「絶対無理じゃん」葛藤の中、積賢佑を吹っ切れさせた一言とは?

チーム・協会

【【クボタスピアーズ(ラグビー)】】

大きな挑戦になることはわかっていた、だからプロを選んだ

すぐ近くで見ていてわかっているつもりになっていたけど、体験してみるとまるで想像と違う。
そんな体験をしたことはないだろうか?

クボタスピアーズ入団2年目の積選手にとって、まさにその体験がちょうど一年前に起こった。

2020年9月、クボタスピアーズはシーズンに向けて本格的な実践練習に入っていた。
その一つが、ライブスクラムだった。
ライブスクラムとは、8人対8人で試合と同じシチュエーションで組むスクラム練習のこと。
マシンを使ったスクラム練習とは違って緊張感も増す。それがチームとしてシーズン初のライブスクラムならなおさらだ。

当時入団1年目、それまでのポジションはバックロー(スクラム第3列、フランカー、NO.8のポジションの総称)。
クボタスピアーズ入団からスクラム第1列のフッカーにポジション変更した積選手にとって、これが人生で初めてフッカーとして組むライブスクラムだった。

スクラムを組んだ。
そして、スクラムが落ちた。
「スクラムが落ちる。」試合でも練習でも、よく見る光景だ。
だが、ポジションを変えて体験した「よくあること」に心身ともに驚愕した。

心の内側から出てきた言葉は
「首がもげたかと思った。こんなの絶対無理じゃん」
だった。

社会人からのポジション変更。しかも、専門職といわれるフッカー。
スクラムでは第一列でスクラムのかじ取り役、ラインアウトではボールを投げ入れるスローイングを行う。チームの核となるポジションへ挑む。だからこそ、プロを選んだ。大きな挑戦になるとわかっていたからだ。

「クボタスピアーズに入団するにあたり、ポジションも変わるので早い段階でラグビーに打ち込める環境に身を置きたかった。」と社員選手でなくプロ選手として入団した理由を話した積選手。

覚悟はできているつもりだった。
大学は流通経済大学。
部員数が150人近いチームでキャプテンを務めた。
技術、フィジカル、メンタルとあらゆる面で鍛錬してきた、揉まれてきた。
だが、ポジション変更の壁は想像以上に高かった。

特に課題に感じたのはスクラムだ。
両腕にスクラムを生業(なりわい)にするようなプロップを束ね、後ろからはチーム一の巨漢が並ぶ第2列のロックから押される。そうして相手と組み合うそのスクラムの中心にフッカーがいる。スクラムがつぶれた時は両腕は使えない。頭・首だけでその重みを耐える。
だが、そのスクラムの重さ以上にフッカーとしての役割の重さが、自身を圧した。

「プロでやると決めたしな、ここで腐ってられないよな。」

高い壁とプロの道を選んだ覚悟。
ちょうど1年前、そうした様々な思いが交差しては葛藤する毎日だった。

↑積賢佑。熊本県県出身。2020年入団の23歳。熊本西高校⇒流通経済大学⇒クボタスピアーズ。 高校・大学はフランカー・NO.8ととして活躍し、大学3年生からレギュラーに定着。大学4年生時におよそ150人の主将としてチームを牽引。大学選手権3回戦では、流通経済大学が公式戦で初めて帝京大学に勝利する部の歴史を築いた 【【クボタスピアーズ(ラグビー)】】

競い合って高め合う、そして成長する

積選手は表には出さないだけで、責任感が強い一面がある。
大学時代4年生でキャプテンを任された際には、チームを意識するあまり本来のパフォーマンスを出せない日々が続いた。その時、積選手は
「僕をメンバーから外してください。」
そうヘッドコーチに伝えた。

社会人になり、学生時代とはまた違った種類の葛藤が積選手の感情を揺さぶった。

手を差し伸べてくれたのは、ライバルともいえるはずの同じポジションの先輩たちだった。

「大塚さんや大熊さんがスローイングの練習に付き合ってくれました。ヒロさん(杉本選手)は、第3列からフッカーへのポジション変更という経歴が同じであることもあって、よく声をかけてくれました。」

特に覚えているのは、当時ポジション最年長、現クボタスピアーズスクラムコーチ後藤満久の一言だ。

「世界レベルの選手でも失敗はする。まして積のようにポジション変更したならなおさらだ。そこでひとつひとつの失敗を気にしていては成長できない。一日一日自分ができることをやって成長したらいい。」

