三竿健斗 SQUAD NUMBERS〜20〜「逆境を乗り越えるため、もがき、戦い続ける」【未来へのキセキ-EPISODE 29】

鹿島アントラーズ
チーム・協会

【©KASHIMA ANTLERS】

「SQUAD NUMBERS〜背番号の記憶」
これまで数多くのレジェンドがアントラーズ伝統の背番号を背負ってきた。
積み重ねた歴史が生み出した、背番号に込められた重みと思い。
そして、継承するアイデンティティ。
そこには背番号を背負ったものたちの物語が存在する。
創設30周年を迎えた2021シーズン、クラブがリーグ戦毎ホームゲームで特別上映している背番号にまつわるストーリー。
それぞれが紡いできた物語を胸に、今を戦う現役選手が背負う思いとは。
今回は背番号20 キャプテン三竿健斗の覚悟を、ここに紐解く。


 きっかけとなったのは、1通の手紙だった。

「ファン・サポーターの方々から、よく手紙をいただくんです。そのすべてを読み進めるなか……」

 三竿健斗が目にしたのは、“12番目の選手”から届いた思いあるメッセージだった。

『新型コロナウイルス感染症の影響で声を出しての応援ができず、チームもなかなか勝てずにもどかしいです』
『どうにかして選手と一緒に戦いたいのですが、円陣のときに1人分、空けてもらえませんか?』

 そして、今年4月17日の明治安田生命J1第10節徳島戦のキックオフ直前のこと。アウェーのピッチ上に集まった11人の選手たちは円陣の輪を組む際、あえて1人分ほどの空間を作った。そのスペースから一直線上の場所に、アントラーズサポーターが陣取る応援席がある。

『一緒に戦おう』

 それは、手紙を受け取った三竿が示した、サポーターへの意思表示でもあった。

「ファン・サポーターの皆さんも含めてのアントラーズファミリーなので、チームメートにも『こういう手紙をもらったんだけれど、やらない?』という感じで声をかけました。この先も、ファミリーが一体となって戦っていければと思っています」

 こうして、アントラーズ創設30周年の節目の年に、また新たな伝統が生まれた。一人のサポーターと、一人のキャプテンによる手紙を通じた対話が、チームとファン・サポーターの一体感を生み出し、この日、アントラーズは相馬直樹監督体制の初陣を勝利で飾った。

【©KASHIMA ANTLERS】

 「献身・誠実・尊重」。それらのジーコスピリットを人一倍に体現する姿こそ、その左腕にキャプテンマークが巻かれるゆえんだろう。ファン・サポーターにも真摯に向き合う姿勢、身を粉にしてチームのために戦う献身ぶり、小笠原満男や内田篤人らアントラーズの先人への敬意。三竿健斗というフットボーラーには、その魂が宿っている。

「二人(小笠原と内田)に共通しているのは、一番大事なのはプレーで示すということ。いくら言葉で伝えても、影響力がなければ意味がない。プレーで誰よりも戦って、ボロボロになってもやり続けるからこそ、みんなが同じ方向を向くようになるのだと思います」

 2016年にアントラーズに加入してから背負い続ける「20」の番号も、偉大な先輩たちから受け継いだものだ。鈴木満フットボールダイレクターは「内田篤人は2番の前に、柴崎岳は10番の前に、それぞれがつけた背番号です。彼らのように活躍してほしい。そんな思いを持って20番を託しました」と、思いを胸に東京Vから迎え入れた。

【©KASHIMA ANTLERS】

 そんな男に、アントラーズの今が託されている。しかし、三竿自身のサッカー人生を苦悩の連続と捉えている。

「悔しい気持ちの方が多い。加入1年目にチームは2つのタイトルを獲ったけれど、自分は思うように貢献できなかった。2017年には試合に出られるようになったけれど、首位で走り続けながら最終節で追い抜かれてしまった。あのときは心に穴が空いたというか……。そのときの悔しい気持ちもあって、(翌シーズンの)ACL(AFCチャンピオンズリーグ)は優勝できたけれど、Jリーグ、天皇杯、ルヴァンカップのタイトルは逃している。2019シーズンは天皇杯の決勝で負けてしまった。昨年は優勝争いもできていない。だから、僕のなかではACLのタイトルしか“獲った”と言えず、毎年、悔しい気持ちしか味わっていないんです」

 タイトル獲得を義務付けられたアントラーズの選手だからこその苦悩とも言えるのかもしれない。これまでに国内最多の主要20冠を手中に収めてきたタイトルホルダーだ。2位や準優勝では事足りず、チームとして、一人の選手として、頂点に立つことへのこだわりがある。

「“最強”と呼ばれるチームになりたい。毎年、最低でも一つはトロフィーを掲げて、サポーターのみなさんをバックに写真を撮りたい。そんな思いが強くあります。それが当たり前になっていけば、多くの人がタイトル獲得のためにやるべきことを実感してくるはずです。相手がカシマスタジアムに来たら、“本来のプレーができない”、“今日は嫌だな”、“キツイ試合になるな”、と思わせられるように。それぐらい、強いチームになりたい」

 クラブにこれまで積み重ねてきたような勝利への方程式があるわけではない。優勝への道標が明確化されているわけでもない。誰しもが勝つために日々、切磋琢磨することで、道を切り拓いてきた。もがきながら、苦しみながら、愚直なまでに、ただひたすら戦い続けることだけが、頂点に立つ唯一の方法となる。

「このクラブで、そして僕の年齢で、この役割や経験はやりたくてもできないこと。誰もしていない貴重なことだと思うので、必死にもがいて、明るい光が差すまでやるしかない」

 過去を振り返れば、逆境を乗り越えようとするエネルギーこそ、アントラーズの原動力だった。1996年のリーグ初制覇も、2000年の国内3冠も、2007年からのリーグ3連覇も、それまでに蓄積された悔しさを力に変えて、勝ち獲ってきた。今を戦う三竿もまた、その思いは一緒だ。

「悔しさから学ぶものだったり、反骨心だったりは生まれてきます。そういう気持ちを味わったからこそ、他の選手よりもタイトルを獲りたいと本気で思える」

 ジーコから始まり、本田泰人、小笠原、内田らが担ってきたその重責ははかり知れない。そんな歴代のキャプテンがつないできたバトン。今年25歳となる背番号20は、未来を切り拓くために、ピッチの上で最後まで戦い続ける。チームを引っ張るリーダーシップと責任、そして勝利への執念を胸の内に秘めながら。

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著者プロフィール

1991年10月、地元5自治体43企業の出資を経て、茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に鹿島アントラーズFCが誕生。鹿角を意味する「アントラーズ」というクラブ名は、地域を代表する鹿島神宮の神鹿にちなみ、茨城県の“いばら”をイメージしている。本拠地は茨城県立カシマサッカースタジアム。2000年に国内主要タイトル3冠、2007~2009年にJ1リーグ史上初の3連覇、2018年にAFCアジアチャンピオンズリーグ初優勝を果たすなど、これまでにJリーグクラブ最多となる主要タイトル20冠を獲得している。

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