人間的成長を実感した日々。 覚悟をもって五輪へ、メダルへ。 スノーボーダー 平野海祝

日本大学SPORTS
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【日本大学】

北京2022 冬季五輪の男子スノーボード・ハーフパイプで、最高到達点7.4mのビッグアエアーを披露し、世界を驚かせた平野海祝選手(スポーツ科学部・4年)。同大会で悲願の金メダルを獲得した兄・歩夢選手(2021年・スポーツ科学部卒)の背中を追い続けてきた平野選手は、北京で得た経験と自信を力として、昨年2月のW杯アスペン大会で自身2度目の表彰台(3位)に昇った。しかし、11月に足首を故障。シーズンを棒に振ったが、それによって人間的な成長もできたと実感しているという。今秋に始まる2025/2026シーズンからの復帰を見据えてトレーニングに励む平野選手に、大学4年間の振り返りと、来年に迫る冬季五輪への思いを聞いた。(2025年3月取材)

以前とは、競技への向き合い方が違う

−卒業おめでとうございます。日本大学での4年間はどう感じましたか?

この4年間が1年なんじゃないかと思うくらい、とても早かったなという印象です。前期は競技がオフシーズンなので、なるべく学校に通いながら単位を修得できるように通学しながら、並行して都内にある練習場でトレーニングをして過ごしました。学業と競技の両立で忙しかったこともありますが、それだけ充実して濃い4年間だったなと思います。

−日本大学スポーツ科学部での学びについては?

競技との両立を支えてくれる先生たちから、五輪のことや、筋肉についてのことなど、いろいろ面白い話を聞いて学ぶことが多かったなと思います。特に鈴木(典)先生の授業は印象に残っています。
また、他の競技の選手たちからパワーをもらったり、インスピレーションを受けるということも多くありました。スキー部の選手のほか、サッカーやスケートボードの選手の話や意見を聞いて、「ここは全然スノーボードと違うな」とか、「ここは一緒だな」とか思いましたし、自分にとっていい刺激を与えてもらいましたね。
−4年間を通じて成長したと思えることは?

競技者は、成績が第一になるので、だらしなくやっていてはいけないし、高い技術と意識が必要だと思っています。今シーズンは怪我をしてしまいましたが、これまでもアスリートとしての責任感を持って取り組んできたので、気持ち的に落ちることはないし、今後さらに⾼みを⽬指していけるイメージができています。⽂武両道というか、お陰様でどちらもバランスよくなんとかやってこれましたし、そういうところから別の視点も広げていくことができ、様々なことをスノーボードに結び付けていく能力が身に付いたかなと思います。

大学生活の中で、他の学生との交流はオフ期間の半年だけに限られたが、「その中でも何人か、いい友人たちと出会えました」。 【日本大学】

−3年前より落ち着きと自信が感じられます。

いや、全然違うと思います(笑)。20歳ぐらいまでは若さの勢いやノリでやっていたんですが、ここ2年ぐらいは真剣に自分と向き合ってきました。当時はできませんでしたが、自分の嫌なところとも向き合ってきたので、以前にはなかった自信もついてきたと思います。ただ、年を重ねるごとにスノーボードが怖くなってきたりとか、体が疲れたりすることも多くなっているので、そこを乗り越えるためにいろいろ学んだり、頭をしっかり使うようになっていて、その点が成長しているということですかね。

−北京大会の後、自分や周囲で変化したことは?

北京でのビッグトゥイーク(エアーでの技)から、だいぶ変わりましたね。街の中でも知っている人は知っているようになりましたが、一番反響が大きかったのは、外国人のスノーボーダーたちです。海外に行くと「あんなに高く飛んで、あんなメソッドをする選手は誰もいないよ」って言ってくれる人が多くなって、そこから外国人とのコミュニケーションが増えて、今では海外に行っても友だちには困らない。それまでは日本人っていう感じで接していたのが、とってもフレンドリーになりましたし、「俺の家に遊びに来ていいよ」とか言ってくれて、実際に泊まりに行ったこともあります(笑)。
あのエアーで、やっと世界に認められたという感覚があって、憧れていたスノーボーダーや好きな海外のライダーと一緒に写真を撮ったり、滑ったりもできましたし、そこからさらにいい刺激をもらって、自分なりに吸収していく。そういうのがとても楽しかったですね。

−五輪チャンピオンとW杯チャンピオン、どちらを獲りたい?

