「いろんなつらいことを乗り越えて心も体も強くなった」荒尾怜音の2年間

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【早稲田スポーツ新聞会】

【早稲田スポーツ新聞会】記事 西山綾乃 写真 西山綾乃、橋口遼太郎、日浅美希


「壁にぶつかったというよりは、答えが見当たらない。自分自身が止まってしまった」。『高校ナンバーワンリベロ』と称されてきた荒尾怜音(スポ2=熊本・鎮西)は大学入学後、今までにない苦汁を味わった。二度の燃え尽き症候群に膝のけが。ボールを見たくないと思う時期もあった。「落ちるところまで落ちた」。今まで以上に練習やトレーニングに力を入れ、全日本大学選手権(全日本インカレ)ではリベロ賞を獲得した。今回の『Today's Feature』では「いろんなつらいことを乗り越えて心も体も強くなった」荒尾の2年間に迫る。
高校3年時は1年間、全日本高等学校選手権(春高)優勝を目標に掲げ、並々ならぬ努力を重ねてきた。1年のうちオフはほとんどなく、厳しい練習をこなす日々。自分がコートの中にいなければならないという責任感から、体が悲鳴を上げていても耐えることがあった。迎えた最後の春高では準々決勝で伊藤吏玖(スポ2=東京・駿台学園)率いる駿台学園と対戦。フルセットの末敗れ、目標の優勝には届かなかった。「悔しいというよりも、やり切ったという感覚の方が強かった。もう高校でバレーを辞めたいとさえ思った」。3月に早大での練習が始まっても練習に身が入らず。4月に入ると新型コロナウイルスで体育館に集まって練習することすらできなくなった。しかし、荒尾にとっては気持ちを切り替えられた期間となった。「高校時代の自分が楽しそうにプレーしている動画を見て、もう一度頑張ってみようと思えた」。全日本インカレで優勝してリベロ賞を獲得することを目標とし、モチベーションを取り戻すことができた。

全日本インカレで正リベロとしてチームを支えた1年時の荒尾 【早稲田スポーツ新聞会】

全日本インカレでは優勝しリベロ賞を獲得。さらに高校時代敗れた相手にもリベンジすることができた。だが、目標を達成したがゆえに次は何のために頑張ればいいのか分からなくなってしまった。だんだん練習に行くことがつらくなり、ボールを見ると吐き気を催すほどに。松井泰二監督(平3人卒=千葉・八千代)の勧めで、早大スポーツ科学学術院の准教授で精神科医の西多昌規教授に診断を受けたところ、燃え尽き症候群(バーンアウト)であることが分かった。2月から3月の1カ月間練習に通わず、自宅にこもりバレーボールと距離を置いた。「けがに関しては(選手であれば)経験があると思うけど、燃え尽きはメンタルの問題だから分からない人もいて。でも、陽介さん(仲濱陽介、スポ4=愛知・星城)はこまめに電話をくれて、『待っているからね』と言ってくれた」。休養が明け練習に戻ると、自分のポジションには同級生の布台駿(社2=東京・早実)がいた。「自分以外の選手がリベロとして試合に出るのが悔しい。もう一度レギュラーを取ってコートに戻りたい」。
春季関東大学オープン戦(春季オープン戦)ではスタメンとしての出場が続いたが、なかなか調子が上がらず、レセプションやディグで同じミスを繰り返してしまった。「荒尾も落ちたな」。SNSではそのような言葉を目にするようになったが、心無い言葉に落ち込むことはなかった。「悔しいし、見返してやろうと思った。この言葉がなくなるように頑張るしかない」。しかし、またもや試練が訪れた。緊急事態宣言により春季オープン戦が中断されていた6月の練習中、スパイクのワンタッチのフォローに行った際、左ひざを故障した。病院へ行くと亜脱臼と診断され、「もう一度同じ症状が出ると手術しなければならない」とまで言われた。2カ月間コートを離れリハビリに専念。だが、腐ることはなかった。佐藤裕務ストレングスコーチの指導の下、課題としてきた背筋やオーバーで使う大胸筋を鍛えた。

トレーナーから膝のケアを受ける荒尾 【早稲田スポーツ新聞会】

復帰してからはトレーニングの成果が練習に表れる。筋肉の使い方を教わったことで、無駄な動きがなくなり、相手スパイカーと味方ブロックをちゃんと見られるようになった。また、二段トスのときのオーバーの飛距離が長くなった。ただ、スパイクのワンタッチのフォローに行く際、どうしても左膝のけがを思い出してしまう。秋季関東大学リーグ戦も全日本インカレも常にその恐怖は付きまとっていたが、度重なる挫折を経て心に決めていたことがあった。「今までたくさんの人に応援してもらっていたけど、もし弱いままだったら、自分は認められなくなるかもしれない。それでも、自分の価値を証明できるのは自分しかいない。もう一度応援してもらえるような選手になれるよう、試合など応援してくれる人の目に見えるところで勝ちたい」。熊本に住む家族や今までお世話になった監督やコーチ、応援してくれる人たちなど、振り返るとこれまで多くの人に支えられ、つらいとき温かい言葉に何度も救われてきた。自分にできるのはプレーで恩返しすることだった。

試合では誰よりも大きな声を出しチームを鼓舞していた 【早稲田スポーツ新聞会】

2度目の全日本インカレでも優勝し、リベロ賞も獲得した。だが「今の技術で満足せず、頑張らないといけない」と話す。この2年間を経て、あえて目標を持たないようになった。「『大会で優勝』や『個人賞受賞』のような具体的なものとか誰かを目標にするのではなく、唯一無二の選手になりたい。男子バレーではガッツあるプレーが主流だと思うけど、自分の中ではそういう概念はなくして、細身だけど位置取りは完璧とか、パスが丁寧とか、プレーの質が良いとか、まねのできない選手になりたい」。
さまざまな挫折を乗り越え、心も体も強くなった。悔しさをバネにしてストイックに、どこまでも高みを目指す荒尾の成長をこれからも見続けたい。
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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