私のミッション・ビジョン・バリュー2022年第11回 杉浦文哉選手「夢」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【ⒸMITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが2020年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

今季も選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
2022年第11回は杉浦文哉選手です。

(取材・構成 佐藤拓也)

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Q.今回のミッション・ビジョン・バリューを作るために面談されたと思うんですけれども、どのぐらい行いましたか?
「1回1時間ほどの面談を4回ぐらい行いました」

Q.自分の過去や原体験などを第三者に語ってみて感じたことは?
「自分の人生を振り返って、自分の原点とか、どういう思いでサッカー選手を目指したとか、サッカー選手になったかといったことを振り返り、あらためて選手としてどうなりたいのかを確認することができました」

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Q.まずミッションについて聞かせてください。「夢や感動を与える」とありますが、こちらの思いを聞かせてくださいと。
「自分がサッカー選手を目指したきっかけは地元の名古屋グランパスの試合を見たことです。スタジアムに行ったり、テレビで見たり、ファン感謝デーにも行きましたし、そういう触れ合いをしていく中で、自分は夢を持つことができました。実際にサッカー選手を見て、サッカー選手になりたいと思ったんです。さらにワールドカップで日本代表が戦ってる姿を見て感動をもらったこともありました。なので、サッカー選手になったからには、逆に自分がそういう思いを与えられるような存在になりたいと思っています」

Q.夢や感動をもらったのは名古屋のチーム全体からだったのでしょうか? それとも特定の選手からだったのでしょうか?
「小さい頃に好きだったのは玉田圭司さん。名古屋でも見てましたし、ワールドカップでブラジル代表相手に取ったゴールは今でも覚えてます。玉田さんの存在はすごく大きいですね。名古屋の選手はみんな好きでしたけど、玉田さんが一番好きでした」

Q.小学校1年生から名古屋のアカデミーに所属しました。Jリーガーになりたいとその時から思っていたのでしょうか?
「園児の時に名古屋のスクールにお母さんに連れて行ってもらったのがきっかけです。父がサッカー好きで、その影響もあって僕にサッカーをやらせようということになったんだと思います。その時にJリーガーになりたいという思いはそんなになかったと思います」

Q.アカデミーに所属していたら、トップの選手を身近に感じることができたのでは?
「吉田麻也選手とはジュニアの時に一緒に練習をしたことがあります。そういう選手がワールドカップで活躍している姿を見て感動しましたし、その影響は強かったです」

Q.高校を卒業してから明治大学に入るわけですが、この4年間は杉浦選手にとってすごく大きな4年間だったのでは?
「自分の人生の中で一番濃い時間を過ごしました。サッカーという面だけじゃなくて、一人の人間として一番成長できたという実感のある4年間でした」

Q.どういう面で成長できたと感じましたか?
「明治大学の栗田監督がいつも言っていたのは『明治大学サッカー部はプロの養成所ではない』ということ。チームとして毎年結果を出してて、毎年プロの選手をたくさん輩出していますけど、そこが一番の目的ではなくて、人間として成長をする場所だということを繰り返し言っていました。人として成長をする中の一部にサッカーがあるという考え方なんです。サッカーだけをやって4年間過ごすのではなく、人間的な成長を意識しながら毎日過ごしていろんなことに取り組んでいたことが、プロとしてのキャリアをスタートするきっかけにもなりましたし、このミッションのような考え方を持つことにつながりました。明治大学に行っていなければ、自分を軸に考える人間になっていたと思います。でも、サッカーは一人ではできないですし、今まで支えてくれた人がいますし、そういった人への思いも強く持たないといけないと思うようになりました」

Q.今年、水戸に加入してプロデビューを飾りました。実際、夢や感動を与えることを意識してプレーできていますか?
「試合に出られなかったり、結果が出なかったりとかありましたけど、その中でもやり続けることは大学時代からずっと続けてきたことだったので、目先のことに一喜一憂して落ち込むことはなかったです。もちろん悔しい思いはありましたけど、それをどうやって次につなげるかとか、どうやって成長につなげるかということをずっと考えてきました。その結果、シーズン後半あたりから試合に絡む回数も増えて、チャンスをもらった時にアシストやゴールという結果が付いてきたことによって自信を持てるようになりました」

Q.プロになって、観客の前でプレーして、子どもの時に見てた名古屋の選手の立場になったわけじゃないですか。あらためて、夢や感動を与える喜びを感じられているのではないでしょうか?
「見ている方たちに夢や感動を届けられている実感はそんなにないですけど、この立場になって、プロとしてのプライドというか、より強くなるとか、よりうまくなるとか、そういう思いが強くなりました。夢を与えられる立場になれたんですけど、それ以上に、よりもっと上のものを目指さないといけないという意識が強くなりました。水戸がJ1を目指して戦っている中で、個人としてもチームとしても現状の立ち位置に全然満足もできていません。そこにもどかしさを感じています」

