引退後の道しるべになる!? 義足のレジェンドがパラ陸上の強化委員長に!
“パラリンピアン強化委員長”の誕生
選手からもメディアからも「徹さん」と呼ばれる。2000年のシドニーパラリンピックから走り高跳びなどでパラリンピックに6大会出場した“義足アスリートのパイオニア”だ。パリ2024パラリンピックには選手として出場を逃したものの、コーチとして選手団に入り、跳躍種目の選手たちをサポートした。
「本当は(強化委員長には)ロサンゼルスが終わってから立候補しようと思っていました。スタッフとしてパリに行き、やりたいことがたくさん出てきたので(予定を早めて)立候補させてもらった。パラ選手でもできることを示したいし、覚悟はあります。(ロサンゼルスまでの)3年間勤め上げたいです」
日本パラ陸上競技連盟によると、選手出身の強化委員長は初めて。
新体制では、パリ大会男子5000m(T11) 銀メダルの唐澤剣也らをゴールドメダルターゲット選手と位置づけたほか、強化スタッフにパラリンピアンの樋口政幸氏、オリンピアンの高平慎士氏が編成された。
メダル増産に向けて、ターゲットとなる選手のトータルサポートに加え、即戦力となる選手の発掘と育成、ファンダメンタルの構築(基礎的な体力や動きの強化、選手の社会性を高めるための取り組み)を推し進めていくという。
なお、鈴木氏は、ロサンゼルス大会前までに実現させたい自身のアイデアとして「選手だけではなくコーチなども称える年間アワードの設立」「視覚障がいのあるランナーと走るガイドランナーの増員計画」「競技力向上などを目的とした国際グランプリ大会の開催」「アスリートの練習サポートや子育てをしながら競技を続ける選手の支援」などを挙げた。
名選手から名コーチへの道
コロナ禍の2021年5月。国立競技場で行われた東京2020パラリンピックのテストイベントに参加した鈴木氏は初対面だったという平松氏をいぶかしがりながらも、対話をスタートさせた。その後、東京パラリンピックを経て、パリパラリンピックに向かう道のりの中で選手兼パートマネージャーを引き受け、経験を積んた。
「パラの陸上競技に関わるようになって感じたのは、スポーツにおける『する、みる、ささえる』のうち、ささえるという領域に入っている当事者がいないということ。強化委員長という花形である役目を、当事者である選手が担ってもいいのではないか。そう考えたときに、走り高跳びで2mという大台を跳んだ実績も持ち合わせている鈴木選手に声をかけてみようと思った。当時41歳で次のキャリアを考えている頃なのではないかとも考えました」
トップパラアスリートが第一線を退いた後のロールモデルを作りたい――平松氏の思いを受けて鈴木氏の新しいキャリアがスタートした。ロサンゼルスまであと約3年。多くの可能性が詰まった取り組みのなかで選手たちを輝かせることができるか。次のパラリンピックに向けた陸上競技チームの挑戦が本格的に始まった。
1980年、山梨県生まれ。SMBC日興証券所属。中学・高校時代はハンドボール部に所属し、全国大会で活躍。18歳のときに交通事故で右足を切断した後、走り高跳びを始め、20歳でシドニーパラリンピックに出場。6度連続パラリンピックに出場し、最高順位は4位。自己ベストは2m02。山梨市観光大使。「信玄餅、シャインマスカット、富士五湖で見る逆さ富士がおすすめです」
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※本記事はパラサポWEBに2025年4月に公開されたものです。
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