チームに実りをもたらす 大輪の花「MF 29 ホドルフォ」

ツエーゲン金沢
チーム・協会

【zweigen kanazawa】

2019シーズンにブラジルから来日し、Jリーグデビューを果たしたホドルフォ。
常に笑顔を絶やさない前向きな性格で、ツエーゲンに加入してからもすぐにチームメ イトから愛される存在に。チームが苦しい時期も下を向かずに前へ前へ。そんな、 周囲をも明るくする人格をつくってくれたのはブラジルに住む愛する母の教えだった。

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チームメイトとのコミュニケーション

――いつも明るいホドルフォ選手ですが、それは幼い頃から変わらない性格ですか?
「子どもの頃から明るかったですね。家族もみんな同じように明るいのですが、それは『いつも笑顔を絶やさず生きていこう』という母の教えでもあります。生きていくうえで笑顔がすご大事だということを母から学びました。もちろん人生は山あり谷ありで、生きていると困難や悲しいこともあると思いますが、母から教わったことを大切にしているので自分はこういう明るい性格なんです」

――チームメイトやスタッフとも積極的にコミュニケーションを取ることで、周囲の雰囲気も明るくしてくれているように感じます。

「仲間とコミュニケーションを取ることは大事だと思っています。自分は日本語がそんなに流暢に話せるわけではありませんが、『おはよう』『大丈夫』『右・左』といった基本的な単語は少しずつ覚えています。
今後日本でプレーするためには日本語を覚えないといけないので家でもたまに勉強していますが、やっぱりひとりで勉強するのは難しいです。仲間とコミュニケーションを取ることで勉強にもなりますし、お互いに仲良くなっていけると思います。チームメイトのなかには、いくつか単語をおぼえてポルトガル語を話してくれる人もいます。そのことにとても感謝していますし、すごく嬉しいです」


――嶋田慎太郎選手や金子昌広選手、去年は加藤陸次樹選手(C大阪)とも2人きりで話している姿を見ました。
「シン(嶋田)やムツキ(加藤)とは同じアタッカーとして、どういうふうに攻撃をしていくかという部分でもコミュニケーションを取っています。
マサ(金子)のことは『ネイマール』というニックネームで呼んでいます。

『ネイマール』とはほぼ毎日コミュニケーションを取ったり、ふざけ合ったりしています。その3人だけではなく、いろんなチームメイトとコミュニケーション取り合っていますよ

――金子選手はなぜ『ネイマール』なのですか?
体格は違いますけど、 マサもテクニシャンですからね。去年、 ルカオと『 (プレーが)ネイマールみたいだからマサのニックネームにしよう』と話したんです」

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サッカーで家族を支える

――では、 ホドルフォ選手はいつ頃、 どんなきっかけでサッカーを始めたんですか?
「10歳の頃に街のサッカースクールに入って始めました。その頃は本当にサッカーのことしか考えていなかったですね。
実は自分は父の顔を知らなくて、兄弟は家のために手伝いをしていたりしたのですが、当時の自分は家族のことには構わず『サッカーがしたい』ということしか頭にありませんでした。でも15歳くらいの頃から、サッカーを通して家族の生活を助けたいと強く思うようになりました。
少しですがサッカーを通して収入を得られるようになってきていたので、光熱費などは母の代わりに払うようにしていました。その頃から、家族、母、兄弟の生活を助けるためによりサッカーを頑張らないといけないという気持ちが強くなっていったんです」

――ホドルフォ選手は2016年にメトロポリターノでプロになったと聞いていますが、15歳の頃というとプロになる前ですよね
「プロになったのは18歳ですが、育成カテゴリーでプレーしていた頃も2500レアル、日本円でいうと5,000〜6,000円をつきにもらっていたので、光熱費の一部を負担することができたんです。それから年齢を重ねるにつれて、サラリーも増えたので、光熱費だけでなく食費や家のいろんな買い物にもお金を回す余裕ができて、家族や親族の生活を助けられるようになっていきました。今は、母や家族のためにブラジルに家を建て始めているんですよ。」


――24歳で持ち家は日本の感覚からすると、相当早いですね。ピッチでもスピードが目を引くホドルフォ選手ですが、足は昔から速かったですか?
「子どもの頃からスピードがあって、それがストロングポイントでした。昔はフォワードをやっていたんですよ。日本では僕のスピードを防ごうとして厳しいプレッシャーがきますが、ブラジルだと守備の緩さもあったので、スピードを活かしてもっと前で攻撃することができていました。このスピードが買われてプロにもなれましたし、山形の強化の方も自分のスピードを見て『日本に来ないか』と声をかけてもらうことにもなりました」


――子どもの頃のヒーローは誰でしたか?
「フォワードだったこともあって、ロビーニョ選手ですね。あとはブラジル時代もサイドでプレーすることがあったので、マルセロ選手やアラバ選手、ロベルト・カルロス選手なども好きでした」


――子どもの頃に印象に残っている指導者や、いまも大切にしている教えなどはありますか?
「サッカーを始めて最初の指導者だったイザキさんという監督が印象に残っています。自分をよく試合に使ってくれましたし、彼からはサッカーの基本的なこと、例えばチームに対してベストを尽くさなければいけないことなど、気持ちの部分でも多くのことを学びました」

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日本での生活

――日本には 21歳でやってきましたが、初めての海外生活で困ったことなどはありましたか?
「サッカーでも生活でも困ったことや難しかったことはありません。ありがたいことにすぐに慣れることができました。
それどころか、日本ではサッカー選手としていろいろ学ぶことができています。サッカー選手としての基盤ができたのはこの日本です。山形ももちろんですし、金沢に来ていろんなことを監督や周囲の人から学ぶことができています。戦術的なこと、技術的なこと、ポジショニング、攻撃面でも守備面でも、サッカー選手として成長するためのことを、金沢に来て学ぶことができました」


――金沢という土地はどうですか。石川県や金沢で気に入っているところはありますか?
「いまはこういう状況なのでいろいろなところに行くのは難しいですが、金沢城には以前、通訳の高橋健さんに連れて行ってもらいました。すごく興味深かったし『サムライ』のことや歴史的なことも聞きました。金沢にはいろいろな観光名所があるので、今後も機会を見つけて訪れてみたいです」

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著者プロフィール

1956年に誕生した「金沢サッカークラブ」を礎に、2006年Jリーグ入りを目指すべく「ツエーゲン金沢」として生まれ変わりました。JFL、J3を経て2015年にJ2リーグに昇格。「挑戦を、この街の伝統に。」というクラブ理念を掲げ、石川県で先人の築いてきた伝統を大切に守りながらも新たな伝統をつくるため日々挑戦をしているクラブです。地域に貢献し、地域に愛されて発展していけるよう様々なことに挑戦していきます。

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