カンビー(スティーブ・カンバーランドヘッドフォワードコーチ)、ありがとう

チーム・協会

【コベルコ神戸スティーラーズ】

4月17日、カンバーランドヘッドフォワードコーチが急逝した。
選手たちに報告されたのは、翌日の18日。
2日前には、埼玉・熊谷で行われた埼玉パナソニックワイルドナイツ戦にも帯同していたし、この週の全体練習もグラウンドに立っていた。
まだ57歳。誰もが「カンビーが亡くなった」という事実を受け入れることができなかった。「嘘やろ…」と皆が言葉を失った。
カンバーランドコーチがチームを指導するようになったのは、2008年シーズンから。当時、入団3年目で1年目からレギュラーとして活躍していたPR平島選手は「スクラムを組む時の手や足の位置などを教えてもらっています。スクラムについて、こと細く指導してもらったのは初めてのことなので、すべてが新鮮です」と目を輝かせていたっけ。その年の秋に平島選手は、日本代表に初めて選出された。
平島選手は「カンビーに教えてもらわなかったら、代表に入れなかったと思います。代表の試合もカンビーはチェックしてくれていて、気がついたことなどをメールで送ってくれました」と振り返る。
2008年シーズンに入団したPR山下(裕)選手も、カンバーランドコーチの指導を受けて成長していった。
「カンビーからプロップはチームで一番元気でなければいけないと言われました。僕がチームの元気印であり続けるのは、カンビーの言葉があったから」と話す。
ペタペタと裸足でクラブハウスを歩く姿は、失礼ながら普通のおじさんだった。
スーパー14(当時)のハイランダーズでカール・ハイマン、アントン・オリバーといった最強のフロントローを育てた凄腕コーチとは思えない、気さくな雰囲気で、みんなから親しまれていた。
「スクラムが好きな、ええおっちゃん。スクラム、ビール、ゴルフが好きでしたね」と山下(裕)選手。平島選手も「合宿最終日はフロントローを集めて、誰よりもたくさんビールを飲んでいました」と回顧する。
こんな形でお別れすることになるとは思ってもいなかったけれど、選手、スタッフの心の中でカンバーランドコーチは生き続ける。
平島選手は「カンビーに指導してもらって良かった。カンビーが来て、僕だけでなく、チームのスクラムが変わりましたから」と語る。
平島選手の原点は、カンバーランドコーチから言われてきた「マイボールであっても、相手ボールであっても、スクラムでプレッシャーをかけ続ける」というマインド。
「スクラムを組む上での僕のベースは、カンビーがつくってくれました。それを後輩たちに継承していきたい」
平島選手はカンバーランドコーチにそう誓う。
山下(裕)選手も
「僕がチームにいる限りは、良いスクラムを組み続けたいですし、引退後も、後輩たちに引き継いでいかないといけないと思っています」と決意する。
カンビー、コベルコ神戸スティーラーズのために、日本のラグビーの発展のために貢献してくれて、ありがとう。どうか、安らかにお眠りください。

文・山本暁子(チームライター)

2016年から2シーズン、近鉄ライナーズ(当時)でコーチを務めた後、2018年シーズンから再び神戸スティーラーズのFWコーチに就任した。 【コベルコ神戸スティーラーズ】

スクラムを指導するスティーブ・カンバーランドコーチ。 【コベルコ神戸スティーラーズ】

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著者プロフィール

兵庫県神戸市をホストエリアとして、日本最高峰リーグ「NTTジャパンラグビー リーグワン」に参戦しているラグビーチーム「コベルコ神戸スティーラーズ」。チームビジョンは『SMILE TOGETHER 笑顔あふれる未来をともに』、チームミッションは『クリエイティブラグビーで、心に炎を。』。 ホストエリア・神戸市とは2021年より事業連携協定を締結。地元に根差した活動で、神戸から日本そして世界へ、笑顔の輪を広げていくべく、スポーツ教室、学校訪問事業、医療従事者への支援など、地域活性化へ向けた様々な取り組みを実施。また、ピッチの上では、どんな逆境にも不屈の精神で挑み続け、強くしなやかで自由なクリエイティブラグビーでファンを魅了することを志し、スタジアムから神戸市全体へ波及する、大きな感動を創りだす。 1928年創部。全国社会人大会 優勝9回、日本選手権 優勝10回、トップリーグ 優勝2回を誇る日本ラグビー界を代表するチーム。

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