「俺たちは日本に行きたい。ファンも俺たちを望んでいる。正直な話、IWGPタッグ王座も、今の新日本プロレスも、俺たちを必要としてるんじゃないか?」本格上陸を熱望!“STRONGタッグ王者組”ワールド・クラス・レッキング・クルーに直撃“初”インタビュー!!

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【新日本プロレスリング株式会社】

STRONG無差別級タッグ王者組、ワールド・クラス・レッキング・クルーのロイス・アイザックス&ジョレル・ネルソンに直撃インタビュー!!
現地時間・5月9日(金)『Resurgence 2025』オンタリオ大会で迎え撃つTJP&テンプラリオ組、さらにUNITED EMPIREにも言及!

■『Resurgence 2025』
現地時間5月09日 (金) 17:30(PDT)開場19:00(PDT)開始
アメリカ・Toyota Arena(カリフォルニア州オンタリオ)

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■根本的な考え方やプロレスへの姿勢は凄く似ているんだ。だから、おたがいに言葉にしなくてもわかる部分がたくさんあって、8年間ずっと安定したチームでいられてるんだよ。

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――ロイス選手とジョレル選手は、2021年にNJPW STRONGでデビューし、2023年7月に後楽園ホールで開催された『NJPW STRONG INDEPENDENCE DAY』にも参戦されましたが、こうして二人でインタビューを受けるのは今回が初めてですよね。まずは、お二人がタッグを組むことになったきっかけを教えてください。

ジョレル ロイスはコロラド出身なんだが、カリフォルニアのインディー団体で活動していたんだ。そこが当時、自分が住んでいた場所からどれだけ遠かったかっていうと、1回の移動で12~13時間も車を運転して試合に出ていたくらい遠いところだったんだ。俺は、最初はアメリカ北西部にいて、その後でカリフォルニアに移ったんだけど、そこから二人ともラスベガスのFuture Stars of Wrestlingで活動するようになったんだよ。

――そこで初めてお二人は出会ったんですね?

ジョレル ああ。あの頃の俺はシングルプレイヤーで、ロイスは別の選手とタッグを組んでいたんだよ。でも、団体のプロモーターであるジョー・デファルコに呼び出され、「二人でタッグチームとしてやってみる気はあるか?」って聞かれたんだ。

ロイス 「試合数が増えるなら、やってみようか」って感じだったよな(笑)。

ジョレル ありがたいことに、俺たちはそれまでほとんど話したことすらなかったのに、なぜかおたがい凄くシックリきたんだ。今思えば、あれからもう8年も経っているなんて、ちょっと信じられないよな。

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――まさに最初からお二人の相性が良かったということですね。

ロイス 俺の方が少し社交的なのかもしれないんだが、根本的な考え方やプロレスへの姿勢は凄く似ているんだ。だから、おたがいに言葉にしなくてもわかる部分がたくさんあって、8年間ずっと安定したチームでいられてるんだよ。

2017年にタッグを組み始めて、その後3~4年経ったころ、2021年にNJPW STRONGから声がかかったんだ。それがきっかけで、自分たちがどんなタッグチームであるべきかがハッキリしてきて、完全にチームとして噛み合うようになったんだ。

――NJPW STRONGはコロナのパンデミック中に立ち上がった番組で、最初の1年以上は無観客での開催が続きましたよね。当時はアメリカのインディータッグチームとしても、特にきびしい時期だったのではないでしょうか?

ジョレル じつを言うと……パンデミックが起きた頃、俺はもう引退することを考えていたんだ。

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――そうなんですか!? パンデミックが起こる前、お二人はNWAと契約する話が進んでいたそうですが……。

ジョレル ああ、当時は、俺たちは二人ともNWAと契約の話をしていたんだが、最終的にNWAに呼ばれたのはロイスだけだったんだ。彼はNWAで成功することができたし、俺も本当に嬉しかった。でもパンデミックが起きて、何が起こるか誰にもわからない状況になり、「このままプロレスを辞めてもいいかな」って思い始めるようになったんだ。

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だけど、ロイスがNWAに契約解除を申し入れて、そのちょうど同じ頃に、NJPW STRONGにタッグで出てみないかって声がかかってね。「ロイスがやるって言うなら、俺ももう一度やってみよう」と考え直したのさ。

ロイス 俺たちの間には、何か“特別なもの”があることはわかっていたからな。NWAで過ごした時間もありがたかったんだが、ジョレルとのタッグにはまだまだやり残したことがあるってずっと感じてたのさ。

