室伏 広治 スポーツ庁長官インタビュー 東京オリンピック・パラリンピックで証明されたスポーツによる社会貢献

笹川スポーツ財団
チーム・協会

【フォート・キシモト】

長年、世界を代表するハンマー投げ選手として活躍された室伏広治氏。オリンピックには2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンと4大会連続で出場し、アテネでは金メダル、ロンドンでは銅メダルを獲得しました。

また、日本選手権では前人未踏の20連覇を達成するなどの功績を残しています。2014年には東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のスポーツ局長兼スポーツディレクターに就任。競技運営の責任者として大会準備に奔走されました。2020年10月にスポーツ庁長官に就任され、現在は日本スポーツ界のリーダー役をお務めになっています。その室伏氏に東京オリンピック・パラリンピックのレガシー、そして今後の日本スポーツ界についてうかがいました。


聞き手/佐野慎輔
文/斉藤寿子
写真 /フォート・キシモト、室伏 広治、スポーツ庁
※本記事は、2022年2月に笹川スポーツ財団ホームページに掲載されたものです。

日本スポーツ界の重要なターニングポイントに

東京2020オリンピック閉会式。(2021年/国立競技場) 【フォート・キシモト】

2014年から組織委員会のスポーツ局長兼スポーツディレクターを務め、2020年10月からはスポーツ庁長官としてご尽力された東京オリンピック・パラリンピックにはどのような感慨を持たれていらっしゃるでしょう。

東京オリンピック・パラリンピックは、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、歴史上初めて1年延期となり開催された大会でした。開会式を迎えるまで、選手たちは「本当に開催されるのだろうか」という不安が拭えなかったと思います。また、大会を運営する側も「コロナ禍の中でどのようにすれば、安心・安全に開催することができるだろうか」という大きな課題を抱えながら準備を進めてきました。特に最初は、新型コロナウイルスがどういう特徴のあるものなのかが不明確で、対応の仕方を考えるにも困難を極めたと思います。そういう中で国民の皆さまのご協力のもと、無事に大会を開催することができ、安堵の気持ちが一番強かったです。

最も印象に残っているシーンはどのようなものでしたか?

どれも素晴らしいものばかりでしたので、選ぶことはできません。オリンピックでもパラリンピックでも、アスリートが全力を尽くしている姿に感動しましたし、「スポーツっていいな」と改めて感じることがたくさんありました。

東京オリンピック・パラリンピックで遺されたレガシーをどのようにお考えですか。

オリンピック・パラリンピックが一体となり、ダイバーシティ(多様性)の推進が図られた大会として開催されたこと。また、アスリートがコロナ禍という大変な状況も乗り越えられるということを示してくれて、それに勇気と感動をもらえたこと。それらすべてがレガシーであり、日本がスポーツ文化を成熟させていくうえで、非常に大きなターニングポイントとなった大会だったのではないかと思います。

難しい調整が求められた競技スケジュール

スポーツディレクターとして会議に臨む。(2020年/東京) 【フォート・キシモト】

室伏長官は、スポーツディレクターに就任されて以降、約7年間、東京オリンピック・パラリンピックの開催準備にあたってこられました。東京大会にとっては重要な局面の連続であったと思います。

東京オリンピック・パラリンピックは、歴史上大きな転換期を迎えた中で行われた大会だったと思います。IOC(国際オリンピック委員会)の総会でも、史上初のジェンダー・バランスのとれた大会にするということで、参加するアスリートや種目の男女の比率を等しくするなど、さまざまな施策が発表されました。そうした変遷の時期に、競技運営の責任者として深く関わることができたのはとても光栄なことでした。

IOCがさまざまな施策を図る中、各競技のIF(国際競技連盟)や各国のNF(国内競技連盟)からの要求も多くあったと思います。その全てを納得する形にもっていく舵取りにはご苦労されたのではないでしょうか。

スポーツディレクターとして最も時間を費やした交渉の相手は、海外においてはIFでした。まず、どのIFにとっても、4年に一度しかないオリンピック・パラリンピックは、その競技の生き残りをかけた闘いの場でもあります。いかに多くのチケットを売り、集客できるかは非常に重要で、だからこそ自分たちの競技をうまくプロモートする必要があります。そのために、数多くの観客の座席数が欲しいなどという要求等が、たくさん来ました。

