変わらないゴールと変わっていくミッション
簡単そうに見えて難しい
ラグビーのハイスコアゲームは、たいていはワンサイドゲームだ。
日本代表はその昔、1995年のワールドカップでニュージーランド代表オールブラックスに17-145という絶望的なスコアで負けたことがあるし、逆に2003年ワールドカップのアジア予選では中華台北に155-3という気の遠くなるスコアで勝ったこともある。大量失点しながらの勝利といえば、今季の関東大学リーグ戦グループでは、流通経済大学が78-64というものすごいスコアで日大を破るという「事件」が起きた。
だが、実力が拮抗するプロリーグで、そんなスコアはなかなか生まれるものじゃない。
しかし、この日のヤマスタでは、それに匹敵する「事件」が起きた。
スコアは静岡ブルーレヴズ 62-52 浦安D-Rocks。
リーグワンが誕生して4年。これまでの”最多失点勝利”記録は2022-23シーズンに記録された【横浜イーグルス59-48ブレイブルーパス東京】だ(ちなみに昨季、2023-24シーズンは【相模原ダイナボアーズ53-45静岡ブルーレヴズ】だった)。
50点取られて勝ったチームは、この日のブルーレヴズが初めてだ。
まず、ボールを前に投げちゃいけないというルールがある。ラグビーの始まりは、英国で行われていた村の祭りだという。豚の膀胱を膨らませて作ったボールを、村の反対側(つまり敵のゴールだ)まで運べば勝ちだ。でも祭りがすぐ終わっては楽しめない。簡単には勝負がつかないように、つまり祭りを長く楽しめるように、点の入りにくいルールができあがったというのだ。
この日ブルーレヴズが見せたパフォーマンスは、そんなラグビーの伝統とは対極のものだった。点を取られたらもっと取れ。ラグビーの王道ではないかもしれないけれど、痛快だった。
誰だってミスはする。うまくいかないことはある。そこでくよくよしてたらつまらない。次のチャレンジで取り返せばいい。それは選手自身も感じていたのではないだろうか。
試合後の会見で、キャプテンのクワッガ・スミスは「ファンの方々にとってはたくさんトライが入ってエキサイティングな試合だったんじゃないかと思います」と笑った。
藤井雄一郎監督も同様だ。「今日はたくさんのファンに観に来ていただいたので『ちょっとかっこつけようかな』というヤツが出てきて、それがたくさんトライが取れた原因じゃないかなと思います」
次戦に向けての練習ではきっと、その修正に多くの時間が割かれることだろう。
だけど、キャプテンと監督の楽観的なコメントからは「ポジティブでいよう」という積極的な意思が感じられる。望んだ展開ではないだろうが、覚悟していた範囲内だったんじゃないか。
実際、藤井監督は「試合前から、おそらくこんな感じになるんじゃないかな、と思うような難しい試合でした」と言ったほどだ。
未体験の新たなミッション
そして今節から、ブルーレヴズにはこれまでと異なるミッションが与えられた。
それはプレーオフへ向けた準備だ。
この日のメンバーからは、開幕から全試合出場を続けてきた日野 剛志、大戸 裕矢という両ベテランの名前が消えた。LOマリー・ダグラス、WTBマロ・ツイタマは前節に続いてメンバー外となった。
勝点と残りの日程を見れば、2位に上がれる可能性は薄い。決勝まで戦うなら休みなしの6連戦になる。優勝を目指すなら、選手のコンディションを整え、良い状態を作らなければならない。
2022年4月のヴェルブリッツ戦に途中出場して以来2年ぶりの公式戦出場、先発は初めてというLO三浦 駿平、2月22日のスピアーズ戦以来の先発となったPR山下 憲太、同じく3月15日のワイルドナイツ戦以来のCTBシルビアン・マフーザ、2月8日のブラックラムズ戦以来のベンチ入りとなったLO桑野 詠真……久々でピッチに帰ってきた戦士たち。
この日、青いジャージーを着た23人のレヴズ戦士は、自身に与えられた使命を理解していた。
ここから始まる日本一への戦いで、自身が戦力としてピッチに立つことこそがチームへの貢献だ。
そして、この日のヤマハスタジアムは今季最多12,406人の観衆で埋まった。ブルーレヴズはプロフェッショナルのスポーツチームだ。チケットを買って、貴重な時間を割いて駆けつけたお客さんに喜んでもらうために、最大の努力を見せる使命がある。手抜きの試合をするわけにはいかない。
まして、この日はホストゲーム最終戦。いつも選手を、チームを熱く支えてくれるレヴニスタに感謝の思いを伝える今季最後のチャンスだ。
その覚悟が、どんなに点を取られてもめげることなく攻め続け、大量点を奪い、ヤマスタに詰めかけた12,406人を喜ばせる戦いにつながった。
52失点は恥ずかしいことじゃない。そもそもフツーの勝利はブルーレヴズには似合わない。むしろ、それでも勝ったという事実が、日本一を掴むためには必要なステップだったのだ――。
6月1日に、笑ってそう振り返ろうじゃないか。
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。
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