Q.夢や感動を与えるられる選手ってどんな選手だと思いますか?
「ピッチの上ですごいプレーをすることも大事だと思いますけど、一番は全力でプレーしている姿を見せることであり、その上でレベルの高いパフォーマンスを見せることだと思います。あとはチームが勝つ姿を見せることも大事だと思います。もちろん負けても、見ている人たちを感動させることはできると思いますけど、やっぱり子どもたちが憧れるのは、どんなに苦しい状況でも頑張って勝つ姿だと思います」

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Q.次はビジョンについて聞かせてください。「夢や目標が持てる世の中」。この言葉の思いは?
「自分がいくら『夢を与えたい』と思っても、そういう世の中になっていかないと、実現に向けてアクションできない人たちがいたら、自分がやっていることは無意味になってしまう。なので、まずはそういう世の中になっていければいいなという漠然とした思いを言葉にしました」

Q.杉浦選手が今まで夢や目標を持って、プロになったという実感があるからこその言葉なのでは?
「両親がサッカースクールに連れて行ってくれたことがきっかけで、夢を叶えることができました。でも、そういう機会を得られることは当たり前じゃないんです。大学までサッカーを続けられたのも、両親をはじめ、指導者の方や周りの方々の支えがあったからこそなんです。もっと言えば、日本でサッカーをする環境が整っていたからだと思っています。今すぐに自分がそういうことに貢献できるかと言われると、難しいかもしれませんが、少しでもいいからその力になりたいと思っています。たとえば、先日、小学校に行く機会をいただき、子どもたち向けて授業をして触れ合うことがありました。そういう活動も含めて自分が少しでも日本のサッカーに貢献できればと思っています。サッカーでなくても、それぞれやりたいこととか、目標とか、夢を持てて、それを堂々と言える世の中が素敵だと思うので、そういう世の中にしていきたいなと思っています」

Q.ちなみに杉浦選手のキャリアを見ると、名古屋のアカデミーから明治大学を経てプロになるというエリート街道を走ってきたような印象があるんですけれども、挫折はあったのですか?
「ユースの時で言えば、トップチームに昇格したいという目標が叶いませんでした。高校卒業の時に1つ目の挫折を経験しました。同時に、その時期にはけがもしてしまって、トップに上がれない悔しさと重なって、かなりつらい思いをしました。そして、大学入学する時にも腰のけがで4〜5ヶ月ぐらいプレーすることができませんでした。けがが治ってからも思うようにプレーができなくて、なかなか試合に出ることができませんでした。明治大学はサッカーだけじゃなくて、人間性も追求するっていうところで、1、2年生は特に学ぶことが多く、サッカーどころではないという時期もありました。その時期に2度目の挫折を味わいました」。

Q.どうやって挫折から這い上がったのでしょうか?
「何回もやめたいと思いました。サッカーをやめたいというより、違うところでサッカーやりたいとか、明治のサッカー部ではもう続けられないと思った時期もありました。でも、4年後にプロになるという大学に入った時の気持ちを自分の中で軸としてブラさず持ち続けたことが大きかった。だからこそ、その挫折も乗り越えられたと思います。どの先輩も1、2年生の時は相当な苦労をしたという話を聞いて、そういう先輩の背中からも大きな影響を受けました。4年生になっても、試合に出られない選手がめちゃくちゃ頑張っていたり、就職活動しながらも最後まで諦めず必死にサッカーをしている選手がいたり、諦めるのはまだ早いと奮い立たせてくれる存在がたくさんいたんです。それも4年間で成長できた大きな要因でした」

Q.ちなみに大学時代は就職活動もしたのでしょうか?
「しました。内定ももらいました」

Q.それでもプロの道を選んだ?
「プロサッカー選手になることだけがすべてではないということは大学4年間通して学んだことでした。それ以外の道に進んで活躍している先輩もいましたし、世界は広いと感じていました。高校までサッカーだけしかやってこなかったので、それ以外の道を考えたことはありませんでしたけど、就職活動を通して、サッカー以外の世界の広さを知ることができました。プロになれなかったら、別の世界で頑張ろうというぐらいの割り切りを持って取り組んでいました」

Q.就職活動を通して得るものは大きかった?
「大きかったですね。世の中にはどんな仕事があって、どういう会社があるのかを調べていくと、魅力的な仕事をたくさん見つけることができました。でも、やっぱり自分はサッカーで多くの人に感動を与えたいという思いが強くなりました。多くの観客が入った中でプレーして、一つのゴールや一つの勝利で多くの人と一緒に喜べる仕事はスポーツ選手以外ないんですよ。もちろん、見ている人にいろんな感情を与えることもできますが、自分がもらうものも大きい。ずっと続けてきたサッカーで、それができれば幸せなことだということを、就職活動を通して再確認することができたんです。サッカー選手じゃなきゃ駄目な理由とか、サッカー選手だからこそできることというのが自分の中で整理されました。なので、僕だけではなく、多くの人がそういう夢や目標を持って活動できるような社会になってもらいたいと思っています」