しかし、組織委員会としては予算も含めてリソースが限られた中で大会を運営しなければなりませんので、当然、すべての要求を受け入れるわけにはいきません。そのため、IF同士の奪い合いになったりもしたのですが、競技運営の責任者としては、まず第一にアスリートが競技をするうえで本当に必要なものは何かを見極めること。そしてそれを、IFにご理解いただくために、粘り強く交渉していくことが求められました。その中で必要とあらば、交渉先のIFの国にまで出向いて、交渉したり、説明をしたりして、理解していただくこともありました。やはりメールや電話よりも、直接顔を合わせてお話する方が、こちらの誠意も伝わると思いましたので、丁寧に進めていきました。苦労も多かったことは確かですが、とても貴重な経験になったと思っています。

アスリートのパフォーマンスを第一に考えての交渉では、ご自身がアスリート時代に経験してきたことが生かされた事も多々あったと思います。

交渉相手としても、私が元アスリートであるからこそ、説明にも耳を傾けてくれた部分もあったかと思います。ただ、私が元アスリートということとは無関係に容赦なく要求してくるIFがほとんどでした。

準備を進めていく中で、思い描いていた東京オリンピック・パラリンピックの姿があったと思います。実現できたこともあれば、コロナ禍ということもあって理想通りとはいかなかったこともあったと思いますが、いかがでしたか。

コロナ禍になる前の2019年の夏、本来なら東京オリンピック・パラリンピックの開催1年前だった頃、IOCのトーマス・バッハ会長が視察に来日されました。その際「これほど準備ができた大会は見たことがない」と言われたほど、しっかりと準備が進められていたんです。ところが、その後にコロナ禍となり、開催自体が危ぶまれたわけですが、日本だったからこそ延期という前例のない事態にも対応することができたのだと思います。

競技スケジュールに関しては、そっくりのそのまま1年ずらすだけで済みましたが、スポンサーなどとの契約を延長したり、新たにコロナ対策も図らなければならなくなりましたので、過去にはない厳しい状況に置かれていました。それでも無事に開催することができましたし、今回の知見が今後さまざまな大会やイベントに生かされていくという点でも非常に良い経験になったと思います

大会1年前(延期前)に来日したバッハIOC会長。 【フォート・キシモト】

コロナ禍で準備をするにあたって、どんなところに腐心されたのでしょうか。

例えば競技スケジュールを決めるにあたって、開催国の日本としては大勢の人に見てもらわなければ自国で開催する意味も半減してしまいますので「この時間にこの競技をやりたい」という主張があるわけです。しかし、アメリカを筆頭に世界各国に東京オリンピック・パラリンピックの放送権を持つテレビ局がありますので、いくら開催国とはいえ、日本の意見がそのまま通るものではなく、調整が必要でした。各国のテレビ局と直接交渉するのは、OBS(オリンピック放送サービス:IOCの傘下にある組織で、オリンピック・パラリンピックのホストブロードキャスター。組織委員会、IOC、放送権をもったテレビ局と協力しながら、テレビ・ラジオ番組の制作を監督している)ですので、私たち組織委員会はOBSを通してテレビ局と調整していったわけですが、いずれにしてもその国のスター選手の競技を、自国のゴールデンタイムに放送したいのはどこのテレビ局も同じで、その中で良い方法を最後まで模索していくという作業が続きました。
また、競技会場によっては「この時間帯では、試合が終わった時には終電に間に合わない」という問題もありましたので、こうした点も踏まえて調整が必要とされました。しかも、競技期間はこれまでと同じ日数の中、オリンピックは過去最多の33競技339種目が実施され11,092人の選手が参加、パラリンピックは22競技539種目で過去最多の4403人の選手が参加しました。これをさまざまな条件をクリアさせたうえで、各国のテレビ局にもある程度納得していただかなければいけませんでしたので、競技スケジュールの調整は一筋縄ではいきませんでした。もちろん私一人の力ではなく、組織の力でやり遂げられたことでした。その結果、オリンピックもパラリンピックも、毎日のようにメダリストが誕生するといった、日本にとってもバランスの良い競技スケジュールをたてることができました。

