【浦和レッズニュース】「僕は結果を残すためにこのチームに来た」酒井宏樹がピッチで体現する『タイトルを獲るチームの"圧"』

浦和レッドダイヤモンズ
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【©URAWA REDS】

 8月14日のサガン鳥栖戦で浦和レッズデビューを飾ってからというもの、酒井宏樹は瞬く間にチームにフィットし、右サイドで力強いプレーを披露してきた――。

 そんな印象を抱いていたため、本人から返ってきた言葉は意外だった。

「いやあ、いっぱいいっぱいでした。改めて難しいリーグだと思いましたね」

 シーズン半ばに合流し、まずはチーム戦術に慣れるのに必死だった。東京オリンピックや日本代表のワールドカップ・アジア最終予選にも参加したから、コンディションを整えることにも腐心した。

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 それだけではない。そもそもリーグの特徴も違えば、ヨーロッパでは夜、日本では日中がキックオフ時間。スタジアムの雰囲気、芝の長さや地面の硬さ、ボールのメーカーと、何から何まで違った。

「ハノーファーでもマルセイユでも、完全にフィットしたと思えることはなかったですけど、特にこの半年間はいろいろな変化に対応することにかなり気を使いました」

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 しかし、だからといって酒井にネガティブな感情は一切ない。

「この環境を求めて移籍してきたので。この変化を楽しめるぐらい慣れたらいいなと思っています」

 ドイツへと旅立ったのは、22歳だった2012年7月のことだ。

 ドイツで4年、フランスで5年を過ごした酒井は、まだ欧州で求められていたにもかかわらず、この夏に自らの意思で帰国した。

 なぜ、Jリーグに、なぜ、浦和レッズに――。

 入団会見からたびたび語っているように、酒井にとって大事だったのは「成長」だ。

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「ヨーロッパで活躍するのは難しいことですけど、サイドバックって他のポジションと比べると、やりやすい面もあるんですね。意外とやるじゃん、という感じで見てくれるので。

 でも、このタイミングで日本に帰ってくると、僕は現役の日本代表選手だし、マルセイユからの加入ということで、すごく期待されると思うんです。最初からハードルが高い状態で挑戦したいという気持ちがありました」

 なかでもレッズには、マルセイユのように熱く、特別なファン・サポーターが付いている。

 さらに今、強いレッズを取り戻すためのプロジェクトの真っ只中でもある。

 そうした責任を背負いプレッシャーを感じながら、期待に応える活躍ができたなら、きっと成長できるに違いない――。

「サッカー選手のキャリアは決して長くないので。その中で味わえることは全部経験したいんですよね。だから今も、挑戦しています。ずっと挑戦者でいたいんです」

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 プロサッカー選手として強く意識するのはチームの勝利。レッズの勝利に貢献するため、ピッチ内での振る舞いにおいても意識的にチャレンジしている様子が見て取れる。

「レッズでは年長のほうですし、キャリアも少なからず積んでいるので、試合中の言動はかなり気にしています。プロとして勝たなければならないので、ときに判定に対して不満を示したり、相手に対して立ち向かう姿勢を見せながら。普段は静かなほうですけど、ピッチに立ったらスイッチが入る。そういう姿を見せたいと思っています」

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 もちろん、リカルド ロドリゲス監督のもとでプレーすることも、酒井にとって大きなチャレンジだ。

 指揮官が志向するのは、優位性を保ちながらボールとスペースを支配して相手を攻略する攻撃的なスタイルだ。

 酒井の代名詞と言えば、力強いアップダウンと高精度のクロスだが、今は立ち位置やサポートを意識し、攻撃の組み立てに関わったり、ピッチ中央やゴール前まで顔を出す場面が増えている。

「マルセイユ時代の監督である(ホルヘ)サンパオリのサッカーもそうでしたけど、従来のサイドバックとは異なるプレーを求められるというか。いろんなところに顔を出して、いろんなところでサポートしないといけない。そう言えば、リカルド監督もサンパオリの練習を見に行ったそうですね」

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 酒井が言うように、リカルド監督はサンパオリがスペインのセビージャを率いていた頃、そのトレーニングを見学している。影響を受けているのは確かだろう。

「従来のサイドバックのプレーは自分の基盤としてできていると思うので、新たなサイドバック像にチャレンジすることはプラスでしかない。今はポジティブに、日々成長するために学んでいます」

