史上7人目となるアマチュア優勝の快挙 ダンロップフェニックストーナメント
初日をトップの松山英樹選手から1打差の2位につけると、2日目でトップに立つ。3日目も単独首位をキープし、最終日へ。最終日は後半一時スコアを落とす場面も見られたが、大崩れせず、16番と18番をバーディとし、最後まで首位を独走。大会史上日本人最年少優勝。ツアー史上7人目のアマチュア優勝の快挙を手にした。アマチュアでのプロツアー優勝は、日本大学関係者としては倉本昌弘(経済学部卒)以来二人目となる。
錚々たる顔ぶればかりの50回記念大会で首位独走優勝
杉浦選手は9月に行われた男子下部ABEMAツアーのダンロップフェニックストーナメントチャレンジ inふくしまで、同じ日本大学ゴルフ部の隅内雅人選手(国際関係学部1年)に競り勝ち下部ツアー初優勝、史上8人目となる下部ツアー優勝を果たし、今大会に主催者推薦で唯一のアマチュア選手として出場。
迎えた初日、トップの松山英樹選手に続き、1打差の7アンダーで単独2位と好スタート。2日目は風が強く難しい状況の中、杉浦選手は1番でダブルボギー、しかしそこから調子を取り戻し、終わってみれば6バーディ、1ボギー、1ダブルボギーの3アンダーにまとめ、トータル10アンダーで単独首位に立つ。3日目、この日も強風が吹き荒れる中、杉浦選手はハーフを終え4バーディ、1ボギーと好調を維持、後半は2ボギーも、18番でバーディを奪い2アンダーで終えトータル12アンダー。2位と4打差をつけ最終日をトップで迎えることとなった。
いきなりのボギースタートとなったが、そこから2バーディでハーフを終え1アンダー、トータル13アンダーで首位をキープ。史上7人目となるアマチュア優勝が目前に迫る。しかし後半、11番でダブルボギー、続く12番でボギーと、後続に2打差まで迫られる状況となる。
それでもここで大崩れしなかった杉浦選手、16番でバーディを決めると、最終18番でも再びバーディ。結果的に2位に3打差をつけ、最後まで首位独走のまま優勝を飾り、ツアー史上7人目のアマチュア優勝者となった。
杉浦選手は試合後、プロ転向を宣言。アマチュア最後と位置づけていたこの大会で優勝を飾り、日本大学所属として活動した4年間を有終の美で飾った。
「日大ゴルフ部」で自ら主将に立候補、決して楽ではない道を選んだ1年
今年5月、「後輩が先輩にアドバイスを求めやすい雰囲気づくりをするために、まずは自分が積極的にみんなに話しかけるようにしています」と、チームづくりでの工夫を話す杉浦選手は「チームでやるべきことも、例えばなんでも1年生に任せるのではなく、先輩である上級生たちが積極的に動くこと。そういう姿を後輩たちに見せることも、縦のつながりや信頼関係の構築につながると思って行動するようにしています」と、主将としてチームの基本方針を目指し実行していた。その努力はすぐに実を結ぶ。
関東大学春季Aブロック対抗戦で優勝を果たすと、6月に行われた全国大学ゴルフ対抗戦では1年生3人を加えた若いチームを、同じ4年生の出利葉太一郎選手(国際関係学部4年/沖学園)と共にチームを牽引し、日本大学に8年ぶり36回目の優勝をもたらした。
9月には、男子下部ABEMAツアーのダンロップフェニックストーナメントチャレンジ inふくしまで優勝を飾った翌週に行われた、パンパシフィック大学ゴルフスーパーリーグで、個人優勝を飾ると共に、チームを初の優勝に導いた。
日本大学ゴルフ部主将という責任と重圧のある立場を自ら選択し、日本大学ゴルフ部の基本方針である「日本大学の建学の精神に基づき、競技ゴルフというスポーツを通じ、心技体の向上をめざし、社会に貢献しうる人材育成を行う」を、その努力とマネジメント能力で、体現してきた杉浦選手。この経験が本大会の結果につながったことだろう。
杉浦選手コメント
「在学中のレギュラーツアー優勝をずっと目標にしていたのでとても嬉しいです。」
-日本大学ゴルフ部での4年間を振り返って、どのような4年間でしたか。また、プロ宣言をしましたが、今後の目標は?
「素晴らしい練習環境で練習をすることが出来、常に成長することが出来ました。プロとして優勝することが次の目標です。」
-日本大学ゴルフ部の後輩たちに一言お願いいたします。
「今年達成することが出来なかった団体戦全勝を達成出来るように頑張ってください。」
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