確かに、日本にとっては毎日、話題に事欠かない日程となっていました。その意味では開催国の利点となったわけですが、反面、コロナ対策には苦労されました。

私がスポーツ庁長官に就任するにあたって、2020年10月1日から組織委員会のスポーツディレクターを務めていただいた小谷実可子さんは、新型コロナウイルス感染症の対策において非常にご苦労されたと思います。新型コロナウイルス感染症が世界中に蔓延し、パンデミックとなった中、当時は「本当に東京オリンピック・パラリンピックが開催されるのだろうか」あるいは「この状況で東京オリンピック・パラリンピックを開催していいのか」という不安が広がっていました。そうした中、「安心・安全な大会」の開催実施に向けて、奔走していらっしゃいましたので、無事に開催することができて本当に良かったと思います。

スポーツディレクターを務めた小谷実可子氏。(2021年/国立競技場) 【フォート・キシモト】

新しい時代の楽しみ方が生まれた大会に

無観客の柔道試合会場。(2021年/日本武道館) 【フォート・キシモト】

東京オリンピック・パラリンピックは原則として無観客で行われました。元アスリートである室伏長官から見て、パフォーマンスに大きな影響はあったと考えられますか。

何千、何万人もの観客席を持つスタジアムやアリーナで競技をする一番の意義は、観客にパフォーマンスを見てもらうということだと思います。また会場の雰囲気というのも、観客と一体となって作り上げていくものです。そう考えると、やはりアスリートにとって観客がいるのといないのとでは、意味合いが違ったと思います。

現役時代、観客からの声援や拍手が力になったと感じられていましたか?

観客が直接的にアスリートのパフォーマンスに関わるというよりも、例えばアスリートの最高のパフォーマンスを引き出す要素の一つとして、オリンピックやパラリンピックが持つ独特の会場の雰囲気があると思います。その雰囲気を作り出すためには、アスリートはアスリートのパートがあり、観客には観客のパートがあるんです。それが合わさって、あのような緊張感と高揚感のある会場の雰囲気が作られていくので、やはりアスリートのパフォーマンスには、観客が非常に重要な要素の一つだということが言えるのではないでしょうか。

そういう意味では、無観客で開催されなければならなくなった東京オリンピック・パラリンピックは、とても残念でした。

ただ、テレビやインターネットを通して見てくださった方がたくさんいらっしゃいました。もちろん競技会場に足を運んで生で見るのが一番ですが、好きな時に好きな競技を見ることができるテレビやインターネットというツールは、今の時代に合っていますし、これはこれで新しいオリンピック・パラリンピックの楽しみ方だったと思います。おそらくこれからは、こうした楽しみ方がさらに成熟していくのだと思いますので、東京オリンピック・パラリンピックはそのスタートとしても、大きな意味があった大会になったのではないでしょうか。

大会期間中にオーストラリアのコルベック・スポーツ大臣(当時)と会談。 【スポーツ庁提供】

東京オリンピック・パラリンピックでは、大会開催前も開催期間中も、選手に対するSNSでの誹謗中傷が多く、大きな問題となりました。インターネットが普及した社会においては避けられない問題だと思いますが、スポーツ庁としてはどのようにお考えでしょうか。

SNSの問題はスポーツ界に限らず、一般社会においても非常に大きな問題になっていますので、関係省庁とも連携を図り、法整備も含めて被害が大きくならないように政府全体で取り組んでいくことが重要かと思います。一方、アスリート自身もSNSとうまく付き合っていかなければいけないと思いますので、専門家からの指導を受ける機会も必要だと考えています。

共同通信の開催後の世論調査によると、オリンピックは62.9%、パラリンピックは69.8%の人が、「開催して良かった」と評価しています。また、2021年12月に公表されたNHKの世論調査によれば、1年延期をして2021年7月から東京オリンピック・パラリンピックが開催されたことについて、「開催して良かった」と答えた人は52%でした。こうした高い評価を得られた要因の一つとして、無観客でもテレビやインターネットで多くの試合が見られたことが挙げられるのではないでしょうか。

おっしゃる通りだと思います。コロナ禍で在宅の方がたくさんいらっしゃったこともあったかもしれませんが、いずれにしても全国にわたって大勢の方に東京オリンピック・パラリンピックを見ていただけたことは本当に良かったです。

