【浦和レッズニュース】託された男・関根貴大の誓い「決勝は進化を証明する舞台。前の世代に近づき、超えていく」

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 浦和レッズにとっても、関根貴大にとっても、2021年度の天皇杯決勝は特別な一戦。運命の日に向けて、集中力を研ぎ澄ましていた木曜日。昼下がりの練習後、12月19日へのあふれるおもいを一つひとつ丁寧に口にした。

「ファン・サポーターの人たちに安心してもらいたいんです。今季、サッカーのスタイルも選手も大きく変わったけど、『僕らはしっかり成長していますよ』と。その証となるのが、天皇杯のタイトル。1シーズンの集大成となる、このタイミングで取ることが大事だと思います」

 チームのおもいを代弁する言葉には自然と力がこもる。

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 26歳を迎え、レッズではプロ通算7シーズン目。責任感が増してきた。関根自身、リカルド ロドリゲス監督のサッカーに適応するまでに少し時間を要したが、いい意味で吹っ切れている。

「自分が変わろうとしているのに認められないこともあったけど、結果が出れば、何も言われないなと。自分を信じて、自分の思ったプレーするほうが後悔はない。少しずつ僕は変われてきています。ここで結果を出せば、また自信になります」

 先発出場が増えれば、増えるほど、気持ちに余裕が出てきたのだ。無理にゴールに執着しなくなり、これまで見えなかったことが見えてきた。

 いまはゲームの流れを読み、的確な判断を下せるようになっている実感がある。

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「どこまで評価されているのかは分からないけど、チームが勝つためのプレーを選択できています。試合の中で、自分が何をすべきかがきちんと整理できているので」

 タイトルとAFCチャンピオンズリーグの出場権が懸かった試合でもやるべきことは変わらない。

 主戦場はきっと右サイド。中央寄りでボールを引き出し、スルーパスを出すこともあれば、持ち味のドリブルでサイドを破り、クロスを供給する形もある。臨機応変に対応し、勝利のためだけに戦い続けることを誓う。

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「緊張すると思いますが、進化を証明する舞台。僕自身、天皇杯のタイトルは取ったことがないので、取りたいんですよ」

 6大会前のことを思い返していた。

 2016年1月1日、東京・味の素スタジアムのロッカールームに入り、スタメンから外れていることを初めて知った。

 準決勝まで先発出場していたが、決勝はまさかのベンチスタート。1点を追う57分から途中出場したが、追いつくことはできず、そのままタイムアップの笛を聞いた。

 ピッチ上で呆然と立ち尽くし、ガンバ大阪の選手たちがトロフィーを掲げる姿をじっと眺めていたことを覚えている。

「下から見上げて、表彰を見るのは悔しいものです」

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 2018年度大会にレッズが12季ぶりに天皇杯を制覇したときは、複雑な感情を抱きながら海の向こう側から祝福した。

 その前年の夏に浦和を離れて、ブンデスリーガ2部のFCインゴルシュタット04へ完全移籍し、その後ベルギーのシント=トロイデンVVへ期限付き移籍したものの、出場機会をつかめずに悪戦苦闘していた。

「レッズに関わってきた者としては、うれしかったですよ。でも、あの時期は自分がうまくいっていなくて……。やっぱり、自分が貢献して取ったタイトルではなかったですし、その点はちょっと悔しかったかな」

 それでも、3年前の決勝ゴールには、ただただ驚いた記憶がある。

 宇賀神友弥の衝撃的なボレーシュートだ。大舞台で結果を残す姿には感心するばかりだった。

 そして、2021年12月12日にも再び同じような光景を目にすると、あらためて感服した。

「やっぱり、すごい選手。“持っている人”なんだと思いました」

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 しみじみ話す言葉には、寂しさもにじませた。今季限りでレッズを離れる先輩からは、「チームを引っ張っていく存在になれ」と促された。

 同じアカデミーの出身者としては、宇賀神のおもいはひしひしと感じている。

「これから強いチームをつくっていくためにも、僕が責任感をもっと持たないといけないことは痛いほど分かっています。今季限りでクラブを離れる槙野(智章)くん、ウガくんたちの世代は、素晴らしいものを残してくれました。

 僕らには僕らの色があるけど、少しずつでも、前の世代に近づき、そして超えていかないと。そのためにも、この天皇杯のタイトルは取りたい」

 変革のシーズンを締めくくる天皇杯の決勝は、時代が切り替わる節目。長年チームを支えてきた阿部勇樹の現役ラストマッチにもなる。

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 11月14日の引退会見以降、監督を含め仲間の誰もがキャプテンへのおもいを口にしてきた。

 40歳まで戦い抜いたプロキャリアを労い、そしてともに戦ってきたことへの感謝――。

 関根もまた特別な感情を持つひとりである。

 振り返れば、プロ1年目から気にかけてもらっていたことを思い出す。

 月1回ペースで開催された『阿部会』のメンバー決めを任された時期があり、山田直輝、岡本拓也(ともに現湘南ベルマーレ)、矢島慎也(現G大阪)、野崎雅也(現ウニフィカシオン・ジェフィア/スペイン)らを誘ったりもした。

 寿司屋や鉄板焼屋で阿部を囲みながら、たわいもない話をして、親交を深めたことはいい思い出だ。

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「サッカーの話はほとんどしていなかったけど、それが良かったと思っています。練習中にスムーズにコミュニケーションが取れるようになったので。当時プロになったばかりの僕にとっては、本当にありがたかったんです」

 練習場でも一人でいるといつも構ってくれた。髪型やカラーを少し変えただけで気付くのも阿部だった。ささいなことまで気を配ってくれるところがまたうれしかった。

「僕が想像できる一番の恩返しは、現役最後の日にトロフィーを掲げてもらうこと。そして、一緒に写真を撮りたいですね。いままでで最もいい写真になると思いますよ」

 あらたな未来に踏み出すために、最後は笑って、レッズの一時代を締めくくるつもりだ。

(取材・文/杉園昌之)

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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