北京五輪・男子スピードスケート、復活へ―。第一歩は1984年サラエボ「キタザワ、WHO?」

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【1984年サラエボ大会で銀メダルを獲得した北沢欣浩(写真:フォート・キシモト)】

北京オリンピック、スピードスケート男子500メートルに日本記録保持者・新浜立也、村上右磨、森重航が登場します。かつて日本のお家芸とも言われましたが、2010年バンクーバー大会からメダル獲得がありません。そして、1998年長野大会、清水宏保以来の金メダル獲得を目指しますが、男子スピードスケートの冬季オリンピック初のメダルは、伏兵によるものでした。

本文:佐野 慎輔(笹川スポーツ財団 理事/尚美学園大学 教授)

1984年サラエボ大会、男子スピードスケート待望のメダル

悲願だった男子スピードスケートのメダルは1984年サラエボ大会でようやく現実になった。

大会前、大きな期待がかかっていたのは500mのスペシャリスト黒岩彰。前年の世界スプリント選手権で優勝、スポーツマスコミは「金メダル候補」と書き立てた。

レース当日の2月10日は朝から大雪。リンクの除雪が進まず、午前10時30分予定のスタートは午後3時に繰り下がった。選手たちは選手村に引き上げ、体調維持に追われた。

スタート時間になっても雪はやまない。選手たちがそれぞれ雪に悩まされるなか、黒岩は4組目のスタート。いつもの切れがない。ゴール前で2度、ふらついてタイムは伸びなかった。

雪の衝撃に関係者がうちひしがれるなか、北沢欣浩がスタートした。「8位くらい」の入賞をねらった軽い滑りだった。身体が動き、完璧なスケーティングが続いた。終わってみれば2位。日本スケート界初のメダルは、北沢には失礼だが、伏兵によってもたらされたといっていい。レース後には、「キタザワ、WHO!?」という言葉が聞かれた。

当時、スピードスケートはまだ屋外でレースが行われていた。気象条件など自然相手のもう一つの戦いが順位を左右したと言っていい。オリンピックの屋内リンクで競技が実施されるのは1988年カルガリー大会から。サラエボで10位に沈んだ黒岩が復活、見事に銅メダルを獲得した大会だった。

1968年、最も金メダルに近いと言われた日本人

ところで北沢や黒岩以前、最もメダル、それも「金メダルに1番近い」と言われた男がいた。1968年グルノーブル大会500mの鈴木恵一である。

初の海外遠征だった1964年インスブルック大会、同着3人が2位に並んだ500mで0.1秒差の5位。その後4年間に3度、世界選手権500mで優勝し、自他ともに認める金メダル候補であった。グルノーブル入りを前に、ダボスの大会出場を監督に懇願。「開会式に出場できなくなる」と拒絶した監督に、「俺は開会式に出たいんじゃない。金メダルを獲りに来たんだ」と食ってかかるほど鼻っ柱が強かった。

しかし、結果は8位に終わった。試合前の練習でスケート靴に違和感を覚えた。慌てて調べてみると、ブレード(刃)が欠けていた。風が運んだ小石を踏んだのだった。屋内リンクではもちろん考えられない出来事である。

しかも、刃を研ぎ直そうにも砥石がなかった。

普段ならこうした時に備え、刃を研ぐための砥石を3種用意する。まず荒砥で欠けた部分を研ぎ、中砥でならし、仕上げ砥で微妙な調整を行う。だが、ここはグルノーブル。今のように選手団として荷物を運んでくれるわけでもない。一人ひとり、自分の持ち物は自分で運ぶ。飛行機の持ち込み荷物の重量制限に合わせ、重い砥石は仕上げ砥だけにした。「泣きながら砥石をかけていたなあ」と鈴木がもらした事がある。

もし、屋外リンクでなかったなら。もし、選手団として重量制限なく荷物を持ち込むことができたなら。鈴木は金メダルを獲っていたかもしれない。グルノーブル後も幾度か世界記録を更新するなど、鈴木はしばらく頂点に居続けた。

しかし、1972年札幌大会の前年には自身の本来のスケートができなくなり、引退を公言。周囲の説得で翻意し、選手団主将として選手宣誓も行ったが、「一度は引退を口にしていたし、札幌だからと現役復帰したけれど、もう燃えなかった」と振り返る。そんな鈴木を、記録映画『札幌オリンピック』の篠田正浩監督は主役のように描いた。

日本スピードスケート悲願の金メダルは1998年長野大会500mの清水宏保によってもたらされた。低い姿勢からのロケットスタートを初めて見た時から、鈴木は「清水は頂点を獲る」と話していた。大会当日、開設者として長野のリンクにいた鈴木は、ぽつりと言った。

「あの頃、こんなリンクがあったらなあ」


※本記事は、2022年2月に笹川スポーツ財団ホームページに掲載されたものです。
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笹川スポーツ財団は、「スポーツ・フォー・エブリワン」を推進するスポーツ専門のシンクタンクです。スポーツに関する研究調査、データの収集・分析・発信や、国・自治体のスポーツ政策に対する提言策定を行い、「誰でも・どこでも・いつまでも」スポーツに親しむことができる社会づくりを目指しています。

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