大坂なおみ選手が投げかけたもの 大学部活動でも起こる心の問題 ー 内田直・早大名誉教授

チーム・協会

【USA TODAY・ロイター=共同】

トップアスリートにも一般の人にも共通すること

NaomiOsaka大坂なおみ@naomiosaka
https://twitter.com/naomiosaka/status/1399422304854188037

冒頭のリンク先は、2021年6月1日に大坂なおみ選手がTwitterに投稿したもので、全仏オープンの棄権を表明しています。この直前に、メディアへのインタービューを拒否し、主催者側から罰金を科されるというようなこともありました。このような流れの中で、いくつかのメディアから私にコメントを求める連絡がありました。

アスリートのメンタルヘルスの問題は、アスリートに限らず一般のメンタルヘルスの問題とも共通したことであり、この機会に私自身の意見をまとめ、メディアにも掲載されました。これは、これを早稲田大学競技スポーツセンター向けにこの文章を加筆したものです。この文で私がアスリートの学生諸君、そしてその後スポーツ指導者になった人たち、スポーツを愛する人達に知ってもらいたいのは、これは大坂なおみ選手というトップアスリートに起こりがちな事例ではなく、日常にたくさん見いだせる問題を内包しているということです。そういったことを多くの人たちが理解し、社会が変わっていくと良いと思っています。

「プロテニスプレーヤーとして活躍する」=「人前で自分を表現することが必須となる」図式

「トップアスリートはメンタルが強い」というのは、ある条件の中では正しいと思います。トップの座に上がってくるためには、厳しい練習にも耐えなければなりませんし、試合の場でのさまざまな駆け引きやプレッシャにも耐えていかなければならないということもあり、これらを克服できなければトップアスリートとして勝利を勝ち取ることができないからです。従って、トップアスリートになるための一つの条件と言っても良いかもしれません。

しかしながら、一旦上位の成績をとったあとは、それまでとは異なった状況があります。これが、今回大坂選手に起きたことなのではないかと思います。一旦上位成績をとると、様々な注目を浴びるようになります。日本国内でもそうでしょうし、また大坂選手のような世界でトップのレベルになれば世界中のメディアが現在の状況を追うことになります。私生活についても、成育史について調べられ、その中にはあまり触れられたくない部分もあるかもしれません。そのような中で、多くの人の前にでて、競技でなく言葉で自分を表現することは、競技で上位に上がるためのプレッシャーとはまた別のものだと思います。このようなことが、上位に上がってくると付加されてくるということです。

大坂選手は、これが苦手だと話していますが、トップアスリートの条件としては、期待しているファンやメディアに自分の考えを表現することが必須であり、大会参加の条件としてもインタービューを拒否することは許されないという契約条件があるわけです。私は、大坂選手のインタービューを詳細にこれまで追っていたわけではありませんが、インタビューの場面で見方によっては天真爛漫に答えるさまは、好感が持てるとも思っていました。一方で、試合やそれを取り巻く状況について、整理しながら論理建てて方向を示すということはあまり得意ではないかもしれないとも思っていました。しかし、見ている側としてはそれはそれとして、話を聞く相手に良い印象を与えているので、それで良いのかなとも考えていました。

しかしながら、おそらく大坂選手としては、他の選手が勝っても負けても論理建てて試合を振り返り、今後の意気込みについて話をするようなそういう話が自分はうまく出来ないということに、ストレスを感じていたのかもしれません。あるいは、単純に人前に出て注目されて話をするということに大きなストレスを感じていたのかもしれません。

試合に出ればそういったストレス状況が確実につきまとってくるということは、おそらく2018年9月に全米オープンでセリーナ・ウィリアムズ選手を破って優勝した頃からかなり大きなものとしてのしかかってきていたのではないかと思われます。そのような中で、「テニスが強くなる」=「人前で自分を表現することが必須となる」というような図式は、大坂選手にとっては大きなストレスだったのだろうと想像されます。

他に選択肢のないプロアスリート

ストレス状況が長く続くと、うつ状態になることはよく知られています。その病態の背景は、ストレスにより血中のストレスホルモン(コルチゾール)が上昇し、これが脳の神経システムを攻撃して不調を作るという説が有力です。