東京オリンピック・パラリンピックの真の成功とは

世界陸上ドーハ大会の女子マラソン競技。(2019年/カタール) 【フォート・キシモト】

東京オリンピック・パラリンピックは、開幕前からさまざまな問題が浮上し、紆余曲折を経ての開催でした。その一つが東京オリンピックのマラソン・競歩の会場の札幌への移転がありました。
東京オリンピックが予定通り2020年に開催されていれば、開幕まで9カ月に迫った時点での突然の会場変更でしたが、これはどういういきさつがあったのでしょうか。


2019年ドーハ世界陸上競技選手権大会におけるマラソンや競歩では高温多湿の競技環境により、棄権する選手、体調を崩す選手が多数でてしまいました。

そのため、ドーハと同じ高温多湿である夏の東京でのマラソンや競歩を実施することへの懸念が高まり、熱中症などのことを踏まえて札幌に競技会場を移すという提案が出されたというふうに伺っています。IOCとしては準備の段階で、アスリートのコンディションのことを一番に考えて、でき得る限りの策を講じたのだと思います。

ただ実際に対応しなければならない開催国に対し有無も言わせず、IOCの鶴の一声ですべてが決まってしまうという現在の体制では、自国開催の負担があまりにも大きいように思います。そのあたりも踏まえて、オリンピック・パラリンピックの将来的なあり方についてどのように思われますか。

オリンピック・パラリンピックは、長い歴史を紡いできた中で、IOCも伝統的な部分ばかりを追うことなく、常に「現代にあった形」をいろいろと模索してきたと思います。というのも、例えばサッカーには4年に一度ワールドカップというオリンピックにも並ぶ世界的人気を誇る国際大会があります。また、テニスやゴルフは毎年4大大会が開催されていますし、陸上や水泳なども2年に一度、世界選手権が行われるなど、各競技で「世界最高峰の大会」があります。そうした中、オリンピック・パラリンピック独自の価値を、IOCも明確にする必要があります。
今回の東京オリンピック・パラリンピックでは、オリンピックとパラリンピックを一体化し、ダイバーシティの推進を図ることで、誰もがスポーツを楽しめると示すことができました。世界が今、求めている社会問題の解決にも貢献した部分は決して小さくはなかったと思います。

さまざまな意味合いから、東京オリンピック・パラリンピックは、今後のオリンピック・パラリンピックの指針となるように思いますが、やはりパラリンピックの存在意義がとりわけ大きかったといってもいいでしょう。まさに「パラリンピックの成功なくして、オリンピックの成功なし」だったのではないでしょうか。

スポーツ庁では、オリンピック・パラリンピック一体での選手強化を図ってきました。その一つとして、2019年には東京都北区のハイパフォーマンススポーツセンターに、オリンピック競技・パラリンピック競技の一体的な拠点として「ナショナルトレーニングセンターイースト」を拡充整備し、これにより、オリンピック選手とパラリンピック選手が同じ場所でトレーニングに励むことができるようになりました。そうした中で、お互いに刺激をし合った部分もあったかと思います。
スポーツ界でこうしたインクルーシブな取り組みができることを示したことで、一般社会でも同じような現象が生まれてくると、東京大会のレガシーの一つと言えるのではないでしょうか。スポーツ庁としても取り組んできたオリ・パラ一体の理念が、東京オリンピック・パラリンピックを契機として、広く社会に浸透していくことが望まれます。

新設されたナショナルトレーニングセンターイーストの全景。(2020年/東京) 【フォート・キシモト】

スポーツ庁として取り組むべき「情報の平等化」

スポーツ庁長官として初登庁(2020年/東京) 【スポーツ庁提供】

2020年10月1日付で、2代目のスポーツ庁長官に就任されましたが、打診はいつ頃あったのでしょうか。

ほとんど直前のタイミングでした。私は組織委員会の方で約7年にわたって東京オリンピック・パラリンピックの競技運営の責任者を務めていましたので、当然最後までまっとうするつもりでいました。新型コロナウイルス感染拡大で東京オリンピック・パラリンピックが1年延期となったことを受け、翌年の開催を見届ける心づもりでいたんです。ですので、スポーツ庁長官就任の話をいただいた時は非常に驚きもありました。

ただ、5年間にわたってしっかりと基礎を築かれた初代スポーツ庁長官の鈴木大地氏には足りませんが、少しでもお役に立てるのであればということでお引き受けいたしました。

所信表明では、「感動してもらえるスポーツ界を目指したい」という言葉がありました。その原点は、室伏長官ご自身が初めて父上の出場された1984年のロサンゼルス大会をご覧になった事にあると聞いたような記憶があるのですが…。

