始まりはいつも無印、そこから咲かせた花〜海士広大が桜のジャージをつかむまで〜
【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
味方のボールキャリアにサポートに入り1メートル、2メートルと、味方を前へと押し出す。
スクラムでは第一列として相手と対峙し、ラインアウトでは大男を持ち上げる。
このひとは試合中ずっと身体を張って働き続けている。そう思って注目したのが海士広大選手だ。
派手なビッグゲインではない。相手を吹き飛ばす驚愕の強さでもない。
地味で、痛くて、しんどいプレー。172cmのプロップは、それを高いワークレートでやり続ける。
ピッチを離れれば、ユーモアと愛嬌ある言動やふるまいでファンに愛される海士選手。
この夏、NDSに選出され日本代表として初キャップも獲得した。
だが、地道なプレースタイルからか、ご本人の控えめな性格からか、メディアで取り上げられることが少ない。
それでは…ということで、オレンジリポーターが取材した。
※NDSとはナショナル・デベロップメント・スコッドの略で、将来的に日本代表として活躍が期待されるポテンシャルを持った人材を招集した日本代表候補選手のことです。
海士広大(かいしこうた)/1994年10月7日生まれ(27歳)/大阪府出身/身長172cm体重102kg/常翔学園高校⇒同志社大学⇒クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(2017年入団)/ポジションはプロップ 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
初めてのトライは「後ろ向き」で置いた
部活動体験をさせてもらい、誘われた。
「やってみようって。身長も170cmくらいあって、体重も80kg後半くらい。体格には恵まれていたんです。」
始めた当初はルールも詳しく知らなかった。
「何が分かるっていったらパス前に投げたらあかんってくらいしか分からんくて。トライの時も、前に置いたらあかんって思って、ちゃんと後ろ向きに置いたっていう。ファーストトライは後ろ向きのトライでした。(笑)」
当たり勝つのが気持ちいい
2年生で「ちょこちょこ」試合に出られるようになる。最初はCTBだった。
「パスとかせずに突っ込むっていうセンターやったんで(笑)。パス回らんからどうやろ?ってことでプロップにコンバートして、そこからずっとプロップやってます。」
海士少年はコンタクトプレーに魅力を感じていた。
「当たり勝った時に気持ち良いなって。チーム内であれば負けることはなかったので。」
それでも対外試合では、フィジカルの強いチームには負けることもあった。
「もっと強くなりたいなと思って、高校でラグビーを続けようと思いましたね。」
無名の新入生は2年でレギュラー、そして花園優勝メンバーに
進学した常翔学園のスポーツクラスには、スポーツ推薦の生徒たちがひしめいていた。
「すごい名だたる選手ばかり、中学校選抜とか入ってるやつらばっかやったんで。最初はすごい居づらかったですよね。無名のやつっていうのが少なくて。」
だが、仲間とうちとけるのは難しくなかった。
「クラス3年間ずっと一緒なんで。授業も一緒やし、練習も一緒やしっていう。で、担任も野上先生(ラグビー部監督)なんで。密な3年でした。」
ラグビーの実力も、早くに認められた。
「2年生でスタメンに選んでもらって。その頃は3番のタイトヘッドをやってたんです。」
一級上の岡田一平選手が3年生にいたこの年、常翔学園は花園で4強に入る。
3年生では貴重な体験をした。ニュージーランド留学メンバーに選ばれたのだ。3か月間現地の学校に通い、現地のチームで試合にも出た。
「いい経験になりましたね。(NZのチームメイトは)ラグビーをすごい楽しんでるんで。」
もっと自由にラグビーを楽しむ。そこに気づいた高3の冬、常翔学園は17大会ぶりに花園で優勝する。
「監督が勧めたから」同志社大に
進学先にはこだわりがなかった。
監督に進学を相談したら、同志社大学を進められた。
同志社大学では、早くも1年生からリザーブで公式戦に出場する。
スターティングメンバ―には、1番に北川賢吾選手、3番に才田智選手がいた。現在、共にスピアーズでスクラムを組み合う先輩たちだ。
「僕はいちおう両方…1番3番できたんで、疲れた方と替わるみたいな感じで。」
大学1年から出場できた実力には、高校時代の鍛錬の裏付けがあった。
「常翔学園ってスクラムにこだわるチームで、すごい組むんですよね。夜遅くなって、暗くなって、周りが見えない時でも組まされる。スクラムも鍛えられた高校時代でした。」