大坂選手はおそらくトップを極めた後、テニスのトレーニング→強くなる→ストレスを感じる人前への露出につながる、という図式のなかに常にさらされながらトレーニングを行い、試合に出るという生活を続けてきたのだと思います。これよって本来のテニスの競技力が発揮できないこともあれば、また、ときにこれを克服しうまくいくこともあったように思います。いずれの場合も、メディアには露出せねばならず、自分の考えを論理建てて試合を振り返り、今後の意気込みについて話をすることが期待されることは間違いありません。

そのような中で、長く続くストレス状況からうつ状態に陥ったのだと思われます。選手によっては、こういう状況の中でもむしろそういった自分のことを色々書かれることが有名になった証拠だと思う人もいるでしょう。従ってこのような意味では、プロ選手の置かれる状況への適応がうまく行かなかった言う意味で「適応障害(抑うつ)」という診断も可能かもしれません。適応障害の治療では、その状況を一旦回避する、多くの患者さんの場合は、「休職して自宅療養が必要である。」ということになるわけです。そいう意味では、今回の選択は懸命であり、治療的な意味があると思います。

しかし、一般の患者さんはもし職場でのストレス状況が強ければ、回復後の職場転換なども視野にいれて復帰を考えるわけですが、大坂選手の場合は、プロテニス選手という場への復帰以外には選択肢は考えられません。

メンタル不調は、目で確認できない”怪我”

2021年2月、全豪オープン女子シングルスで優勝し、記者会見する大坂なおみ選手。笑顔ではあるが… 【ロイター=共同】

ここで、今回の大坂選手のようなメンタルの不調と、身体的な不調(例えば骨折などの怪我)を比較してみたいと思います。例えば、テニス選手が何らかの理由で足を骨折して試合に出られなくなったとしましょう。そうした場合に、その選手に「プロなんだから骨折くらいなんだ。試合に出て、ファンを楽しませてくれ。」と言うことは無いと思います。身体的な障害は、多くの人が経験していますし、また実際のその選手を見れば怪我は目に見えてわかりやすいということもあるのだろうと思います。

それにくらべて、メンタルの不調はどうでしょうか。メンタルの不調があっても、ラケットをふることは出来ますし、どうしてもやれと言われれば、一度ダッシュしてボールを受けることもできるかもしれません。しかしメンタルの不調がある人にとっては、一試合これを継続することは出来ません。その結果として、周りに迷惑をかけてしまっているという自分の姿は非常に辛いものとして感じられるわけです。その部分は、怪我でも共通項はあると思いますが、精神的なものの場合はどのくらいの障害なのかを目で確認して理解してもらうのは非常に困難はことです。更には、体を動かすのでない、インタビューのなかで感じられる大きな精神的なストレスについての理解が十分になされるとは思われません。

大坂選手に対しての、さまざまな温かい言葉がアスリートからかけられていますが、多くは程度の差はあれそのような自分自身の経験からこれを配慮したものが多くあるように思います。そのような経験をした人は、怪我の経験がある人と同様に大坂選手の気持ちに寄り添うことは可能なのかもしれません。しかし、上記のような理由でメンタルの不調については、これを明確に理解するということは、怪我に比べれば難しいことになると思います。

反則金を課すのは、理解の全く無い対応

このような中で、大坂選手に対しては、怪我をした選手が試合を棄権することがやむを得ないことであるというふうに考えられるのと同様に、メンタルの不調があれば療養をするということに理解を示す必要があると思います。また、うつ状態のさなかに、世界中が注目する記者会見に出席して、自分の不調をしっかり説明する義務があり、これが行われなければ反則金を課すというのは、メンタルヘルスに対しての理解の全くない対応であると思います。

スポーツ関係者や、スポーツファンはこのような状況をしっかりと理解し、大坂選手のような状況にあるアスリートに対して、怪我など身体的な障害を負ったアスリートと同様の配慮をすることが重要なことだと思います。

近年、ジェンダーの問題など様々な問題に対して多くの人が理解を示し、鋭敏に反応を示すようになっていると思います。しかしながら、このようなメンタルヘルスの問題はなかなか理解が進まないようにも思います。この背景には、精神科に対するスティグマがあるのではないかと思います。

精神障害に対してのノーマライゼーションはどうか?

