【柏レイソル】盟友が偲ぶ"柏のキング"レアンドロドミンゲス「2025Reysol Report Vol.5」
レアンドロは2010年から2014年までレイソルに在籍し、クラブに数多くの栄光をもたらした功労者の一人。レイソル退団後も、名古屋グランパスや横浜FCでプレーを続け、レイソルだけでなくJリーグの歴史にその名を刻んだ偉大な名手でもある。
2010年1月のレイソル加入当時は26歳。中堅と呼ばれる年齢だったが、その貫禄のある風貌もあって、年上・年下を問わず「兄やん(ニーヤン)」の愛称で親しまれた。
加入当初こそフランサに気を遣っていたのか、まだ本領発揮とはいかなかったものの、フランサがレイソルを離れ、レアンドロ中心のチーム作りが進められると、彼は一躍“柏のキング”として絶大な力を誇示していく。
そう話すのは栗澤僚一ヘッドコーチである。栗澤コーチは現役時代、ダブルボランチの右側を務めていた。つまり、レアンドロのサイドだ。
栗澤コーチが「自分の役割に集中できた」と話すその“役割”とは、レイソルの最大の武器でもあったレアンドロと酒井宏樹の右サイドアタックの際に、二人の背後をカバーすることだった。当時、酒井が「クリさんが後ろをカバーしてくれるから安心して上がれる」と言っていたように、おそらくレアンドロもまた栗澤が背後をカバーしてくれるからこそ、攻撃という自分の仕事に集中できていたのではないだろうか。
「レイソルでも初速のテストをやったことがあるけど、ニーヤンだけが異常に速かった。ニーヤンがライン間で止まっていると、相手も同じく止まっている状況だから、ニーヤンがボールを受けると、初速の速さでマーカーは一瞬で置いていかれる」(大谷コーチ)
終盤戦にケガで2試合を欠場した後、第31節アルビレックス新潟戦(○4−0)ではケガ明けでいきなり2得点を記録し、続く第32節の清水エスパルス戦(○2−1)では、試合終了間際のレアンドロの逆転弾で初優勝に王手をかけた。ホーム最終戦のセレッソ大阪戦(△1−1)もレアンドロの同点ゴールで自力優勝の可能性を最終節につなぎ、そしてJ1初優勝を決めた浦和レッズ戦(○3−1)では、レイソルが挙げた3得点全てに絡む出色のパフォーマンスを見せた。
当時中学1年生で、レイソルアカデミーでプレーしていた古賀太陽は「レイソルが一番強かったときの10番。僕の中で“レイソルの10番”といえば、レアンドロ・ドミンゲス」と言う。
栗澤と大谷両コーチは「彼がいなかったらJ1も、天皇杯とナビスコカップの優勝もなかった」と、改めて“柏のキング”の存在の大きさを口にする。
レイソルに多大な功績を残したレジェンドが、41歳の若さでこの世を去ることになるとは、本当に残念でならない。
心よりご冥福をお祈りいたします。
【文】柏レイソルオフィシャルライター:鈴木潤
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