大舞台で得たヒントを胸に、自分を信じて進む。 スイマー 寺門弦輝

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【日本大学】

マリンスポーツに親しむ両親の影響で、幼少期から水泳を始めた寺門選手(スポーツ科学部卒)。すぐにその魅力に引き込まれ、気づけば数々の国際大会を経験するようになっていた。そして昨年3月の国際大会代表選考会の200mバタフライで優勝し、パリ五輪の切符を獲得。パリでは思うような泳ぎができなかったが、4年に1度の大舞台でかけがえのない経験を経て、スケールアップを遂げた寺門選手が次に見据える目標は…。(2025年3月取材)

水泳人生を変えた心身の成長

日本大学水泳部で過ごした4年間は、多くの気づきを得る時間であり、また競技者として大きな成長を遂げた時期でもあった。大学生活を振り返ると、印象に残るのは「チームで戦う」ことに対する意識の変化だった。
「将来のことを考えると、もう後がないと思って、毎日必死に泳いでいた」というが、同時に自分1人の力ではどうにもできないことがあることを実感していたと話す。

専門種目はバタフライと個人メドレー。自らを「集団行動が苦手なタイプなので…(笑)。個人種目は性に合っています」と話す寺門選手。 【日本大学】

「高校の頃はどちらかというと個人競技としての意識が強かったんです。でも、大学ではインカレのような大きな大会で“チーム”として戦うことを、より意識するようになりました。仲間とともに励まし合うことで、自分の実力以上のものが発揮できることもあるし、団結力の大切さを学びました」

普段の練習は所属するクラブチームで行うため、水泳部のメンバーと交流する機会は限られる。しかし、ともに日大水泳部の看板を背負うものとして、結果で周囲を鼓舞できるように自分の記録に集中してきた。

中でも、競技人生に特に大きな変化をもたらしたのは、レース前の準備へのこだわりだ。寺門選手は自身の身体の特性を理解し、万全の状態でレースに臨むために細心の注意を払っている。しかし、これまでは練習では好タイムが出るものの、それがなかなか試合に反映されないことが続いてきた。噛み合わない歯車に溜まるフラストレーション。それでも、持ち前の粘り強さで長年の試行錯誤をするうちに、自分の泳ぎに確信を持てるようになり、ようやく試合で実力を発揮する方法がわかってきたという。
「僕の体は一般的な選手と少し違って、筋肉の反応が良すぎるせいで、普通のマッサージを受けると逆に泳げなくなってしまうんです。どうしたものかと悩んでいた時に、日大のあるトレーナーさんと出会いました。その方は体に合ったケアをしてくれて、本当に記録も伸びたし、フィジカル的にも自信を持てるようになりました。正直、水泳人生が変わりましたね」

心身の充実はすぐに結果につながる。2023年のFISUワールドユニバーシティゲームズ 男子4×200mフリーリレーで優勝すると、その後の大会でも連戦連勝。‘24年3月に行われた国際大会代表選手選考会では、派遣標準記録を上回る1分54秒07の自己ベストを記録し、見事パリ五輪日本代表の座を射止めた。一発勝負のレースだったが、本学卒業生で東京五輪銀メダリストの本多灯選手を抑えての勝利に、水面をたたき雄叫びを挙げた姿が印象的だった。

「水泳は努力した分だけ結果につながるスポーツです。対戦相手がいるわけでもなく、自然の影響を受けるわけでもなく、常に同じ環境でレースができる。だからこそ、日々の取り組みがダイレクトに結果に反映される魅力があります。その延長線上に五輪があって、もちろん小さい頃からの夢ではありましたが、‘23年のインカレで自己ベストを出して初めて『もしかしたらいけるかも』と思っていました」

世界のレベルを痛感したパリ五輪

そして迎えた昨年のパリ五輪。男子200mバタフライに出場した寺門選手は、世界の壁を肌で感じることになる。予選で全体13位に入り準決勝に進むも、翌日行われた準決勝のレースでは、100mを折り返してから思うような泳ぎができず、予選よりも0秒39遅い1分56秒21でフィニッシュ。全体15位で8位以内に入れず決勝進出を逃した。

