見た川和田は、「人として、野球人として変わってほしい」と思い立ち、日常的に交換ノートでやり取りをするなど世話を焼いた。野球だけでなく、礼儀作法に関することまで教え込むと渡邉は精神面が成長し、それに技術が伴い、昨年は大学日本代表入りを果たすなど大きく飛躍。渡邉は度々「師匠」と表現して川和田の名前を挙げており、背番号18を受け継いだ今年は「川和田さんは憧れている先輩なので、越えるためには、まずは同じ背番号をつけなければいけないと思っていました」と口にしていた。
今でも仙台六大学のライブ配信で渡邉の投球をチェックしているという川和田は、「一生の投球を見て勉強しています。色々教えてほしいです」と冗談めかして笑う。「何キロ出ました」といった連絡も頻繁に届くといい、その度に刺激をもらっているそうだ。そうして、川和田と仙台の間には、切っても切れない縁がある。
「チームの軸になり、たくさん投げたい。今年はプロを目指してやります」と川和田。昨年の日本選手権で二大大会デビューを飾るも、チームが優勝した都市対抗はベンチ入りを逃した。「故郷」できっかけをつかんだ右腕は、2年目の今季こそ東京ドームで進化を証明する。
取材・文=川浪康太郎
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