早大水泳部/松本信歩『令和6年度卒業記念特集』
さらなる世界の高みへ
200メートル個人メドレーでパリ五輪に出場した松本信歩(スポ4=東京学芸大付)。世代のトップで活躍してきた松本だが、「自分はまだまだ」だとひたむきに練習を続ける。早大でチームとして戦う経験は松本を大きく成長させた。さらなる高みを目指す松本の4年間に迫る。
水泳を始めたのは5歳の時。幼稚園に水泳教室に通っている子が多かったことから、自分も通いたいと親に頼んだという。両親は積極的に練習に連れて行ってくれて、泳ぎを習得してからタイムを縮めていくまでにあまり苦労はしなかった。順調にタイムが縮んでいったため、水泳に熱中していった。入会したスイミングクラブは個人メドレーを重視しており、選手クラスに入ってからの昇級は個人メドレーのタイムが基準だった。そのため小さいころから200メートル個人メドレーを専門としている。小学校のころから全国大会に出場し、気が付いたら日本のトップを目指すレベルまで続けていた。スイミングクラブに入会し通っていた延長に今の松本がある。中学時代には初めて全国優勝を果たし、高校ではジュニアの世界大会の代表に初めて選出された。この時は直前のけがもあり、目標としていたメダル獲得には届かず4位と悔しい思いをしたが、もっと良いタイムで泳ぎたいと思わせてくれる経験となった。
順調に水泳の実力を上げていった松本だが、大学に入ってからパリ五輪まではシニアの世界大会の代表に入ることができなかった。国内の大会で2位までに入らなければ代表入りできないが、松本はわずかな差で3位や4位と、あと一歩で代表に届かない悔しさを何度も味わってきた。あとわずか0.4秒届かず代表を逃したときは、本当に悔しくてつらかったと語る。それでも小さいころからの夢だった五輪を目指して、ただひたむきに練習を続けてきた。そしてついに本命である200メートル個人メドレーで、パリ五輪代表入りを決める。初となる五輪に向けて調整を重ね、しっかりと調子を上げてきていたが、五輪はやはり厳しい舞台だった。決勝進出という目標には届かず、世界のトップスイマーとの実力差を痛感した。日本のトップレベルだけでなく、世界で戦えるレベルを目指さなければいけないと実感し、「まだまだこれではだめだと思った」大会だった。一方で海外選手とのふれあいや選手村での生活は新鮮で、世界が広がった良い経験だったと語る。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