【新日本プロレス】本格上陸!噂の“トップ・ドッグ”ジョナ選手に直撃インタビュー!

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社】

アメリカ・サンノゼ大会『BATTLE IN THE VALLEY』で新日本マットに突如、登場を果たしたジョナ(元ジョナ・ロック)選手。今後のアメリカマット、ヘビー級戦線のキーマンの一人となりそうな、このパワフルな男にスペシャルインタビュー!!


■『NEMESIS』
・日時:現地時間・12月9日(木)18時開場 19時開始 
※アメリカ西部標準時(PST)
・興行形態:STRONGテーピングショー ※後日配信
・会場:The Vermont Hollywood(カルフォルニア州ロサンゼルス)

■『NJPW STRONG』
毎週日曜朝10時〜新日本プロレスワールドで配信!

昔からオレは、日本のプロレスに強い憧れを持っていた。この“トップ・ドッグ”ジョナはニュージャパンにガッチリ合うと思うよ。

【新日本プロレスリング株式会社】

――ジョナ選手はアメリカ・サンノゼ大会『BATTLE IN THE VALLEY』で新日本マットに衝撃の初登場を果たしました。WWEを退団してから90日以上が過ぎていました。

ジョナ ああ、退団してから3ヶ月半は経っていたと思う。

――フリーになって数々の団体から声がかかっていたことだと思います。

ジョナ ああ、(衝撃の初登場からの)あの1週間はいろいろオファーがあって、すごく忙しかったな。

――そんな中で、新日本マットを選ぶ決め手となったのは? また、『NJPW STRONG』のマットに現れた理由は?

ジョナ 前々からニュージャパンのリングはきっと自分に合っていると思っていた。それから日本では別の団体で試合をしたこともあったしな。

――日本では、かつてプロレスリング・ノアにも上がっていましたね。

ジョナ ああ、ノアの道場でトレーニングを受けた。それより前はオーストラリアでいま現在、ZERO-1に上がってるハートリー・ジャクソンの元でもトレーニングしていた。彼の師匠はアントニオ猪木だった。

――彼は元祖・LA道場生の1人でしたね。

ジョナ そうなんだ。だからオレも巡り巡っていつかはニュージャパンに上がるような予感はしていた。

――WWEを退団してすぐ、新日本マットに上がりたいと思っていましたか?

ジョナ 100パーセント、イエスだ。WWEとの契約が切れて、自由に好きな団体に上がれるようになったけど、ニュージャパンは常に候補の一番トップにあった。昔からオレは、日本のプロレスに強い憧れを持っていた。この“トップ・ドッグ”ジョナはニュージャパンにガッチリ合うと思うよ。

【新日本プロレスリング株式会社】

――日本のプロレスファンからすると、かつてのビッグバン・ベイダーやバンバン・ビガロを彷彿とさせるようなムードをあなたから感じます。

ジョナ じつはベイダーの息子からプレゼントとしてもらったマスクが自宅にある。自分のプロレスの中にベイダーのプロレスを引き継いでいきたいと思ってる。ニュージャパンも含め、いろんな団体を見渡してもベイダーやビガロのように巨大な体を持ちながら素早く動ける選手ってなかなかいないだろ。でもオレはそれができる。

――日本のプロレスに対する情熱を感じますね。

ジョナ オレは子どもの頃から筋金入りのプロレスファンだった。でも、オーストラリアに住んでるとTVで放送されてるプロレスはWWEだけだった。あれは確か13歳か14歳の頃だったと思うけど、ネットで日本のプロレスを発掘した。獣神サンダー・ライガーのプロレスを見て、プロレスの幅広さを知ったんだ。

――スーパーヘビー級のあなたが感銘を受けたのがジュニアのライダー選手だったと?

ジョナ そうなんだよな。でも、それからしばらくしてベイダーとかスタン・ハンセンが日本で闘っていた時代のことを知るようになった。そこからモンスター級のヒールの2人の大ファンになったよ。

ジュースとフィンレーのように、ニコニコ笑顔を振りまいてなんかいられない! 俺がやりたいのはぶつかり合いだ!

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――『BATTLE IN THE VALLEY』では、あなたの突然の登場に会場のファンも驚きを隠せない様子でしたが、実際にどう感じましたか?

ジョナ 気分は最高に良かったよ。(WWEを退団してからの)3ヶ月丸々ファンの前に立っていなかったからな。でも俺はこの3年間毎週のように観客の前で試合をしてきたから、久しぶりに感じる生のリアクションは新鮮だった。長らく檻に閉じ込められてようやく解放されたような清々しい気持ちだった。

――ウップンが溜まっていたんですね。

ジョナ ああ、もの凄くな。だから、ただ普通に登場するより、一発何か大きな行動に出て驚かせてやろうと思った。(ジュース・ロビンソンを襲撃した時の)観客からのリアクションも手応えを感じた。

――ジュース・ロビンソンとデビッド・フィンレーを襲撃するに至った経緯は?