「予選の時、隣のレーンで泳いでいたのが、金メダルを獲ったフランスのレオン・マルシャン選手でしたが、会場の歓声が桁違いでした。しかも、有名なライブ会場を改造したプールで、観客席の傾斜がすごいせいか360度から声が聞こえてくる。そのせいで、緊張して体がこわばってしまいました」

初めての五輪は悔しい結果で終わったが、「これ以上のプレッシャーを経験することは、そうそうない。だからこそ、この経験が今後の糧になる」と、次の戦いへのヒントを見つけることも忘れなかった。

準決勝のレースを終え、寺門選手は電光掲示板のタイム表示を見て悔しそうな表情を見せた 【共同通信社】

五輪の舞台で培った経験を糧に、寺門選手は次なる目標を見据えている。
「ロス五輪では、メダルを狙いたいです。ただ、僕の考え方として、『メダルを獲りたい』と思っているだけでは決勝に行くのが精一杯。でも、『金メダルを獲る』と思って死ぬ気で頑張れば、メダルには手が届くと思うんです」

そう心の中に秘めた思いを吐露する一方で、現状の課題にもしっかり向き合っている。
「まだ経験が足りないと感じています。例えば、先日(卒業式の4日前)の日本選手権の200mバタフライでは優勝できましたが、100mは勢いに任せすぎて後半失速してしまいました。本当に勝負がかかってくる場面で、いかに自分のレースができるかが今後の課題です」

パリ五輪で感じた世界の壁。乗り越えるには世界のレベルアップの速度以上に、自分が成長しなければならない。そのため、主要大会では常に万全のコンディションで自己新記録を狙っている。 【日本大学】

最後に寺門選手にとって、「水泳選手として最も大切にしていることは何か」と尋ねると、力強い言葉が返ってきた。
「どんな時も自分を信じることです。スタート台に立った時、ほんの少しでも迷いがあったらダメなんです。だからこそ、究極まで自分を信じられるように、厳しい練習を乗り越えて、最高のコンディションでレースに臨みたい。そうすれば、泳いでいる自分を世界で一番好きになれるし、頂点にも駆け上がれる——そう思っています」

パリ五輪で味わった悔しさを胸に、ロサンゼルスへ向けて歩みを進めている寺門選手。まずは、今夏に開催される世界水泳(シンガポール)で、再び世界のトップスイマーたちに挑んでいく。五輪チャンピオンを目指す挑戦は、まだ始まったばかりだ。

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Profile
寺門弦輝[てらかど・げんき]
2003年生まれ。茨城県出身。昭和学院高卒。2025年3月、スポーツ科学部卒業。セントラルスポーツ所属。高校2年のインターハイ200mバタフライで優勝。大学3年時のインカレでは100mバタフライ優勝。その後も国内主要大会で個人種目において複数優勝。’24年3月のパリ五輪代表選考会の200mバタフライで優勝し代表権を獲得。5月の欧州グランプリ・カネ大会では国際大会初優勝を飾る。パリ五輪は準決勝敗退となったが、その後も努力を怠らず、10月の日本選手権(25m)、11月のジャパンオープン2024で優勝。今年3月の日本選手権でも200mバタフライを制し、7月の世界選手権の日本代表に内定した。

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著者プロフィール

日本大学は「日本大学競技スポーツ宣言」を競技部活動の根幹に据え,競技部に関わる者が行動規範を遵守し,活動を通じた人間形成の場を提供してきました。 今後も引き続き,日本オリンピック委員会を始めとする各中央競技団体と連携を図り,学生アスリートとともに本学の競技スポーツの発展に向けて積極的なコミュニケーションおよび情報共有,指導体制の見直しおよび向上を目的とした研修会の実施,学生の生活・健康・就学面のサポート強化,地域やスポーツ界等の社会への貢献を行っていきます

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