「ベンチにいても、つねに集中している」 いまだバスケ歴の浅い男、その伸び代は未知数 #8ジャワラ ジョゼフ

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バスケットボールを始めたのは、高校に入学してから。#8ジャワラ ジョゼフはそれから、たったの7年でプロ選手になった。

「それまでは野球をやっていたのですが、僕が入った高校の野球部は、学校にグラウンドがなかったんです。野球部に入ると授業が終わってから、遠くのグラウンドまでバスで行かないといけない。その高校は家から歩いて10分もかからない距離で、近いから選んだのに練習するのにバスに乗って移動するとなると、あんまり意味がないなと思って(笑)。それでなにをしようかなと思っていたときに、顧問の先生がバスケに誘ってくれたので始めました」

彼が進んだ日本大学豊山高のバスケ部は全国大会の常連校ではないが、東京都内では上位を争い、全国大会出場を現実的な目標として掲げるレベルにある。周囲にはミニバスから始めた選手も少なくないなか、ジョゼフはまったくの初心者としてここに飛び込んだ。

「最初は周りについていくのが、本当に大変でした。なのにバスケを始めてなにもできないころから、先生が試合に出してくれていたんです。なにもできないのに使われているのが、申し訳なくて……」

まったくの初心者で、バスケに関するテクニックもスキルもない。だがマリ人の父と日本人の母を持つ彼は長身であり、高い身体能力を兼ね備えていた。当時の監督はそこに着目し、試合に出しながら育てようという意図があったのだろう。ズブの素人が全国大会出場を目指すチームで試合に出るなど、普通は考えられない。だが試合に出られないチームメイトから、嫉妬や批判が浴びせられることはまったくなかったと言う。

「初心者だった僕に監督はもちろん、チームメイトもいろいろと教えてくれたんです。当時の僕みたいな選手が試合に出たら、周りから嫌な顔をされてもおかしくないと思います。だけどチームメイトはいい人たちばかりで、なんでも教えてくれるし、いろんな面でサポートしてくれていたんです。それでなんとか、やってこれましたね。本当に環境が良くて、おかげでバスケはずっと楽しかったです

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やがて卒業を間近に控え、充実した3年間の高校バスケを終えたあとは、競技を続けることは考えていなかった。

「Bリーグに行きたいとはまったく考えていなくて、いつか就職することを考えたら、ほかにやることがあるかなと考えていました。だけど高校が日本大学の付属だったつながりもあって、当時の日本大学バスケ部の監督さんが誘ってくれたんです。高校に続いて大学もまた、誘っていただいたことがきっかけになりました(笑)」

そうして日本大学に進んだジョゼフは、さらなる成長を遂げる。大学3年次のインカレでは主力のひとりとして、チームを3位に導く活躍。その大会では準決勝までの3Pシュート成功率が6/12の50%を記録と、周囲に強いインパクトを残した。それでもプロ選手になる考えは、彼のなかにはなかった。

「Bリーグができたのが、僕が大学2年のときかな。そういうプロリーグがあることはわかっていたのですが、そのころの僕は現実的に考えていたんです。『関東実業団のチームとかに就職して、仕事しながらバスケを続けるのがいいかな。それなら引退してからも、道があるし』と考えていました。だからそれほどBリーグに行きたいとは正直、あまり考えていませんでしたね」

だが彼の将来プランは、ここでも大学卒業間近に軌道修正が図られる。2019-20シーズンにB2のファイティングイーグルス名古屋に特別指定選手として加わり、翌シーズンは正式なロスターの一員として契約した。

「もともと自分がBリーグで通用しないとは、とくには思っていませんでした。頑張れば、自分次第でどうにでもなると考えていたんです。実際にプレーしてみていちばんに思ったのは、ディフェンスに対する意識が大事だということ。大学ではある程度は身体能力で抑えられましたが、プロでは自分の身体能力も大したことはない。ディフェンスも頭を使う部分があるので、いかに考えたり、チームディフェンスを理解しながらやれるか。プロになって試合に出られる条件は、ディフェンスができることが大前提だと感じました」

昨季までの足掛け2シーズンをFE名古屋で過ごし、今季からエヴェッサの一員となった。チームに加わってすぐ、天日謙作ヘッドコーチは彼に求めているものを伝えた。

「それはリバウンドと走ること、そしてディフェンス。それはブレることなく、徹底してやっていかないといけないと自覚しています。チーム内にライバルも多いですが、試合に出るためには自分ならではの特徴を出さないといけない。それはやっぱり、リバウンドかなと思うんです」

ここまでのエヴェッサでの出場試合数は4、平均プレータイムは4.8分にとどまる。現状は控えている時間が長いが、ただ漫然とベンチに腰掛けているはずはない。

「ベンチ慣れした選手になったら、終わりかなと思っています。そうは、なりたくない。試合中にベンチに座っていても、試合が始まったらだれかがケガをしたり、ファウルアウトするかもしれない。なにが起こるかわからないから、つねに準備して試合に集中しています。エヴェッサにはいいプレーヤーがたくさんいるので、彼らのプレーを見て今コートにこれが足りていないなとか、そういうことに気付けたら自分が出るきっかけになると思う。そういう意味でも、試合中は集中していますね」

FE名古屋での特別指定選手時代も含め、プロキャリアは3シーズン目。今はまだ、選手としての自らの在り方を探している状態でもあろう。

「それは、ありますね。自分のスタイルを、確立しないといけないと思うんです。自分の特徴をまだ出し切れていないと思うし、それだけでなくほかの部分でも存在感を示していきたい。まずはウイングを走ったり、獲れなくてもとにかくリバウンドに絡むなど、求められていることをしっかりと遂行する。そういう目立たないところを徹底していけば、ちょっとでもプレータイムがもらえるのかなと思う。そこでなにかをつかんで、徐々に3Pとか持ち味を出していけるようにしていきたい」

天日HCはジョゼフを『能力も遂行力も高く、彼を使えないのはベンチの責任』だと高く評価している。バスケ歴わずか7年でプロになった背番号8の伸び代は、まさに未知数。今シーズン中にあっと驚く飛躍を遂げても、なんら不思議はない。
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著者プロフィール

2005年にクラブ創立。七福神のお一人で商売繁盛の神様である「戎様」を大阪では親しみを込めて「えべっさん」とお呼びするところから、 人情・笑い・商売の街大阪を活気づける存在であることを願い「大阪エヴェッサ」と命名。 同年にスタートしたbjリーグで開幕から3連覇を成し遂げる。 2016年9月に開幕した男子バスケットボールの最高峰・Bリーグでは、ホームタウンを大阪市とする大阪唯一のクラブとしてB1に参戦。

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