土佐高野球部卒の小松投手が大阪体育大学入学式でスポーツ科学部総代「メジャーと4年間学業トップが目標」
高知市出身。小学2年から野球を始め、「将来、海外で働ける人になる」ため、高知県で最難関の私立土佐中学に入学し、土佐高校に進んだ。
土佐高校は、名将の故籠尾良雄監督が進学校で文武両道を徹底。1966年春のセンバツでは、純白のユニフォームと攻守交代での全力疾走で全国の高校野球ファンに鮮烈なイメージを残し、準優勝を果たした。
小松さんは1年秋から背番号1のエース。1年秋、2年秋は県ベスト4に進んだ。2年の3月、突然、思い通りのプレーができなくなるイップスになり、ベンチから外れたが、3年の6月に治り、最後の夏の高知大会は背番号10をつけた。
すぐに大阪体育大学の練習に参加。投手陣に帯同し、練習がとても楽しかったという。松平一彦監督には「部員全員の将来を考えてくれている人」という印象を受け、「ここしかない」と決めた。
スポーツ科学部では骨格、筋肉など身体の機能、バイオメカニクスを学びたいという。
右オーバースロー。ツーシーム、それぞれ2種類のカーブとカットボール、スプリット、チェンジアップを持ち、球速は最速144㌔。イップスが治った後は70イニング無四球で、「自分から崩れることがない投手」だと自己評価する。
3月23日から練習に参加し、ベンチ入りを目指す。硬式野球部での目標は「チームとしては連覇中の天理大学を倒して全国の神宮の舞台に立つこと。個人では155㌔を投げて、ドラフト、さらにはメジャー」だ。
文武両道にも強いこだわりがあり、「4年間、学業成績でトップに居続けて、卒業式で総代として謝辞を述べたい」と言い切る。夢の実現に向けて、4年間、全力で駆ける。
(大坪康巳)
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