それから俺はBloodsportでアレックス・コグリンと闘い、その試合を通じて、新日本プロレスのファンのみんなにも存在を知ってもらうことができた。それがきっかけでNJPW STRONGの無観客収録に呼ばれて、それが今に繋がっているんだ。

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――2021年から2022年にかけてのNJPW STRONGでは、タッグ部門が番組の柱の一つでした。その中でもお二人は中心的な存在でしたよね。

ジョレル 初代タッグ王者決定トーナメントには8チームが出場してたんだが、正直、もっと参加チームがいてもおかしくなかったと思うよ。もう4チーム、いや8チーム追加してもぜんぜん成り立つくらい、それだけ選手層が厚かったんだ。

ロイス あの頃、NJPW STRONGにいた選手たちの実力は本当に高かったよ。

――当時はトム・ローラー選手率いるTEAM FILTHYのメンバーとしても活動していましたよね。ファンを挑発するような存在でもありましたが、あの時期を楽しんでいたようにも見えました。

ロイス 俺の中では、当時のNJPW STRONGは毎週本当にクオリティが高くて素晴らしい番組だったと思っている。そしてTEAM FILTHYはその番組の屋台骨だった。最終的にどうなったか……まあそれは残念だけど、今は今だし……それにトム・ローラーは……。

ジョレル ……もういなくなってしまった(笑)。

■NJPW STRONGのタッグ王者と言えば俺たち、俺たちと言えばNJPW STRONGのタッグ王者なんだ。それくらい俺たちはタイトルと一体化してるんだ。

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――そして昨年12月のロングビーチ大会『Strong Style Evolved 2024』において、ついにNJPW STRONGタッグ王座を獲得しました。ウェストコーストの代表という誇りもありますし、ホームでの試合となりましたが、あの夜の会場の反応は、これまでNJPW STRONGで地道に築き上げてきた根強い人気の証だったのではないでしょうか?

ジョレル あの瞬間のことは、一生心の中でリプレイされ続けると思うよ。正直、観客がどう反応するかはまったく予想できなかったんだ。たしかに地元だったけど、ちょうどトム・ローラーと決別した直後で、フレッド・ロッサーのこともボロボロになるまで叩き潰してやったばかりだった。だから、もしかしたら大ブーイングを受けるかもしれなかった。でも、俺たちがここまで必死で努力してきた姿を、ファンは見てくれていたんだと思う。それが伝わったんだろうな。

――そのあとロッキー・ロメロ選手が挑戦表明に現れましたよね。彼も南カリフォルニア出身です。

ロイス そう、試合後にロッキーが出てきて、俺たちに挑戦状を叩きつけてきたんだ。それで俺たちは彼をボコボコにしたのに、ファンはまだ俺たちに歓声を送ってくれたんだよ(笑)。

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――初防衛戦はロッキー&YOH組、先日のシカゴ大会ではJET SETTERSとの防衛戦もありました。そして次の5.9オンタリオ大会『NJPW Resurgence』では、TJP&テンプラリオ組と防衛戦です。お二人はパワー系のチームなのに、なぜかジュニアヘビー級のタッグチームとの対戦が続いていますね。

ロイス 俺たちはもっと「巨漢との闘い」がしたいんだよ。俺が一番好きな試合のスタイルは、いわゆる“ホスファイト(巨漢対決)”なんだ。でもまあ、ジュニアのチーズバーガーを食べ続けて、いつか本物の“リブアイステーキ(重量級チーム)”を食わせてもらうさ。

ジョレル それに俺たちはオープンウェイトのタッグ王者だけど、今現在、新日本のヘビー級のタッグ王座は空位になっているからな。(※このインタビューは、4月18日に収録)

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――まさに今、IWGPタッグ王座が空位という状況ですね。そのことについては意識していますか? また、NJPW STRONGタッグ王座の現在の位置づけについてはどう考えていますか?

ロイス アメリカの部門が新日本プロレス全体の中ではニッチに見られることがあるのはわかっている。でも今この時点で、俺たちはこの団体のトップレベルのタッグ王者なんだよ。NJPW STRONGのタッグ王者と言えば俺たち、俺たちと言えばNJPW STRONGのタッグ王者なんだ。それくらい俺たちはタイトルと一体化してるんだ。

日本のファンの間でも「ワールド・クラス・レッキング・クルーに日本で防衛戦をさせろ」って声が上がってるし、「『WORLD TAG LEAGUE』に出てほしいタッグ、ナンバー1」っていう意見も多いよな。俺たちが出るべきじゃない理由なんて、どこにもないはずさ。

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――なるほど。活動の場をアメリカに限定するつもりはないということですね。