 こうしたチーム戦術と酒井のプレーの変化を表しているのが、9月25日に行われたFC東京戦だ。

 前半のアディショナルタイム。柴戸海にボールを預けた酒井が飛び出していき、平野佑一からのパスを受けると、GKの股下を抜いて逆サイドネットを揺らしたのだ。

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「試合中、ワイドにいるだけでなく相手や戦況に応じてポジションがどんどん変化していくので、チャンスがあれば、そのままゴール前まで詰めていける。ゴールにつながるということは、ちゃんと理由があると思う。うまくいっている証だと思います」

 Jリーグでのプレーは酒井にとって実に9年ぶり。当時と比べてリーグのレベルや勢力図、チームカラーはずいぶん変わったと感じている。

「僕自身はJ1で1年半しかプレーしていなくて、運良く優勝を経験させてもらった。当時は絶対的なチームがいなかったから(柏)レイソルが優勝できた、というのもあると思います。今は川崎(フロンターレ)が圧倒的な強さを誇っている。戦う前から『今週末は川崎戦だ』ってテンションが上がる。そういう圧を与えてくれるチームが誕生したのは、敵ですけど、すごく良いことだと思います。

 ただ、いくら川崎が強いからと言って、真似をしていては川崎を抜くことはできない。対抗できて、川崎に勝てるチームがどれだけ出てくるか。それがまたリーグの向上につながると思います」

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 まさにレッズも打倒・川崎を目指しており、来シーズンこそ川崎を王座から引きずり下ろそうと目論んでいる。

 今シーズンは"リカルドチルドレン"と呼びたくなるような小泉佳穂、明本考浩、平野、伊藤敦樹らが台頭し、改革元年とも言うべきシーズンだった。

「実際に一緒にやってみて、うまい選手、ビジョンのある選手、将来性のある選手、ポテンシャルを秘めた選手がたくさんいると感じます。もうひとつ殻を破れば、もう少し経験を積めば、化けるなっていう選手が多いので、一緒にやっていてすごく楽しいです」

 そう言って発展途上の若いチームを称えた酒井はそのあと、経験者ならではの鋭い視点で要望を口にした。

「ただ、僕は結果を残すためにこのチームに来たので、出来上がった選手たちと戦いたい。僕が成長の手助けをするとかじゃなく、対等な立場でプレーしたい。だから僕に対しても遠慮なく指示を出してほしい。もちろん、そういう集団になれる可能性があるので、心配はしてないですけどね」

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 川崎に追いつき、追い越すのは簡単なタスクではないではないが、リーグ優勝するために必要なものを、まさに11月3日の川崎戦で酒井が披露した。

 1点ビハインドだった89分、ゴール前まで侵入してこぼれ球にいち早く反応し、同点ゴールを押し込んだのだ。

「僕は強いリーダーシップでチームを引っ張るタイプではないので、プレーで示すようにしています。局面局面で、ここは行くんだぞ、っていう気持ちをプレーに乗せて、見せているつもりです。特に川崎戦の最後のところは、絶対に負けたくないという気持ちを、自分の得点という理想的な形で出せたんじゃないかと思います」

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 90分のゲームの中、一つひとつの局面で、強い気持ちを出せる選手がどれだけいるか――。

「以前のレッズには、(田中マルクス)闘莉王さんやヒラさん(平川忠亮)、都築(龍太)さんをはじめ、対戦していて怖いなって感じさせる選手がたくさんいましたよね。そうした圧が、試合中には絶対に必要なんです。ヨーロッパではそれを11人全員が出せて、監督も出せて、スタジアム全体でも出せるんですよ。そうなるとチームは本当に強い」

田中マルクス闘莉王 【©URAWA REDS】

平川忠亮 【©URAWA REDS】

 スタジアム全体から発する強い圧に必要不可欠なファン・サポーターは、ようやくスタジアムに戻りつつある。

 36節の横浜F・マリノス戦、37節の清水エスパルス戦では3万人弱のファン・サポーターがスタンドを埋め、たくさんのフラッグがはためいた。

「素晴らしい雰囲気でした。ただ、選手としてはやっぱり声が欲しい。プレーに集中していても、ファン・サポーターの声は耳に届きます。それによって鼓舞されるんです。だから、1日でも早く日常が戻ってくることを願っています」

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 レッズでも、日本代表でも、誰に聞いても「宏樹くんは優しい」という言葉が返ってくる。 

 穏やかでもの静かな人間性。

 その一方で、内に秘めた闘志と責任感。

 これまで在籍した選手とはまた違ったリーダーであり、プロフェッショナルな選手がレッズに加わった――そう再確認したことで、天皇杯、そして来シーズンへの期待がさらに高まった。

(取材・文/飯尾篤史)

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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