【新日本プロレス】「底知れぬ王者ぶりを見せつけたオカダ」GKが4.9両国を大総括!

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プロレス界随一の論客・“GK”金沢克彦氏の独特の視点から、現在進行形の新日本プロレスに関するコラムを続々レポート(不定期連載)!!

「“底知れぬ王者ぶり”を見せつけたオカダ、5.1福岡ドームの内藤戦は“10年越しの総決算”な闘いに!!」4.9両国決戦を大総括!

こちらをスポーツナビにて一部公開!

新日本50年の歴史を遡ってみても、ここまで嫌悪されたヒールというのは、タイガー・ジェット・シンとEVILが双璧ではないか?

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全8戦、6大タイトルマッチが開催された4・9両国国技館大会。今回は後半4試合に絞ってレポートしてみたい。

第5試合で行なわれたのが、EVILの保持するNEVER無差別級王座に高橋ヒロムが挑戦する因縁の一番。周知の通り、両者は『NEW JAPAN CUP2022』3回戦(3.18後楽園ホール)で対戦し、掟破りのEVILを炸裂させたヒロムが快勝している。

自分のフィニッシャーで敗れるというのは、これ以上ない屈辱。3.26大阪城ホールでヒロムを襲撃するなど、EVILはそうとうに荒れ狂っていた。

一方のヒロムにしてみれば、「してやったり!」の展開。対ヘビー級はヒロムにとってひとつの課題というか永遠のテーマでもある。同時にEVILは特別な相手。プロレスラーとしてのスタートではヒロムのほうが1年先輩にあたるし、EVILがロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを裏切ったときの落とし前をまだ完全につけたわけではなかったから。

ここで、NEVER王座初戴冠となれば、一挙両得というか、プロレスラー・ヒロムとしての価値観をまたワンランク上げることができる。ヒロムのプロレス頭はこの日も冴えていた。

EVILとの対戦というのはセコンドのディック東郷も相手にする2対1のハンディキャップ戦であることは、ハナから承知の上となる。そこで発想の転換。東郷が手を出す前に、自ら場外に降りて東郷を挑発していく。

中盤、サンセットフリップ・パワーボムを仕掛ける際にEVILをそのまま東郷に投げつけるという頭脳プレイも。焦る東郷のスポイラーズチョーカーも回避してみせた。

終盤、TIME BOMB、ビクトリー・ロイヤルで追い込む。名も無きヒロムロールでは3カウント寸前へ。だが、トドメのTIME BOMB 2をかわされて、カウンターのEVILを食って逆転負けを喫した。

試合の8割はヒロムが握っていた。それを跳ね返したのは、EVILのヘビー級としての意地であり、ロス・インゴと決別した男の意地だろう。この2年、もっとも新日本マットを混沌とさせ、ファンのブーイングの嵐に晒されてきたEVIL。唯一無二のヒール道を貫いてきた男の意地だろう。

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試合後、BULLET CLUBを追放されたタマ・トンガがガンスタンを見舞って、リベンジをアピール。きたる5.1福岡で、タマは新日本隊の一員としてEVILのNEVER無差別級王座へ挑戦が決定。

絵に描いたようなベビーターンとなるが、反対にみるならあくまでヒールを貫くEVILの存在感は却って際立ってくる。過去の新日本プロレス50年の歴史を遡ってみても、ここまで嫌悪されたヒールというのは、タイガー・ジェット・シンとEVILが双璧ではないか? いま、あらためてそんな気もしてくるのだ。

プロレスが人生の縮図であり、リング上が社会の縮図であるなら、それをもっともわかりやすいカタチで体現してみせたのがオーカーン

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第6試合のIWGPタッグ選手権は、じつの見応えのあるタッグマッチとなった。ここ1年ほど感じはじめている現象は、「いまIWGPタッグ選手権がおもしろい!」というもの。そう指摘されてみたら、ファンの方々も「そういえば……」という感覚を抱いてくれるかもしれない。

そのスタート地点は、棚橋弘至&飯伏幸太のゴールデン☆エースがタイトル戦線に顔を出し、対抗馬としてタイチ&ザック・セイバーJr.が活躍を始めたころ。

以降、内藤哲也&SANADA、後藤洋央紀&YOSHI-HASHIとつづいてきた。
それ以前のIWGPタッグ戦線はやはり外国人タッグ天国であり、イマイチ試合への思い入れが薄くなっていた感は否めないだろう。

こと、タッグマッチとなると、もっともいい仕事ぶりを見せているのが後藤だろう。IWGPタッグ王座に関しては、柴田勝頼との同級生コンビ、YOSHI―HASHIとの毘沙門での二度戴冠となるが、暮れの『WORLD TAG LEAGUE』では、カール・アンダーソンとのチーム(2012年)、柴田とのチーム(2014年)、毘沙門(2021年)で過去10大会のうち3度制覇…。


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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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