ロイス 俺たちは日本に行きたい。ファンも俺たちが日本に来ることを望んでいる。それに、正直な話、IWGPタッグ王座も、今の新日本プロレスも、俺たちを必要としてるんじゃないか? タイトルを争うレスラーたちが、本当にそこに立ちたいと思っていなきゃ意味がないんだよ。

ジェフ・コブはどこかでルアウ(ハワイの宴会)でもやっているんだろうし、オージー・オープンもとっくに去った。UNITED EMPIREはもうガタガタだ。だから今こそワールド・クラス・レッキング・クルーの時代なんだ。ROHにも出たいが、最優先すべきはあくまで日本なんだ! それが俺たちにとっても、新日本プロレスにとっても絶対に必要なことだと思っている!(キッパリ)

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ジョレル さすがロイス、愛してるぜ(笑)。 一つだけ言わせてもらうと、俺たちがこのタイトルを獲ったときに話したんだよ。「これまで以上に、このベルトに価値を与えよう。オージー・オープンやモーターシティ・マシンガンズが持っていたときよりも、このベルトをもっと輝かせよう」ってね。俺たちの最大の目標は、日本でこのベルトを防衛すること、そして防衛回数の記録を超えることなんだ。涙も汗も血も、すべてこのタイトルに注いできたからな。そう簡単には手放さないよ!

■誰かが去って、誰も同じ方向を見ていない状態で、“UNITED(団結した)”なんて言えるのか? ロイスと俺なんて、もはや夫婦みたいな絆で繋がっているのにな(笑)。

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――そして、その次のステップとなるのが、現地時間・5月9日(金)オンタリオ大会でのTJP&テンプラリオ組との対戦ですね。UNITED EMPIREの新たな顔としてのチームですが、彼らについてはどう見ていますか? また、TJP選手は高く評価されている選手ですが、ロイス選手はその実力についてどう見ていますか?

ロイス TJPは確かに評価されてるが、実際のスキルに関して言えば、まだまだ過小評価されてると思うよ。今でも身体は細いけど、ヘビー級に挑戦しようとしている意欲があるのはわかるし、その姿勢には敬意を表したい。でも、俺はルチャの技術にも精通してる。テンプラリオのことはそこまで詳しくはないんだが、しっかり対応できる自信はあるよ。

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――お二人も以前はユニットに所属して活動していましたが、ジェフ・コブ選手とカラム・ニューマン選手が王座返上をした、今のUNITED EMPIREの状況をどう見ていますか?

ジョレル TEAM FILTHYがうまく機能していた理由は、仲間意識の強さにあったと思う。リングの外では全員まったく違う性格だったけど、リングに上がれば一つの塊のようなチームだった。今のUNITED EMPIREには、ああいった団結力を感じないんだ。かつては素晴らしいユニットだったが、今はもうバラバラになりかけているよな。みんな別々の方向を向いていて、組織として崩れ始めているように思えるんだ。

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――つまり、メンバーに方向性のズレがあると。

ジョレル それはウィル・オスプレイが新日本プロレスを出て行くと決めたときから始まったと思うんだ。それ以降、いろんな路線やビジョンを模索してきたんだが、TJPだったり、グレート-O-カーン、コブ、今はカラム・ニューマンだったり……次々と中心が変わってしまっている。誰かが去って、誰も同じ方向を見ていない状態で、“UNITED(団結した)”なんて言えるのか? ロイスと俺なんて、もはや夫婦みたいな絆で繋がっているのにな(笑)。

ロイス あのグループにはもう“UNITED(団結)”なんて要素はないんだよ。クールなハンドサインはあるかもしれないが、あるのはそれだけのユニットなんだ。まあ、5月9日の『Resurgence』では、そのハンドサインも俺たちがいただくことになるかもしれないがな。

――それでは、あらためて最後にメッセージをお願いします。

ロイス 一つだけ言わせてほしい。俺たちは“壊れないように”作られているんだ。これまでの苦労や困難も、何ひとつ手放したいとは思わない。それだけ多くの困難を乗り越えて今ここに立っているってことが、俺たちが特別な存在である証明なんだ。2025年、そして2026年、俺たちの年にする。それが今の目標なのさ。

ジョレル かつて偉大な人がこう言ったんだ。「本物の選び抜かれた精鋭たちは最後に現れる」ってな。ロイスと俺ほど情熱と根性、そして覚悟を持ったタッグチームは存在しないんだ。他のどのチームよりも、成功にふさわしいのは俺たちだってことを、これからも証明し続けていくつもりさ。

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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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