やっぱり五輪ですかね。スノーボードは怪我が付き物の競技なので、4年に1回の五輪に焦点を当てて、その⽇に向けて怪我せずにモチベーションを保ちながら自身のピークを持ってきて、そこで優勝することは相当難しい。そこで 3 回もメダルを獲っている兄(歩夢)は、本当にあり得ないと思います。僕は北京五輪の舞台を経験しているので、また五輪の舞台に⽴ち、メダルを狙いにいくいうのがどれだけ難しいことかもわかりながら、挑戦できることがすごく楽しみに思っています。その⼀⽅で、X Games のような海外の本場で開催しているプロ⼤会でも優勝してみたいので、練習してチャンスを得るために積極的に海外に挑戦し続けたいなと思っています。

−五輪とX Gamesでは雰囲気も違いますか?

全く違いますね。五輪は軽いノリじゃいけない、国や日本を背負っていくような感覚で覚悟を持って臨む大会ですし、決勝になればもう眠れないぐらいのプレッシャーはすごくあります。それに対し、X Gamesはどちらかと言えば「盛り上げてやるぞ!」っていうような感覚ですからね。とはいえ、“勝つ”ということでは、どっちもどっちで相当難しいですけど(笑)。

「夢の中にいるようだった」と北京2022冬季五輪を語った平野選手。テレビで多くの人たちが試合を見ることを想像し、「すごく緊張しました。現地で旗を持って自分のために応援してくれる人もいて、プレッシャーに感じましたが、そのプレッシャーを味方に付けて頑張ろうと思いました」。 【共同通信社】

−怪我したことで自分の中で何か変化はありましたか?

怪我をして、どれだけ自分がスノーボードを好きだったか分かったし、何もできなかったぶん、いつも練習できていることや、いい環境でスノーボードをやれることが当たり前じゃないってことに気づきました。同時に、戻ってきた時には、前よりもっと強くなっていたいという気持ちも湧いています。兄は怪我をしても、いつもそれ以上に強くなって戻ってきますし、それが何だったのか知る機会でもあるので、兄のように怪我から学ぶことで強くなって帰ってこられるんだというのを実践したいと思っています。
あとは、自分を客観的に見られるようになりましたね。怪我をせず突っ走っている時は、自分のことをちゃんと見ることができていなかったんだなと、改めて気づきました。考える時間も多くあって、「自分はみんなにどういう見られ方をしているんだろう」とか、「どういう姿で復帰すればいいのか」とか、今の自分の課題や、自分から見た自分を見直して、それを頭の中でイメージしてきました。

−スノーボードに乗れない時間をどう感じていましたか?

足が使えなくてすごい大変だったですし、何もできなくてストレスでした。とりあえず上半身を鍛えようと、毎日ジムに行ってウエイトトレーニングをしまくってました。休むことが苦手で、じっと待つことができないタイプなので、「もう、早くスノボやりたい!」みたいな、そういうしんどさがありましたね。

−もう練習は再開しているのですか?

はい、時々雪の上でトレーニングをしています。ゆっくりとしたフリーランで、長く乗っていなかったボードに慣れるというところから始めています。もう少ししたらハーフパイプに入ろうかなと思っていますし、この春夏は海外に行って感覚を取り戻し、さらにレベルを上げていきたい。秋からの今シーズンには完全復帰をしたいと思っていますし、さらに強くなってフルパワーで行けたらいいなと思っています。

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自分らしく戦って、夢をめざす

−代名詞であるビッグエアーを試合で出すことに怖さは?

もちろん怖さはありますが、五輪の選考レースも始まっている中では、やるしかないという感じです。今シーズン出られなかった大会は、選考のポイント的には大きかったので、上を向いてみんなの背中を追いかけるだけです。出せる力を出し切ることで、成績がついてくればいいなと思っています。

−出遅れたことに焦りはないですか?

そんなに焦ってはないですね。怪我はしょうがないし、自分に与えられたチャンスがみんなより半分と言うだけで、それも運命。むしろ、自分が今まで見えなかったものを見せてくれた怪我であったから、そこは焦りというよりも、本当にやるだけだなと言う覚悟で挑戦していきたい。結果がどうであれ、五輪後もスノーボーダーとして現役を続けていくのは間違いないので、後につながればいいと思っています。ただ、誰よりもやってきたぞという自信と後悔しないことだけを意識して、毎日練習していきたいと考えています。

−今後もエアーにこだわっていくのですか?

