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【浦和レッズスペシャルインタビュー】似た状況に置かれる同い年の好敵手との対決へ。一度失ったJ1リーグ出場への西川周作のおもい

浦和レッドダイヤモンズ

「ユニフォームちょうだいよ」

西川周作にそう声を掛けてきたのは、ヴィッセル神戸の飯倉大樹だった。

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同い年で同じGK。西川は大分トリニータ、飯倉は横浜F・マリノスと共にJクラブの育成組織で育ち、今は違うクラブでプレーする。同じクラブでプレーした経験もなければ、各カテゴリーの代表でチームメートになったこともない。だが、明るくオープンな性格の飯倉は西川にとっても話しやすい存在であり、何かあれば連絡を取り合う仲だ。

それでも、ユニフォームが欲しいと言われたことに驚き、西川は思わず聞き返した。

「どうした、どうした」

飯倉がこともなげに答える。

「シュウちゃんはストーリーがあるからさ。これまで積み重ねてずっとやってきて、でも1回ああいう形で外れたけど、またポジションを奪い返して活躍している。そういうストーリーがかっこいいんだよな」

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「おいおい、何言ってんだよ。照れるじゃないか」と返しながらも、西川は飯倉とユニフォームを交換した。5失点での敗戦は猛烈に悔しかったが、対戦相手でありながら友人でもある男の態度と言葉が、少しだけ心を癒してくれた。

YBCルヴァンカップ プライムステージ 準決勝の2戦を挟んだ前節に続き、明治安田生命J1リーグ 第32節 ガンバ大阪戦でも西川は、同級生のライバルと対戦する。

西川周作と東口順昭 西川周作と東口順昭 ©J.LEAGUE

G大阪のゴールを守る東口順昭は、西川にとって「お互いに高め合いながらやってこられた」存在だ。

両者ともにクラブであらゆるタイトルを獲得し、西川は14年、東口は18年のFIFAワールドカップに参加。西川はユースからトップチームに昇格した1年目から活躍し、東口はジュニアユースから洛南高校に進学、福井工業大学ではサッカー部の解散を経験して新潟経営大学に転入するなど、プロ入りと道筋は違ったが、長年に渡って一線で活躍し続けている。

それぞれが今年で35歳を迎えた。ベテランと言われる年齢であり、「見ている人も新しいものを見たくなる時期になってくる」と西川も感じていた。

500試合出場記念セレモニー時の西川周作と鈴木彩艶 500試合出場記念セレモニー時の西川周作と鈴木彩艶 ©URAWA REDS

「ヒガシは今年もがんばっていますし、ずっと出続けていることは本当にすごいと思います」

東口は過去2シーズン、フルタイム出場を続け、今季も31試合フルタイム出場を続けている。不動の存在と言えるかもしれない。だが、U-24日本代表で活躍し、日本代表にも招集された谷 晃生は、G大阪から湘南ベルマーレに期限付き移籍している。来季以降、谷が復帰するとなれば、その座も安泰とは言えない

西川周作と谷 晃生 西川周作と谷 晃生 ©J.LEAGUE

一方の西川は今季、「ずっと出続けていた」と過去形になることがあった。2014年にレッズに加入して以降、昨季までの7シーズンで欠場したJ1リーグはわずかに1試合。それまではサンフレッチェ広島時代も含めて225試合にフルタイム出場し、以降も49試合連続フルタイム出場していた。

しかし、5月9日に行われた明治安田生命J1リーグ 第13節 ベガルタ仙台戦。ホームの埼玉スタジアムで行われた一戦で、スターティングメンバーに西川の名前はなかった。

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J1リーグ通算500試合出場、今季で29年目を迎えるJリーグの歴史でたった9人目の金字塔を打ち立ててからたった3試合、たった21日後の出来事だった。

「少しでも僕が変なプレーをすれば『塩田を出せ』、『彩艶を出せ』ということになると思いますし、そういうプレッシャーを感じながらプレーできています」

そう感じてはいたが、ポジティブな緊張感だった。目標はGKとしての最多出場、楢崎正剛さんが持つ631試合を超えること。500試合は通過点としか思えなかった。だから、すぐ先にそんなことが待っているとは、つゆほども想像もしていなかった。

ベンチから仲間に声をかける西川周作 ベンチから仲間に声をかける西川周作 ©URAWA REDS

しかし、まさかの事態が起ころうとも、気持ちは折れなかった。いや、もしかすると一瞬折れたのかもしれないが、筋肉が一度壊れることで肥大化するように、西川の心は強靭さを増した。

