早大野球部初の女子マネ・藤田南さん(1年)一問一答

チーム・協会

【早稲田スポーツ新聞会】

【早稲田スポーツ新聞会】取材・編集 萩原沙紀、湊紗希

 早大野球部運営において中核を担うマネジャー。今回特集するのは、1901年に創部して以来初となる女性のマネジャーとなった藤田南(人1=埼玉・開智)。マネジャーに就任するまでの経緯や仕事、そして注目を集めるであろう自身の立場に対しての心境を伺った。

※この取材は9月21日にオンラインで行われたものです。

マネージャーのきっかけは・・・

――野球に興味をもったきっかけは何ですか

 私の家族が野球好きだったことです。父が野球をしていたということが興味をもった第一の理由だと思います。

――高校時代にはどんなことをされていましたか

 3年間野球部のマネジャーをしていました。勉強に力を入れている学校で、ほとんどの部活は3年生になる前に引退するというかたちでした。そんな中で野球部は夏までと一番遅くまで部活動をしていたので、周囲の人から部活を辞めて受験勉強に専念することを勧められたこともありました。ですが応援してくださる方々のもと、最後まで部員みんなと乗り越えられたことは良かったなと思います。

――大学でもマネジャーを続けたいと思ったのはどうしてですか

 まず先述したように父の影響で野球が身近にあり好きだったので、大学でも関わりたいと思うようになりました。また早稲田大学は東京六大学ということで多くの観衆の中、神宮球場で試合ができることを知り、それらの運営にも携わりたいなと思ったことが大学でもマネジャーを志望することに繋がりました。

――大学に入学してから現時点までどのようなことをしていましたか

 まず野球部では夏の終わり頃に行われるミーティングでマネジャーが選ばれるので、入部当初はマネジャーではなく部員として入部しました。活動としては主に1年生が行う朝準備、日中の練習時間中には寮でマネジャーの先輩方の手伝い、他にはオープン戦での写真撮影やリーグ戦のためのデータの仕事をしていました。

――その中で特に大変だったことは何ですか

 家が遠く、準備のために朝早く起きなければいけなかったことです。授業や課題の際も睡魔と戦っていたので、それが大変だったなと思います(笑)。

――早稲田大学には女性のマネジャーを受け入れている部活が多くあると思います。その中でも野球部でマネジャーをやりたいと思ったのはどうしてですか

 やはり、神宮球場で試合ができるのが野球部しかないという点が大きかったです。また、大学4年間は勉強もそれ以外のことも全力でやると決めていたので、それを実現するためにも野球部でやりたいと思いました。

――1日のスケジュールを教えてください

 朝準備をして練習が始まるというのが基本的なかたちです。午前中に授業のある場合は野球のことは午後に行い、逆に午後に授業がある場合は午前中に部活の仕事をしています。夜間は大体7時頃まで仕事をしています。

――マネジャーとして認められるまで、特に頑張ったなと思うことはありますか

 1年生はみんな一緒ですが、やはり朝早く起きたことかなと思います。ですが両親が一緒に同じ時間に起きてくれたり、特に母はお弁当を作ってくれたりと家族の支えもあったのですごく感謝しています。

自分のできることを

――創部以来初の女子マネジャーということになると思いますが、その部分に関してどのように感じていますか

 初の女子マネジャーということなので、良いことも悪いこともいろいろと言われると思います。ですが、創部してから今までたくさんの方々が作り上げてきたものを、私も続けていけるように頑張りたいです。

――現在マネジャーとして仕事をする上で、大変だと感じることは何ですか

 9月の初めに正式にマネジャーになったのですが、自発的に仕事を見つけることや、ただ仕事を覚えるのではなく自分で効率やどうすればより改善するかなどを考えながら、作業にならないように仕事をこなすことが難しいと感じています。

――反対に嬉しかったことは何ですか

 マネジャーになるというタイミングで部全体に挨拶をさせていただいたのですが、その後に先輩や同級生部員から「おめでとう」と言ってもらえたことが嬉しかったです。

――マネジャーの最終決定は誰によって行われましたか

 小宮山悟監督(平2教卒=千葉・芝浦工大柏)と川口浩部長からは、学年で許可が出れば認めると言われていました。そして学年でマネジャーミーティングが開かれた際に、部員のみんなに「任せる」と言ってもらえたので、最終的には同期の承認だったと思います。

――就任が決まった際、小宮山監督からは何か言葉をかけられましたか

 就任が決まった翌日の朝にご報告に伺ったのですが、その時に「頑張ってね」と言葉をいただきました。

――入部する前と後で野球部の印象は変わりましたか

 初めからわかってはいたものの、最初は周りが男子部員ばかりなのですごく不安でしたが、学年を問わず部員の方々にはとても優しくしてもらいました。印象の変化としては同級生の話になるのですが、最初はみんな大人しく硬派な感じなのかなと思っていました。ですが現在はみんな真面目に練習する反面、オフや練習が終わったときなどにはとても面白いです。

――野球部の中で凄いと思うところはどんなところですか

 野球部の練習は全く楽なものではないと思うので、みんな野球が本当に好きなんだなと感じています。自分の好きなことに対して、一生懸命という言葉では言い表せないくらい熱心に取り組んでいるところや、先輩方の姿を見て下級生が団結できるところがすごいなと思います。

――マネジャーの先輩方を見ていて刺激を受けることはありますか
 先輩方は常に先の先のことを考えているところに刺激を受けています。私が考えているよりもっと先のことまで意識して行動し、どうしてそうなるのかなどを念頭においた上で仕事をされているので、私はまだ及んでいないなと感じています。

――具体的にすごいと感じるのはどんなところですか

 SNSの投稿や企画を計画する際に作る、どの日に何をどんな目的で始め、いつまでに終わらせるのかといったスケジュールの立て方が特にすごいなと感じています。

――今後はどのようなマネジャーになりたいですか

 やはりチームがリーグ戦(東京六大学野球リーグ戦)で優勝したり、その後の大会(全日本大学選手権、明治神宮大会)で日本一になったりすることにマネジャーとして貢献していきたいというのはもちろんですし、早稲田大学野球部、引いては東京六大学野球がもっといろいろな人から注目されるように自分のできることをしていきたいと思います。また個人的に、上級生になったら神宮球場でアナウンスをして、試合を進めていく上で力になれたらと思います。

――ありがとうございました!
◆藤田南(ふじた・みなみ)

2002(平14)年10月12日生まれ。埼玉・開智高出身。人間科学部1年。野球部の女子マネジャーで「南」というお名前…。もしやと思い伺ってみると、やはり漫画のタッチ(あだち充原作)のヒロイン、浅倉南にちなんでいるそうです!特に気にはしていないものの、すでに漫画は読まれたのだとか。彼女のように、早稲田の南マネジャーも野球部の大きな力になってくれることでしょう!

「創部120年の早大野球部 初の女性マネジャー藤田南(1年)に迫る」を読む↓

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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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