創部120年の早大野球部 初の女性マネジャー藤田南(1年)に迫る

チーム・協会

【安部寮にて(早稲田大学野球部提供)】

【早稲田スポーツ新聞会】 記事 萩原沙紀 

「やっぱり神宮球場が―」。溢れ出す笑顔でそう話すのは、早稲田大学野球部創部以来初めて女性としてマネジャーとなった藤田南(人間科学部1年=埼玉・開智)だ。1901年創部の野球部は今年、120年という節目を迎える。そんな長い歴史を持つ早大野球部にとって、初めての女性のマネジャー誕生。その裏側に迫る。

「南」という名前の由来は、国民的野球漫画「タッチ」のヒロイン浅倉南。藤田自身も漫画は全巻読んだと言い、「みんなにも南ちゃんと親しみを持って呼んでもらえるので嬉しい」と話す。そう名付けた父は野球経験があり、幼いころから野球が身近にあった。

 そんな彼女のマネジャー人生の幕開けは高校時代だった。中学までしていた水泳を辞め、野球部のマネジャーとなった。埼玉県屈指の進学校である開智高校では多くの生徒が高校2年までで部活を引退するというが、野球部は別。周囲からは、辞めて受験勉強に専念したらと勧められたこともあったが、3年の夏までやりきった。野球部を引退後は、同級生に負けないように必死に勉強をし、見事早稲田大学の現役合格を勝ち取った。藤田は合格した当時を、「受かった喜びというより、驚きのほうが強かった」と振り返る。

 そうして迎えた大学1年の春、藤田は大きな決断をする。憧れだった早大野球部のマネジャーになるということだ。しかし、早大野球部はマネジャー志望で入部することはできない。『部員』として入部し、他の男子部員と同様の「朝準備」と呼ばれる練習の準備やデータ収集を行い、正式にマネジャーとして認められたのがこの9月のことだ。マネジャーは毎年、『マネジャーミーティング』と呼ばれる学年ごとの会議で選出される。早大野球部は伝統として『学生主体』を掲げており、監督や部長はその決定に委ねるというスタンスだ。今年もその会議を経て正式に認められ、現在に至る。始めは不安や怖さもあったという藤田だが、承認後に設けられた全体での挨拶で、「自覚と責任を持って頑張ります」と話した。その時に部員や監督からかけられた賞賛のことばや激励が、藤田の原動力になっている。

 女性で初めてのマネジャーとなった今、どう感じているのか尋ねてみた。すると「初めてということでいいことも悪いことも言われると思う。それでも今までたくさんの先輩方が築いてきた野球部を後輩たちに繋いでいけるように頑張りたい」と、引き締まった面持ちでその決意を語った。

 「(今までは他大の女子マネジャーが担っている)神宮球場でのアナウンスができれば」と個人的な目標も話した藤田だが、それ以上にチームが目標とする『リーグ戦優勝、日本一』へ貢献したいと話す。新たな歴史を作っていく彼女の挑戦が、早大野球部に新たな風を吹かせる、そんな予感がする一日であった。

藤田マネージャーの今後の活躍に期待だ! 【早稲田大学野球部】

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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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