「正直、スタメンから外れるとは全く思っていませんでした。でも、自分が招いてしまったことだと感じていましたし、すぐに切り替えることができました」

5月のある試合翌日、レッズがトレーニングを行う大原サッカー場には激しい雨が降っていた。前日の試合に出た彩艶、前日はメンバー外でハードなメニューをこなしていた塩田は、西川とグータッチしてピッチを去っていった。

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その数分前にフィールドプレーヤーもトレーニングを終えていた。サポートするスタッフもラインの外側にいる。105m×68mのピッチには浜野GKコーチ、そして西川の2人しかいない。

浜野GKコーチが蹴ったボールに鋭く反応する。ピッチは多分の水を含み、西川のトレーニングウェアの背中やソックスを下げて露出したふくらはぎは泥に塗れた。それでも関係ない。いつも通り、いや環境も手伝ってなのか、普段以上の熱を発しているように見えた。

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「グッド!グッド!…パーフェクト!!」

浜野GKコーチの声が響く。西川がうなずく。その表情はトレードマークの一つである笑顔とはほど遠く、口は真一文字。眼光は鋭かった。

出場していないからこそ行った試合翌日のハードなトレーニング。当時を西川はこう振り返る。

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「今までひたすら突っ走ってきたことで感じられなかったことを、外れたことで感じることができました。試合に出られない選手の気持ちや、自分の気持ち」

そう言って西川は少しだけ間を空けた後、畳みかけるように続けた。

「もっと試合に出たい。もっと活躍したい。もっと勝ちたい。やっぱりサッカーが好きなんだ。そう思えました。悔しいですが、(リカルド ロドリゲス)監督からのそういうメッセージだったとポジティブに捉えていますし、感謝しています。また必ずチャンスは来る。そう思いながらトレーニングできていました」

J1リーグのスタメンから外れていた時期も、西川はポジティブかつ冷静に、チャンスを狙っていた。

試合後に埼玉スタジアムのピッチを黙々とランニングしていた 試合後に埼玉スタジアムのピッチを黙々とランニングしていた ©URAWA REDS

昨季は新型コロナウイルス感染拡大の影響で試合数が半分になり、さらにレッズのグループではJ2リーグの松本山雅FCが不参加となったことにより、たった2試合で終わってしまったYBCルヴァンカップもある。同様の理由によりJ1リーグで参加できたのは上位2チームだけだった天皇杯も2回戦から戦える。オリンピック開催の影響で前半戦は連戦が続く。

悩む暇などなかった。後悔するよりも、先を見た。これまでは試合が次々とやってきたが、先のスケジュールを確認した。

「この試合があるから、ここでチャンスが来るかもしれない。だから準備しよう。そういうふうに先を見て、照準を合わせてトレーニングしていました」

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そして西川は、再びレギュラーと言える立場になった。7試合ぶりに先発出場した柏レイソル戦から13試合連続フルタイム出場。レッズは8勝2分3敗と成績が上向きになり、その間に連続無失点は5試合を数えた。

そして迎えるG大阪戦。前節の神戸戦は西川にとって全く望まない結果となってしまったが、ここから再び来季のAFCチャンピオンズリーグ出場権獲得に向けて、再び帯を締め直す。

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東口に負けたくないことがある。一つひとつのプレーにこだわりがあり、一方で選手それぞれに特長がある。それは単純に比較できるものでもないが、西川ははっきりと目に見えるものにこだわる。

「とにかく結果は負けたくないです。いくら内容でいいプレーをしても、0-1で負けたら絶対に悔しい。ヒガシはいつもレッズ戦でいいセーブをたくさんしますし、彼の壁を越えるのは簡単ではありません。GKの我慢の勝負になると思います」


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そして西川が最もこだわる無失点の試合数は、チームとして今季16試合を数えている。2014年に達成したクラブ最多記録に並んだ。西川がレッズに加入して初めてのJ1リーグ無失点試合は、加入初戦。東口もアルビレックス新潟から移籍して初めて迎えたG大阪戦だった。

「次ですね、記録を更新するとしたら。舞台は整いました。埼スタですし、文化シヤッターさんを下ろしたいですね」

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昨年までと違い、いつ何が起きるか分からない。次の試合で真っ先にピッチに入れる確約はない。それでも西川は信頼し合う塩田、彩艶と日々切磋琢磨しながら、全力で準備する。

次の試合もピッチに立つために。そして、埼玉スタジアムでの試合をクリーンシートで終えたとき、オーロラビジョンに映るシヤッターが下りる映像と「Nice Shut Out !!」の文字を、試合後に見ながら喜びを噛み締めるために。

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クラブ名
浦和レッドダイヤモンズ
クラブ説明文

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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