僕みたいなエアーが大好きなスノーボーダーはとても多くいるんですが、全てのヒットに高回転を入れることが主流になってきたことで、エアーに対する点数(評価)が時代とともに変わってきて、高さのあるエアーであっても加点が低くなる。五輪に⾏くためには、高回転も⼊れなきゃいけないけれど、僕は⾃分のスタイルも削りたくないから、⾼いエアーとゆったりとした回転を採り入れていた。⾃分にしかできない新たなトリックを⾒せつつ、⾼回転のスピンも⼊れてみんなを驚かせたいな、と思っています。今の⼈は誰もやらない90年代のトリックに、⾃分のトリックを混ぜたスタイルなので、結構共感してくれる⼈もいるんじゃないかなと思うし、まだそんな完璧にはできていませんが、今後はトゥイークと並ぶ僕のシグネチャートリックを完成させたいと思っているので、そこは楽しみにしてもらえたらなと思っています。

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−自分のパフォーマンスのどこを見てほしいですか?

ハーフパイプは競技なのでポイントとか成績が出てきますが、スノーボードの楽しみ方だったら誰にも負ける気がしないし、その点でいうと兄よりも僕の⽅が上手なのではと思うことがあります。トータルのスタイルだったり、板に乗れている感じとかでは⼈よりもこだわっているつもりなので、そこはみんなに⾒てほしいところです。ゲレンデで⼀緒に滑ったら「⼀番かっこいい」って言われたい。スノーボードはやっぱり根本楽しいものであってほしい。僕は楽しいスノーボードから始まったから継続してこれたし、有難いことに環境もあったので徐々に上⼿くもなってきた。僕が楽しそうに滑る姿を見て、その楽しさをみんなにも味わってほしい。なおかつ成績が出たら、それが⼀番の理想図かなと思いますね。

−ミラノ・コルティナ2026冬季五輪へ向けた意気込みをお願いします。

怪我をしていた期間もあり、残り少ない時間の中で、これからの1⽇1⽇を無駄にしないで、⾃分と真剣に向き合い、毎⽇努⼒して、胸を張って五輪出場に向け挑めるように心身ともに準備をしっかり整えたい。もし代表に選ばれたら、今まで頑張ってスノーボードを続けてきた思いなどすべてを表現したい。挑戦できることに感謝し、後悔のないように経過を大事に、自分の成長につなげていきたいと思っています。

−期待しています。ありがとうございました。

丁寧に言葉を選びながら心のうちを語った平野選手。目標は連覇を狙う兄とともに、ミラノ・コルティナ2026冬季五輪の表彰台へ立つこと。圧巻のビッグエアーと独創的パフォーマンスで、再び世界を魅了してほしい。 【日本大学】

Profile
平野海祝[ひらの・かいしゅう]
2002年生まれ。新潟県出身。開志国際高卒。TOKIOインカラミ所属。12歳頃から本格的にスノーボードに取り組み始め、2017年のJOCジュニアオリンピックカップで優勝、‘18年世界ジュニア選手権3位、’20年冬季ユース五輪で銀メダル獲得、‘21年全日本ジュニア優勝、全日本選手権3位。’20’22年のW杯ラークス大会までの成績により北京2022 冬季五輪代表に内定。続いて初参戦したX Games Aspenでは銅メダルを獲得して歩夢選手と共に表彰台に立ち、世界の注目を集めた。北京五輪の決勝で見せた高さ7.4mのビッグエアーで、世界新記録として高い評価を受けた。’24年のW杯アスペン大会で自身2度目の3位入賞。11月に足首を故障して2024/2025シーズンは参戦できなかったが、ミラノ・コルティナ2026冬季五輪出場を目指して10月から本格復帰する予定。
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著者プロフィール

日本大学は「日本大学競技スポーツ宣言」を競技部活動の根幹に据え,競技部に関わる者が行動規範を遵守し,活動を通じた人間形成の場を提供してきました。 今後も引き続き,日本オリンピック委員会を始めとする各中央競技団体と連携を図り,学生アスリートとともに本学の競技スポーツの発展に向けて積極的なコミュニケーションおよび情報共有,指導体制の見直しおよび向上を目的とした研修会の実施,学生の生活・健康・就学面のサポート強化,地域やスポーツ界等の社会への貢献を行っていきます

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