ジョナ 試合後のコメントでも言ったんだが、あの2人は、リングでおちゃらけてて楽しむことばかりに頭がいってる。俺はアイツらと違って、これまで上から指示された通りに動くことしかできず、チャンスにも恵まれなかった。だからアイツらみたいにニコニコ笑顔を振りまいてなんかいられない! 俺がやりたいのはぶつかり合いだ! あの乱入には「いつまでもふざけ回っていられると思うなよ!」とヤツらにお灸を据える意味合いもあった。

――フィンジュースもあなたと同様に、日本とアメリカの両方でトレーニングを積んできた選手ですが、あなたが感じる日本とアメリカのプロレスの差とは何でしょうか? 日本の道場とWWEパフォーマンスセンターのシステムとはどんな違いがありますか?

ジョナ 俺は(ハートリー・)ジャクソンが猪木から直々に教わったトレーニングを受け継いだ。日本のプロレスの道場では忍耐が特に重要視される。制限のある環境で、スクワットや腕立て伏せはもちろんのこと厳しいトレーニングを乗り越えなければ上にはいけない。スパーリング一つとっても常に100パーセントの力が求められる。

――つまり、日本での練習の方が厳しいと?

ジョナ そうだ。べつにアメリカのシステムが劣ってるって言いたいわけじゃないんだけど、でも、俺が前に所属してた団体では、元アメフト選手がたった数ヶ月のトレーニングを受けただけで、デビューしていたりする。だけど、普通に考えればたった数ヶ月でリングに上がるなんてあり得ないだろ。

日本で試合がしたい。対戦したい相手もたくさんいる。シンゴ(鷹木)とオカダとの初対戦も熱望している

【新日本プロレスリング株式会社】

――来年1.8横浜アリーナの『WRESTLE KINGDOM』で新日本と『プロレスリング・ノア』の合同興行が発表されて以来大きな話題となっています。ノアに上がっていた選手の一人として、このニュースを聞いてどう感じましたか?

ジョナ 非常にエキサイティングなニュースだね。ノアのリングはとても思い入れが深い。でも今は100パーセント、ニュージャパンのレスラーとして闘っていく決意がある。それでも2団体の対抗戦にはとても興奮してるよ。

――ノアでは、かつてマイキー・ニコルス、シェイン・ヘイストと同じユニット(TMDK)で活動していましたね。現在、新日本ではCHAOSに所属しているニコルスですが、オーストラリアは厳格なロックダウンもありしばらく日本のリングには上がれていない状態です。

ジョナ それは俺も考えてはいる。シェインとマイキーは2013年『東京スポーツプロレス大賞』で1998年にハンセンとベイダーが受賞して以来初の外国人最優秀タッグチームに選ばれた。今、トップ・ドックがあの2人と再会を果たしたらどうなるか? いずれは、“TMDK”復活の可能性も十分あるんじゃないか。

――ここ最近、ニュージーランドのオークランドに新日本のNZ道場が設立されました。オーストラリア出身のロビー・イーグルスは今年の夏にIWGPジュニアを初戴冠、サンノゼ大会ではバディー・マシューズがオカダ・カズチカとシングルで対戦しました。ここに来て、オセアニアのプロレスシーンが注目されるようになったという実感は?

ジョナ それは、もちろんある。俺もオーストラリア出身のレスラーとして、ニュージーランド含めオセアニアのプロレスシーンを盛り上げるためにいろいろと尽くしてきた。1960年代から80年代にかけてはオーストラリアのプロレスも人気だった。以前は、アンドレ・ザ・ジャイアントといったTVに出ている有名なレスラーもオーストラリアまで試合に来ていた。でも、時が経つにつれて、段々オーストラリアのプロレスは忘れられてしまった。ただ、この10年で、さっき名前が上がったレスラーたちの活躍もあり、またオーストラリアのプロレスに注目されるようになってきた。将来的には今以上にもっとたくさんのレスラーがオセアニアから登場するだろう。

――2022年の抱負について教えていただけますか。現段階ではまだ来日は厳しいかもしれませんが、日本のリングに上がりたい気持ちは強いですか?

ジョナ 『NJPW STRONG』で衝撃デビューをはたしたからには、確実に結果を残していきたい。それはもちろん日本のリングに上がることも含まれる。日本で試合がしたい。対戦したい相手もたくさんいる。シンゴ(鷹木信悟)とオカダとの初対戦も熱望している。以前、オーストラリアではナイトー(内藤哲也)と対戦したがグッドマッチができたと思ってる。それから、俺の昔からのライバルである、ザック・セイバーJr.とも闘いたいね。今のところ、ヤツとは2勝2敗という成績だしな。

――来年も世界を飛び回って忙しくなりそうですね。日本のファンに向けてメッセージをいただけますか?

ジョナ 時間はかかるかもしれないが、オレが日本のリングに上がるまで辛抱強く待っていて欲しい。オレは従来の外国人選手とは違う。来日した際には、誰よりも強烈なインパクトを与えてやる!

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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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