オリンピックの一番最初の記憶は、日本人選手にとって「幻のオリンピック」となった1980年モスクワオリンピック(1979年12月にソビエト連邦<現ロシア>のアフガニスタンへの軍事侵攻に抗議するため、当時ソ連と冷戦状態が続いていたアメリカがモスクワオリンピックへのボイコットを提唱。日本も不参加を決定し、日本選手団の派遣を中止した大会)のテレビ中継を見た記憶があります。

ただ強く印象に残っているのは、やはり父親(室伏重信。日本のハンマー投げの第一人者で日本選手権10連覇、アジア大会5連覇などの偉業を成し遂げた。オリンピックには4大会に出場し、1972年ミュンヘンオリンピックでは8位入賞)の姿を現地のスタジアムで生で見た1984年のロサンゼルスオリンピックですね。子どもながらに感動しまして、「いつか出てみたいな」と思いました。それが現在の原点になっているところは少なからずあると思います。

ロサンゼルスオリンピックでの父・重信氏。(1984年/アメリカ・ロサンゼルス州) 【本人提供】

そうした経験をされて、自らアスリートして活躍され、いまスポーツ行政の中心であるスポーツ庁長官として、今後どのような取り組みをされていくおつもりでしょうか。例えばスポーツ庁が中心となった「インクルーシブな取り組み」などはいかがですか。

スポーツ庁として重要なことは、スポーツによって偏りがないようにしていくことだと考えています。オリンピック競技、パラリンピック競技だけがスポーツではありません。私自身がまだ詳しく知り得ていないスポーツがまだまだたくさんあります。そうした中で、スポーツ庁としては「情報の平等化」を図り、オリンピック競技、パラリンピック競技に関わらず、すべてのスポーツの情報を平等に行き渡らせる必要があると思います。それこそ、東京オリンピックで初めて正式競技に採用されたアーバンスポーツ(スケートボードやスポーツクライミングなどの都市型スポーツ)や、ボッチャ、ゴールボールといったオリンピックにはないパラリンピック独自の競技などは、東京オリンピック・パラリンピックで初めて知った、見たという人も少なくなかったと思います。こうしたことも踏まえて、スポーツ庁としては、あらゆるスポーツの情報が行き渡るようにしていく取り組みをしていきたいと考えています。

ボッチャ団体準決勝でタイと戦う日本代表チーム。(2021年/有明体操競技場) 【フォート・キシモト】

東京オリンピック・パラリンピックに向けて、オリンピック・パラリンピック教育も進められてきましたが、今後はどのようにして継続していくことになるのでしょうか。

これは、まさに「第3期スポーツ基本計画」(2022年度から5年間の国のスポーツ施策に関する指針)の話になりますが、もちろん東京オリンピック・パラリンピックで終わりではなく、引き続き国の施策として取り組んでいきます。これまで行ってきたオリパラ教育をどのように今後行っていくか、「第3期スポーツ基本計画」の審議会で議論を重ねているところです。

組織委員会では、スポーツを通じて誰もがいきいきと活躍できる共生社会の実現に向けた活動「東京2020D&Iアクション」(「多様性」を意味する「Diversity」と「包括・包含」を意味する「Inclusion」)を推進してきました。活動の母体となって取り組んできた組織委員会が解散した後は、どこが引き継ぐのでしょうか。

これは、どこか一つの組織がというよりも、スポーツ庁を含め、JSC(日本スポーツ振興センター)、JSPO(日本スポーツ協会)、JOC(日本オリンピック委員会)、JPC(日本パラリンピック委員会)など、スポーツ界全体で継承していくことになるのだと思います。


※本記事は、2022年3月に笹川スポーツ財団ホームページに掲載されたものです。

1964東京オリンピックの聖火台磨きをする室伏氏(右端)と子どもたち。(2021年・国立競技場) 【フォート・キシモト】

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著者プロフィール

笹川スポーツ財団

笹川スポーツ財団は、「スポーツ・フォー・エブリワン」を推進するスポーツ専門のシンクタンクです。スポーツに関する研究調査、データの収集・分析・発信や、国・自治体のスポーツ政策に対する提言策定を行い、「誰でも・どこでも・いつまでも」スポーツに親しむことができる社会づくりを目指しています。

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