「北川さん抜けてからは1番でずっとやってて。才田さんが抜けた最上級生になった時3番に。
才田さんがスクラムの要やったんで、そこをカバーするひとがいなくて。『やらしてください』って頼みに行って。」
スピアーズへ
北川選手、才田選手の背中を追って、海士選手は2017年4月にクボタスピアーズに入団する。
公式戦初キャップはその年の12月、17番での出場だった。
「なかなか試合に出られる気もしてなかったですし…トップリーグの強度でスクラムを組める自信もあまりなかったです。それでも激しいプレーとか、相手が嫌がるプレーとか、自分の持ち味でフランヘッドコーチにアピールできたことで、ファーストキャップが取れたと思います。」
翌2018年、初めて1番でスタメン出場を果たす。
「嬉しかったですね。強力なライバルの北川さんがいて、スクラムの面でかなうのはなかなか厳しいかなと思って、北川さんにない部分をしっかり磨きました。ラックをめくり上げたりとか、細かいプレーなんですけど。相手が嫌がる、自分のチームの士気が上げられるようなプレーを。」
その後コンスタントに出場し続けていることは、ファンの知るとおりだ。
公式戦デビューは、2017年12月3日の宗像サニックスブルース戦でリザーブとして出場 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
NDSから桜のジャージ
「(合宿は)練習もメリハリがあって、休憩時間とかも短くて。しんどい練習だったんですけど、みんなレベルが高くて、緊張感もあるんで。常にプレッシャーがかかっているというのがありましたね。そこで練習できたことはすごい良かったと思います。」
ウルグアイ戦で、ついに日本代表の初キャップを獲得する。
「スクラムを見てもらえたっていうのが、一番大きかったと思います。その次に、ボールへのからみ。無駄走りをせずに、ブレイクダウンとか、そこで仕事をすることを見てもらったと思います。
ファーストキャップってことで、緊張したんですけど…すごいうれしいなぁという、素直な気持ちになりました。」
「(桜のジャージを渡された時は)すごい緊張して…手汗が凄くて。ヘッドコーチの堀川さんから言われましたね。『お前手汗すごいな〜!緊張してんなぁ』言うて。(笑)
(キャップは)うれしかったですね。まさか自分がもらえるとは思ってなかったんで。」
課題はリーダーシップと発信すること
これからスピアーズでも日本代表でもコンスタントに活躍するために、ご本人は何が必要と思っているのだろう。
「代表の人達を近くで見たら、リーダーシップを取れる選手がいるんです。自分はリーダーシップ取るのが苦手なんで…。チーム内での練習でもハドル(円陣)を組んだときに発言するひとって限られていて、今はハルさん(立川理道選手)とかナード(バーナード・フォーリー選手)とかに頼ってしまっている状況。チーム内でも自分からアドバイスとか、ちょっとずつ発信していければ、またひとつ成長できるのかなと思います。」
オレンジアーミーにメッセージをお願いします
「僕らが入った当初って、お客さんはもっと少なかったです。会社の人達がオレンジのビブス着て応援してくれてるとかやったんで…。今の若手選手とか全然想像できないと思うんですけどね。
今はホームのえどりくを一杯に埋めてくれるオレンジアーミーの方たちがいるんで、すごい嬉しいことです。
えどりくだけじゃなくて、もっと大きいところでもオレンジに染められるぐらい、オレンジアーミーの方を増やしたいなと思いますし、その方たちに恩返しできるように、プレーであったり、試合の結果であったりで、返していけたらなと思っています。
来シーズンは昨シーズンよりもっと濃い応援お願いします!」
いつも一番手ではない場所からスタートし、目立たなくても、しんどくても、誰かがやらなくてはいけない仕事を高い水準でやりとげる。その仕事ぶりを認められた縁の下の力持ちは、桜のジャージに袖を通した。
海士選手にぜひご注目いただきたい。
献身的に身体を張る彼のプレーに、きっと胸が熱くなるに違いない。
文 :クボタスピアーズ船橋・東京ベイ オレンジリポーター からすち
写真:チームフォトグラファー 福島宏治
昨シーズンのチーム内での別府合宿の様子。9月には同じ別府市内で日本代表候補合宿が行われる。その合宿に召集されるかはまだ発表前だが、日本代表としてさらに経験を積むことを期待したい 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】
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