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Q.次はバリューについて聞かせてください。1つ目が「常に100%」。
「どんな立場でも常に100%でやり続けることが周りの人たちにポジティブな影響を与えると思いますし、自分に返ってくるものも大きいということを大学時代に学んだので、それを自分の価値として持っておきたいと思っています」

Q.プロ1年目で出場機会に恵まれない中でも常に100%でトレーニングし続けたからこそ、リーグ後半戦でコンスタントに出場機会を得ることができるようになったように思います。
「チャンスはどこに転がってるか分からないので、日ごろからしっかり準備している選手じゃないと、急に訪れたチャンスで結果を残せないと思うんですよ。そこは大事にしていますし、どんな状況でも100%でやっていれば、何かしら得るものはあると思っています。むしろ、悪い時にどれだけできるかが大事なんだと思います。いい時は多分誰でも気持ちよくプレーできると思うんですよ。悪い時にどのように振る舞うかがその後に繋がると思っています」

Q.2つ目は「自分の立場、役割でできることを全うする」とありますが、こちらはいかがでしょうか?
「明治大学の4年間で感じたことなんですけど部員が60人もいると、どんなに自分がいいと思っていても、特に下級生の時は試合に出られない時もあります。そういう時に一人でも違う方向を向いている選手がいると、本当の意味で強いチームにはなれないことを学びました。試合に出られない中で荷物運びなどの雑用を経験しました。プロの世界でも練習の中で全員が100%で取り組むんですけど、メンバーに選ばれなかったからといってふてくされる選手がいるチームと、全員がまた次の試合に向けて頑張っているチームとでは全然違うと思うんですよ。メンバー外の時にスタジアムに行ってどういう振る舞いをするのかも大事で、チームとしてその試合にかける強い思いがありますし、観客やサポーターのみなさんもいますし、スポンサーの方々がいる。そういう状況下で自分の立場を理解して、できることをしっかりやるということを僕は大切にしています。なので、バリューにしました」

Q.3つ目は「どんな状況でもブレずにチャレンジする」。こちらはいかがでしょうか?
「チャレンジすることを自分は大事にしています。僕は失敗したらどうしようとか、どう見られるんだろうといったことを結構気にしちゃうタイプなんです。なので、こうやって言葉に残すことによって、そういう姿勢を見せないといけないぞと自分に言い聞かせるためにこの言葉を選びました」

Q.杉浦選手の意志の表れですね。
「やってみないと成功も失敗もない。失敗から学ぶものもあるし、まずはやってみることが大事だと思うので、チャレンジする姿勢を大切にしていきたいと思っています」

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Q.では、スローガンについて聞かせてください。「夢」。シンプルな言葉ですが、この言葉に込めた思いは?
「サッカーを通して、自分は夢をもらって、夢を叶えようと努力してきました。自分が小さい頃にもらったものを、今度は自分が与えられるようになりたいと思っています。自分もまだ夢を追いかけている段階なので、自分が夢を追いかける姿を見せて、それを見た子どもたちに夢を持ってもらえるような選手になっていきたいと思っています」

Q.プロになって、さらに夢が広がった?
「それが更新されてどんどん大きくなっています」

Q.今の杉浦選手の夢とは?
「水戸でJ1に昇格することです。プロになった当初は水戸でJ1昇格するという目標を言っていましたけど、当時は口先だけだったなと感じています。このチームで戦ってきて、本当に水戸でJ1に昇格したいという思いが強くなりました。このクラブがJ1に昇格したら、すごい反響を呼ぶと思うんですよ。それだけ大きなことをやろうとしている自覚や覚悟を1年間戦ってきて持つことができました」

Q.J1昇格の難しさも理解し、そして、そのために必要なことも分かってきた?
「プロの世界が厳しいことは分かっていましたけど、その厳しさを体感したからこそ、より強く目指したいと思うようになりました。その思いはクラブの中にいる人間だけじゃなくて、サポーターのみなさんも心から望んでいる。それをみなさんと接して知ることができたのも自分にとって大きかった」

Q.「水戸でJ1昇格したい」と強く思うようになった理由は?
「クラブとして着実に昇格に向けた準備ができてきていることが大きいですね。そういう期待感を、この1年間通して、僕はすごく感じることができたんです。もちろん、そんな簡単にはいかないことは分かっていますが、このチームでチャレンジしたいという思いがより一層強くなりました」
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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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