自身を変えた「ターニングポイント」〜秋田ノーザンハピネッツ #5 田口成浩 前編〜
【秋田ノーザンハピネッツ】
3シーズンぶりに秋田へ帰ってきた田口成浩選手は、移籍時の決断に至るまでの思い、千葉でどのような経験を積み重ねたのか。これまで秋田のブースターに伝えられていなかったことを、自ら語る。
心からの、〝お帰りなさい〟
それは、2018年6月28日に行われた。秋田ブースターの脳裏に焼き付いている、田口成浩選手の退団記者会見。プロバスケットボール選手になりたいという夢を、故郷・秋田に誕生した秋田ノーザンハピネッツで実現した〝シゲ〟にとっては苦渋の決断だった。
〝秋田愛〟は誰にも負けないと自負する男は、コートに立てば無我夢中、全力プレーでブースターに愛された。
Bリーグ初年度(2016-17)、まさかのB2降格を経験するも、キャプテンとして戦った2017-18シーズンはB2でぶっちぎりの好成績。B1復帰の瞬間など、すべてをブースターと共有してきた。時には嫌われ役を買って出たが、それもすべてチームの勝利のため、いつも支えてくれるブースターへの感謝を表すためと割り切った。
秋田を愛し、秋田に愛されたのに、どうして?──ブースターの多くは、その記者会見を見守っただろう。
わがまま≠我が意のまま
「秋田で7シーズンやらせていただきました。ブースターさんへの想い、家族のこと、仲間のこともそうですけど、ずっと過ごしてきたところ(秋田)を離れなければならないという、葛藤がありました。自分自身の気持ちを選ぶか、周りの人たちのことを考えるのか、その選択だったと思います」
秋田が生んだスター選手が選んだのは、千葉ジェッツへの移籍。
神妙な面持ちでマイクの前に現れた田口選手は、自分の気持ちを素直に言葉にする。涙のシーンが印象深く語り継がれているが、それは仲間のことを話し出したシーンからだった。
「谷口、白濱、中山、保岡……」彼らの他にもB2降格、B1昇格をともに戦ったチームメイトやスタッフ、ブースターの顔が浮かんだに違いない。田口選手本人も、こう振り返った。
「入団した時から、多くの仲間、ブースターさんに支えられて、いろいろなことを乗り越えることができました。B2のシーズンはキャプテンとして、厳しいことも言いましたが、それでも若手は『シゲさん、シゲさん』って、付いて来てくれて…。思い出すと感謝の気持ちが溢れました」
B2降格からB1復帰へ。チームにも自分にも逆境だった苦しい時期を乗り越えた時に、あえて移籍という大きな決心する。プロ選手としてさらなるステップアップを目指したい、その一心からだった。
「(移籍によって)自分がどうなるかを知りたい。秋田でチームを引っ張りながら戦うことも、自分を成長させてくれることになるでしょう。でも、違う環境に飛び込んで、自分がどのような形でチームに貢献できるのか、秋田でやって来たことが間違いではなかったということも知りたかった。個人としてチャレンジして、何ができるかというのを知りたかったんです」
田口選手の心境を推し量れば、フリーエージェント(FA)の権利を得たプロ野球選手が、「他球団の評価も聞いてみたい」というのと同じ。
「水野勇気社長とはかなり話をしました。アドバイスや提案をいただく中で、『田口くんの決断は尊重するし、リスペクトするよ』という言葉にあと押しされました。ただ、『人としてはそうだけど、ハピネッツの社長としては何とか残留してもらいたい』という本音の部分にも触れ、評価していただいていると理解できました。『何年先になるかは分からないけれど、ハピネッツで頑張ってもらいたい気持ちはありますから』」という言葉に、一生懸命プレーして来て良かったと思いました」
水野社長の檄に応えた田口選手は、決して甘えることはなかった。「秋田を出るからには、〝情けない結果〟にならないように」と強く意識したという。どんな結果になろうとも、千葉でも自分ができることを全力でやり通す覚悟を持ち、命がけでやると決めていた。