なんだかスッと胸が楽になるような感じがした。
「吹っ切れたというか、やるしかないな、と思うようになりました。」

そこからの積選手は日々の成長にフォーカスする。
そして、目に見えなかった成長は次第に手応えとなって現れる。

最初は15mラインまで届かなかったスローイングも飛距離を伸ばし、安定感が増した。
初めてのライブスクラムで「絶対無理」と思っていたスクラムは、昨シーズンの最後にはレギュラーメンバー相手に、対等に組み合えるスクラムもあった。

また、環境の違いが積選手の成長を後押しした。

「大学4年生のキャプテンだったときは、自分がチームのだれかを引っ張らなきゃいけない、という意識でした。ですがクボタスピアーズに入ってからは、みんなの目標意識が高い。そして、チームの一体感は強いのに競争もある。
火曜日(試合週で最も強度の高い練習日)のフォワード練習はすごいですよ。お互いにやり合ってます。もちろんチームのために。
なんというか…、お互いに高め合っている感じです。それに自分も刺激を受けて、自然と高めてもらったと思います。」


昨シーズンは日々の練習で、一歩一歩成長した積選手。まさに修行のような一年だった。
これから欲しいのはフッカーとしての実践経験だ。

「フッカーとして試合に出場できたのは、11月に行われた別府合宿での練習試合だけです。
スクラムを組んで、その後に走ることがあんなにもきついとは思わなかったです。
楽しくはありましたが、とにかくしんどかったことを覚えています。」

2020年11月20日に行われた宗像サニックスブルースとの練習試合では、20分だけだったがフッカーとして試合に出場することができた。 【【クボタスピアーズ(ラグビー)】】

自身の得意プレーを「ハンドリングとずらして当たる接点」と語る積選手。
そのプレーは実践でこそ活かされ、この一年で磨いたフッカーとしての役割であるセットプレー(スクラムやラインアウト)を見せることができれば、フッカーの競争がより激しくなるだろう。

同ポジションには、昨シーズン全試合出場し、現在も南アフリカ代表で活躍中のマルコム・マークス選手がいる。その絶対的な存在がいても、積選手は「いい学びになる。」とポジティブに捉える。

積選手は、7月に行われた社員選手が中心の菅平合宿でプロ選手として唯一参加した。

「参加したほうが自分のためになると思ったからです。後藤コーチにもそのようにアドバイスされ、今回の合宿に参加しました。実際素晴らしい環境でラグビーができたので、参加して良かったと思っています。」

本来であれば9月3日から行われるはずだった若手選手主体のラグビー10人制の大会「KITAMI/ABASHIRI 10s Rugby Festival2021」での出場が期待されていた積選手。
菅平合宿中に、「特に1対1を見てほしいです。」と意気込みを話してくれていた。

残念ながら新型コロナウィルスの影響を受け、中止となってしまった本大会だが、それでも
「15人制でのプレシーズンマッチに向けて自分ができることをやるだけ」と動じない。

ちょうど一年前、あの残暑が残るグラウンドで葛藤していた新人選手は、さらに揉まれて高められ、逞しい2年目の選手となった。

確かに試合には出ていないかもしれない。
まだ結果を残してないかもしれない。
けれど、着実に力をつけ、胸を張って成長したといえる姿がここにある。

積選手のフッカーとしてのさらなる成長が見逃せない。


文:クボタスピアーズ広報 岩爪航
写真:チームカメラマン 福島宏治
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著者プロフィール

〈クボタスピアーズ船橋・東京ベイについて〉 1978年創部。1990年、クボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市のクボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備。2003年、ジャパンラグビートップリーグ発足時からトップリーグの常連として戦ってきた。 「Proud Billboard」のビジョンの元、強く、愛されるチームを目指し、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っている。NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23では、創部以来初の決勝に進出。激戦の末に勝利し、優勝という結果でシーズンを終えた。 また、チーム強化だけでなく、SDGsの推進やラグビーを通じた普及・育成活動などといった社会貢献活動を積極的に推進している。スピアーズではファンのことを「共にオレンジを着て戦う仲間」という意図から「オレンジアーミー」と呼んでいる。

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