【浦和レッズスペシャルインタビュー】「幸せなサッカー選手人生」を終えた塩田仁史。天皇杯を獲ったチームに与えた多大な影響と、決断の理由
【©URAWA REDS】
それが、塩田仁史の現役生活最後のトレーニングとなった。
12月18日の塩田選手の現役最後のトレーニング 【©URAWA REDS】
現役最後の週、現役最後のトレーニング。塩田はどんな心境で臨んでいたのか。
「泣いても笑ってもあと1試合ですからね。最後に勝って、タイトル獲りたいですね」
塩田は今にも闘いに向かいそうな表情でそう話した。
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いつだってそうだった。いつだって塩田はチームのことを最優先に考えていた。
40歳になるシーズンで浦和レッズに加入し、3月にも日本代表に選出されたJリーグ屈指のGK西川周作、16歳でプロ契約した将来を嘱望される鈴木彩艶と切磋琢磨してきた。
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その一人であるルーキー、大久保智明は夏ごろ、阿部勇樹とともに塩田ついてこう称していた。
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先の質問の聞き方を変えてみる。塩田仁史個人にとって、この一週間、そして最後の日は気持ちが違ったのか。
やっぱりそういうことだよね、と言わんばかりに、したり顔をする。温顔だけれど、少しだけさみしさを含んでいたように見えた。
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その通りだった。GKのトレーニングでは、「ナイス、シュウ!」、「ナイス、彩艶!」という塩田の声が響く。その声の主がシュートを受ける際に、「ナイス、シオ!最高だよ!スーパー!」と浜野征哉GKコーチが叫ぶ。それは今季の大原サッカー場の日常であり、最後の週も変わらなかった。
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最後の週も、塩田は全力でトレーニングに励んでいた。試合に絡む可能性は極めて低い。その先にはもう選手としてプレーすることはない。それでも、やはり塩田は全力だった。最後の最後まで。
今季最後のトレーニングを終えてクラブハウスに引き上げようとする塩田に対し、「お疲れ様でした」と声が掛かる。それはこの日のねぎらいではなく、18年分のねぎらい。
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「何言っているんですか。あと1日、あと1試合ありますよ」
そしてクラブハウスに入る瞬間、両手を突き上げて叫んだ。
「勝つぞー!」
その背中には、今にも闘いに向かいそうなオーラが漂っていた。
塩田は2004年、流通経済大学(流大)卒業後に鳴り物入りでFC東京に入団してプロキャリアをスタートさせた。
塩田J1リーグデビュー戦 【©J.LEAGUE】
Jリーグデビューは2006年。奇しくも浦和レッズ戦だった。シーズンも佳境を迎えた11月26日。2試合を残して2位のガンバ大阪に勝ち点5差をつけていたレッズは、FC東京に勝利すれば優勝が決まる。
アウェイFC東京戦に集まったレッズのファン・サポーター 【©J.LEAGUE】
「バスで移動していたら、すごい列ができていて、『え?何だ、この列は?』って思ったんです。そして味スタ周辺に来たら、アウェイのところにブワーっと人が並んでいて、その列が三鷹の方まで続いていたんですよ。レッズのファン・サポーターはとんでもないと思いましたね」
プロ3年目で味わったことのない衝撃を受けた塩田だが、無失点に抑え、レッズの優勝を阻止した。
今シーズンの新加入会見 【©URAWA REDS】
それでも苦悩はあった。全力でトレーニングに励むことがGKチームや若手をはじめとしたチームメートに好影響を与えたのは、いわば副産物。初めからサポート役に徹するつもりなどない。塩田は日々、次の試合に出るためにトレーニングを重ねていた。それでも思い通りにはいかない日々を過ごす中、ある考えが塩田の脳裏にふと浮かんできた。
「俺、この2人と本当にポジション争いできているのかな?」
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ただ、レッズの環境は想像以上だった。メンバーに入ることだけではく、日々トレーニングを続けるだけでも大変なチームだと感じた。
「だから来年を考えたときに、僕がゲームに出るイメージが…。今年はよかったんです。加入するまではどんなチームか分からないじゃないですか。でも、来年はチームにいい影響を与えられないんじゃないかと思ったんです。みんなに『何でこいつがまだやっているんだ』と少しでも思われながらプレーしたくはありません。今のようにタイトルなどが懸かったシーズン終盤になればいろいろとやれることはあると思いますが、それはちょっと違うんじゃないかと思いました」
そして11月、塩田は決断した。もう1年プレーすることもできたが、家族とも相談した上で現役を引退することを決めた。
発表のタイミングはクラブから任された。決断してすぐに発表すれば、ホーム最終戦でファン・サポーターにあいさつすることもできた。
しかし、塩田はシーズン終了後、レッズの全日程が終わってから発表することを選んだ。
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サッカー人生を「トップ オブ トップではなかった」と自己評価する塩田は、同学年の阿部ともレッズ加入までは密に接することがなかった。阿部を含め、彼らとの濃密な生活を過ごしたのはたった1年。それでも、塩田は彼らがレッズの功労者だと『言われているから』ではなく、『感じたから』その決断をした。
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純粋にそう感じられるのはきっと、経験だけではなく人柄もあるのだろう。でも塩田の言葉を聞いて少し違和感を覚えた。
シオさん、まるで自分のことを言っているようだよ。
「どうなんですかね?自分では分からないですよ」
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天皇杯を制した試合後、塩田はチームメートやスタッフとともにスタジアムを周った。引退することを知らないファン・サポーターからメッセージを受け取ることはなかったが、それでも幸福な時間だった。
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その翌日、塩田は大原サッカー場でGKチーム4人の写真がプリントされた特別ユニフォームを着ていた。
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自分のものであることを知り、塩田は「なんだよー!」とうれしそうに叫んだ。
「サプライズでやられましたよ。浜野さんにプレゼントすることは知っていましたが、自分のものは全然聞いていませんでした。彩艶に聞いたら『俺は知らないです』ってすっとぼけていましたけど」
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塩田よりずいぶんと明るい笑顔を見せていたのは、西川だった。
「シオさんは完全に浜野さんのだけだって思っていたみたいですね。分かったときの驚いた顔。最高でしたね」
プロになって18年間。サッカーを始めて33年間。そのうちレッズで過ごした1年間は『たった』と表現する方が正しいのかもしれない。しかし、その『たった』の期間で塩田はみんなに愛された。きっと、他のどのチームでもそうだったのだろう。
だから塩田は胸を張って言える。
「自分らしくやれたと思います。幸せなサッカー選手人生でした」
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