<続きは「クラブハピネッツ」で>
文・羽上田 昌彦
それは、2018年6月28日に行われた。秋田ブースターの脳裏に焼き付いている、田口成浩選手の退団記者会見。プロバスケットボール選手になりたいという夢を、故郷・秋田に誕生した秋田ノーザンハピネッツで実現した〝シゲ〟にとっては苦渋の決断だった。
〝秋田愛〟は誰にも負けないと自負する男は、コートに立てば無我夢中、全力プレーでブースターに愛された。
Bリーグ初年度(2016-17)、まさかのB2降格を経験するも、キャプテンとして戦った2017-18シーズンはB2でぶっちぎりの好成績。B1復帰の瞬間など、すべてをブースターと共有してきた。時には嫌われ役を買って出たが、それもすべてチームの勝利のため、いつも支えてくれるブースターへの感謝を表すためと割り切った。
秋田を愛し、秋田に愛されたのに、どうして?──ブースターの多くは、その記者会見を見守っただろう。
わがまま≠我が意のまま
「秋田で7シーズンやらせていただきました。ブースターさんへの想い、家族のこと、仲間のこともそうですけど、ずっと過ごしてきたところ(秋田)を離れなければならないという、葛藤がありました。自分自身の気持ちを選ぶか、周りの人たちのことを考えるのか、その選択だったと思います」
秋田が生んだスター選手が選んだのは、千葉ジェッツへの移籍。
神妙な面持ちでマイクの前に現れた田口選手は、自分の気持ちを素直に言葉にする。涙のシーンが印象深く語り継がれているが、それは仲間のことを話し出したシーンからだった。
「谷口、白濱、中山、保岡……」彼らの他にもB2降格、B1昇格をともに戦ったチームメイトやスタッフ、ブースターの顔が浮かんだに違いない。田口選手本人も、こう振り返った。
「入団した時から、多くの仲間、ブースターさんに支えられて、いろいろなことを乗り越えることができました。B2のシーズンはキャプテンとして、厳しいことも言いましたが、それでも若手は『シゲさん、シゲさん』って、付いて来てくれて…。思い出すと感謝の気持ちが溢れました」
B2降格からB1復帰へ。チームにも自分にも逆境だった苦しい時期を乗り越えた時に、あえて移籍という大きな決心する。プロ選手としてさらなるステップアップを目指したい、その一心からだった。
「(移籍によって)自分がどうなるかを知りたい。秋田でチームを引っ張りながら戦うことも、自分を成長させてくれることになるでしょう。でも、違う環境に飛び込んで、自分がどのような形でチームに貢献できるのか、秋田でやって来たことが間違いではなかったということも知りたかった。個人としてチャレンジして、何ができるかというのを知りたかったんです」
田口選手の心境を推し量れば、フリーエージェント(FA)の権利を得たプロ野球選手が、「他球団の評価も聞いてみたい」というのと同じ。
「水野勇気社長とはかなり話をしました。アドバイスや提案をいただく中で、『田口くんの決断は尊重するし、リスペクトするよ』という言葉にあと押しされました。ただ、『人としてはそうだけど、ハピネッツの社長としては何とか残留してもらいたい』という本音の部分にも触れ、評価していただいていると理解できました。『何年先になるかは分からないけれど、ハピネッツで頑張ってもらいたい気持ちはありますから』」という言葉に、一生懸命プレーして来て良かったと思いました」
水野社長の檄に応えた田口選手は、決して甘えることはなかった。「秋田を出るからには、〝情けない結果〟にならないように」と強く意識したという。どんな結果になろうとも、千葉でも自分ができることを全力でやり通す覚悟を持ち、命がけでやると決めていた。
<続きは「クラブハピネッツ」で>
文・羽上田 昌彦
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