地元江東区で一番輝くメダルを目指したカヌー・瀬立モニカ。感謝と悔しさを胸にパリへ誓い
【photo by Getty Images Sport】
「金メダルを目指して5年間進んできた。悔しい気持ちはすごくある。でも、今日はたくさんの人たちの愛を感じながら漕ぐことができた。7位という結果はリオ(8位)からちょっと上がっただけだけど、楽しいレースでした」
「泣かないと決めていた」。決勝を終え、笑顔を見せた 【 photo by Kyodo】
決勝レースで5年間の進化を証明!
レースを終えた後、瀬立はしばらく艇に乗ったまま、水面からの景色を眺め、地元でのレースを終えた余韻に浸っていた。
高校1年生で車いす生活になってから、生きる希望が東京パラリンピックだった――。
「ここは自分が目指してきた夢の舞台。とにかく、海の森水上競技場に、そして江東区にありがとうという気持ちでした」
海の森水上競技場は瀬立の生まれ育った江東区に位置する 【photo by Takashi Okui】
それでもライブ中継やメディアを通し、全力で世界と戦う自分の姿を多くの人に見てもらいたい。その一心でこの日まで突き進んできた。
地元に愛される選手だ。2015年に国際大会へ初出場し、2016年のリオ大会も地元の熱い応援で送り出された。江東区カヌー協会の選手として活動し、たびたび区報で紹介され、役所に写真が展示されるなど応援される存在になった。江東区の企業もスポンサーとして競技生活をバックアップした。
2019年8月、ハンガリーで行われた世界選⼿権で5位になり、東京パラリンピックの出場切符を手に帰国した際、江東区のカヌー関係者らは成田空港で瀬立を出迎えた。地元の愛を感じるとともに、瀬立はメダルへの思いを強めたことだろう。今大会に向けては「モニカ」の名前が入った応援団扇やタオルなどを後援会が販売。競技会場には、競技役員やメディアの中に瀬立の名前が入ったピンバッジやTシャツを身に着けている人もいた。
モットーは「笑顔は副作用のない薬」。その言葉を授けた母・キヌ子さん譲りの明るい笑顔で多くの人を惹きつけてやまない。そんな瀬立がぐんぐん強くなっていく姿を地元のカヌー関係者らは誇らしく見守った。
2年ぶりの世界大会に苦しんだ
「(東京大会開催に対して)いろんな意見がある中で、区民のみなさんが受け入れてくれてありがたかったです。ボランティアさんから『私も江東区民なんです、頑張ってください』と声をかけてもらって『これが地元で開催されるパラリンピックなんだ』と感じられることもできました」
試合後の報道エリアでは、地元の人たちへの感謝を口にした。
数日前までの30度を超える暑さとは打って変わって20度前後。今大会は苦しい滑り出しになった 【photo by Takashi Okui】
「メダルを獲らないと終われない。(今年度)大学を卒業して(医者になるため)医学部の受験勉強と並行しながらパリを目指したい」
パラリンピックが閉幕した今も、練習拠点とする旧中川・川の駅には瀬立を応援するのぼりがはためいている。生まれ育った町は、これからも「江東区の星」瀬立モニカを応援し続ける。
「メダルを獲るまでは終われない」と前を向いた 【photo by Takashi Okui】
photo by Getty Images Sport
※本記事は2021年9月に「パラサポWEB」に掲載されたものです。
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