1964年の東京パラリンピック開会式で、車いすで入場行進する日本選手団=東京・代々木の選手村 【共同通信】

ノーマライゼーションという考え方があります。北欧で生まれた考え方ですが、障害のある人は、社会の中で自分の思うように生活が出来ない状況があるときに、障害のある人が社会に合わせる努力をするのでなく、社会が障害のある人が問題なく暮らせるように変わるという考え方です。

この考え方は、身体障害に対しては現代の日本でも、非常に進歩が見られます。どこの駅にもある車いす用のスロープをみて、なぜここに坂道を作っているのかわからないという人は居ないでしょう。このようにバリアフリー化したまちづくりは今や必須です。これによって、身体障害のある人達は大分自由に行動できるようになりました。

しかしながら、これは1964年に東京でパラリンピックが開かれた年にはそうではありませんでした。その頃は、パラリンピックを開くときに、障害者にかけっこをさせて見世物にするのはやめてくれ、という意見も多くあったわけです。その頃は、「自分も、社会の中で仕事をしたい。」という希望に対して、父親が「お前の考えはよく分かる。だけれども、歩道をあるい転んでしまったら、人様に迷惑をかけることになるだろう。お父さんがしっかりと働いて、お前に不自由の無いようにするからお前は家にいなさい。」と語りかけたかもしれません。しかし、それはこのノーマライゼーションの考え方に則れば、誤った方向の考え方なわけです。今は、そのような考え方は障害者の権利を損なうと理解している人が大半だと思います。そういった意味では、身体障害に対してのノーマライゼーションは非常に進んできました。

では、精神障害に対してのノーマライゼーションはどうでしょうか。うつ状態にある人でも、「体が動くなら出てきて仕事をしてくれ、そうでなければ周りに迷惑がかかるだろう。体が動かないんじゃしょうがないけれども動くんならなんとかやってくれないか。」というような対応は、現代でも多くあります。うつ状態の他、感覚への過敏性のある人など発達特性の障害がある人に対しても、必ずしも働きやすい職場環境が作られているとは言えません。精神障害のある人に対しても、身体障害と同様のノーマライゼーションの配慮がなされた社会を作っていくことが求められているわけです。

このような精神障害への理解のなさは、今回の大坂選手への反応とも関連があるように思うのです。

早稲田大学での経験

大坂選手のような世界レベルのアスリートであれば、このようなことについて多くの人が関心をもち、考えることも多くあると思います。しかし、全く同じことはあらゆるレベルのスポーツの活動で起きています。私自身は2003年から2016年まで早稲田大学に14年間在籍し、学生を教育するとともに、主には学生アスリートのメンタルヘルスケアも担当してきました。

まず、第一の経験はスポーツは非常にメンタルヘルスに対してもポジティブな効果があるということです。おそらく、部活動を含めて運動習慣をもっている学生はそうでない学生に比べて様々な面で、ポジティブな面が多いと思います。これは運動習慣がなければ、ポジティブになれないというような極端なものではありませんが、2つの集団を比較すると統計的に有意な差はあると思います。また、早稲田大学において、部活動がメンタルヘルスに配慮されていないということなく、むしろ他大学よりも配慮されていると思います。私の在任期間内においても、例えば睡眠時間の確保などという点も含めて、いろいろなことが改善されていました。

しかし一方で、部活内でうまく活動できない学生に対して、部活のやり方に沿ってできなければ排除されるというようなことはあったように思います。これは、厳しく対応して選手の競技力を伸ばすという気持ちから出ているものも多くあります。従って、理解がないとむやみに攻めることは難しい場面も多くあることを承知しています。一方で、メンタルヘルスに対しての理解が乏しい中での誤った対応をしたため、結果的に正しく配慮すれば復帰できたであろう競技力を失う結果になっているものもあったように思います。

おわりに

この文章を読んでいただいて、目に見えない精神的な障害に少しでも理解を示す人が多くなると良いと思っています。これによって精神的な障害を負った人たちはどれだけ救われるかわかりません。社会の中に余裕がなくなると、こういった気持ちを持つことが難しくなってくるという側面もあります。ぜひ、早稲田アスリート、スポーツ関係者の皆さんにこういったことを理解していただきたいと考えています。

【略歴】  内田直(うちだ・すなお) 「スリープ・メンタルヘルス総合ケア すなおクリニック」院長。早稲田大学名誉教授。博士(医学)東京医科歯科大学。精神科専門医。日本スポーツ精神医学会理事長。 1983年、滋賀医科大学 医学部卒業。同年、東京医科歯科大学付属病院精神科神経科医員。1990年、カリフォルニア大学ディビス校医学部精神科客員研究員。1992、東京都精神医学総合研究所 副参事・睡眠障害研究部門長(退職時)。2003-2017 年、早稲田大学スポーツ科学学術院教授。 【早稲田大学競技スポーツセンター】

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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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