早稲田スポーツがもたらす“喜び(バリュー)”とは何か?

チーム・協会

【共同通信】

2022年 早稲田スポーツ125周年企画 競技スポーツセンター所長・石井昌幸教授インタビュー(後編)

早稲田大学が2021年3月に発表した中長期スポーツ振興計画「早稲田スポーツBEYOND 125 プロジェクト」。早稲田大学全体のスポーツ振興やブランド育成を目的とするこのプロジェクトは、観客動員等の人気面、経済面等で縮小傾向が続く中、危機感を感じた早稲田大学が、大学スポーツの基盤強化を実現するために始める計画です。プロジェクトを牽引する早稲田大学競技スポーツセンター所長・石井昌幸教授が早稲田スポーツの存在意義を語ります。

【略歴】
石井 昌幸(いしい・まさゆき)/早稲田大学スポーツ科学学術院教授
早稲田大学教育学部体育学専修卒業、京都大学人間・環境学研究科ヨーロッパ文化地域環境論専攻修了。専門はスポーツ史。主な論文に『ラグビーでみるイギリス社会史』、『季刊民族学』(国立民族学博物館編)所収、『フィールドのオリエンタリズム』、『スポーツ』(ミネルヴァ書房)所収など、『スポーツの世界史』(一色出版)所収など。

経済的価値に還元できない、複数の諸価値

2020年、東京六大学野球秋季リーグ戦で野球部が優勝。『早スポ』が号外を発行した【http://wasedasports.com/activity/paper/20201108_135960/】 【早稲田スポーツ新聞会】

――記者会見では「全てのステークホルダーの“喜び(バリュー)”を最大化する」と宣言されましたが、具体的にどのようなことなのでしょうか。

大学スポーツには、さまざまな人たちが関わっています。学生、ご家族、OBOG、一般の学生、教職員、各競技団体、地域の人たち、一般ファンなどなどです。こうした人たちが大学スポーツのステークホルダーです。それではなぜ、その人たちは大学スポーツに関わるのか。そこに何らかの「喜び」があるからだと思うんです。

このようなことを言うのは、少し前まで良く目にした「大学スポーツはコストセンターだったが、今後は収益事業化してプロフィットセンターに転換しなければならない」という議論について、私なりに考えてみた結果です。

この考えでは上手く行かないだろう、と思いました。思考がプロフィット=コストという二項対立になっているからです。プロフィットが善玉で、コストが悪玉というのは、あらかじめ決まっているので、一種の善悪二元論に陥ります。そうすると、コストを最小化し、プロフィットを最大化するための方法を考えなければならなくなるでしょう。これでは単線的で閉じた「系」ができてしまい、文化としての厚みや広がりがなくなります。

――早稲田スポーツに文化としての厚みや広がりが出る?

そうです。そこで第三の項を置いてみたらどうか、と考えました。3つめの項は「価値」です。先ほど述べたように、体育各部は「チャンピオン・スポーツ」の場ですから、競技そのもので勝利を目指すことが最も重要な「価値」であることは言うまでもありません。ここがおざなりになってしまうと、諸価値の根本が揺らぐことになります。だからまず、日々のトレーニング、怪我、フィジカル面、メンタル面、栄養面などの環境を整備し、勝てるチーム作りを行なうこと。そのことで現場の成員に強豪チームのメンバーであるという満足、自己有能感、自己承認欲求や挑戦欲求の充足などを生み出す必要があると思います。

チームの勝利という単一の目標に向かう中で得る様々な経験は、若者の成長にとって教育的な価値を持つでしょう。これは、スポーツでなければ得られないというわけではないと思いますが、スポーツにはそうした価値の象徴のような面があります。このことを社会や企業の側から見ると、体育各部の活動経験を通して、大学からヴァリュアブルな人材が提供されるという価値になるはずです。

これはある文化人類学者が言っていたことですが、スポーツには経済的な価値(単数形のvalue)には還元できない、複数の諸価値(values)があります。

学生時代に共に汗を流した仲間、同じ経験や物語を共有する先輩・後輩のネットワークに加わることは、学生にとっては就職活動の際や卒業後の様々な局面で価値を生むでしょう。体育各部が安定したガバナンスの下で活動し、そこで学生を価値ある人材に育てて送り出すことができれば、それは保護者からみると学生を確固たる組織に預けているという安心感や満足という価値につながるのではないでしょうか。ほかにも、学校経営という側面では話題作りや人気、そして一体感の醸成にも一定程度寄与するでしょう。

早稲田スポーツの存在意義とは、全ての人達に喜びをもたらすこと

2011年の箱根駅伝で総合優勝した競走部。2022年は11年ぶりの総合優勝に挑む 【共同通信】

――“values”と価値が複数形となるのが、多様性の早稲田らしいですね。

プロフィットという一元的な価値には還元できない、早稲田スポーツが持つこうした価値は、だからむしろ「諸価値」と複数形で言ったほうが良いでしょう。こうした諸価値を、思い切って抽象化して「喜び」と呼んでみたいと思います。「喜び」は抽象的で情緒的な言葉なので、具体性がないし、その分、危険でもあると思います。そこには注意しながら、私は、「早稲田スポーツの存在意義と目的は、それに関わる全ての人たちに喜びをもたらすことだ」と考えてみました。

喜びのありかたや、その強度は、人それぞれです。バラバラで良いです。でも、する人も、見る人も、支える人も、早稲田スポーツに関わる全ての人が、それに関わることで、努力・協力・勝利・感動・自己実現・生きがいなどの言葉で表される、極めて人間的な諸価値を、個々の求めに応じて味わうことのできる象徴的な場、あるいはそのアイコンとなること。これが早稲田スポーツの存在意義であり目的であると私は思います。

この「喜び」の総量を最大化しようとし続けることが、早稲田スポーツのガバナンスを預かっている競スポのミッションであり、私たちのやろうとしていることです。「関わる全ての人に“喜び”を」が合言葉です。
――難しくて抽象的な話に感じますが、具体的な方法はありますか。

すみません。「具体的に」は言えませんね。強いて言うなら、早稲田スポーツに関わることで、関わっている「みんなが笑っているか」という点でしょうか。目が輝いているかどうか。それはなにか飲食店の経営に似ているかもしれません。その店にきて皆が笑っているためには、味はもちろん、接客の態度、店内の装飾、流れている音楽、価格、全てが上手く作られていなければならないし、そのためには常に皆の表情を観察して適宜変えていかなければなりません。

だから、何かあらかじめ用意された具体的な方法はありません。関わっている人みんなが、個々にいま何を感じているかを観察し、それを提供できるようにするには全体として何が必要かを考えることです。今やっていることの全てが、そうした方向に向かっているかをチェックするのが私の仕事です。だから私は時々、違うと思うと急に方針を変えたりします。

ポスト「オリパラ」「コロナ」で日本を元気にするのは大学スポーツ

2008年、ラグビー大学日本一となって喜ぶ五郎丸歩(左から2人目)と畠山健介(右端) 【共同通信】

――早稲田大学は2021年3月、アシックスと新たに4年間の組織的連携に関する基本協定を締結しました。その際、田中愛治総長と廣田康人が対談しして大学スポーツの未来について語り合いました。

対談を見て「今しかない」と思いましたね。グローバル企業と大学のトップが、大学スポーツの在り方や未来について語ってくれているのだから、「BEYOND125」を実現できないはずはないと。自分たちのやろうとしていることは、まだ序の口だとも思いました。だからこれは、所長としての私一人の仕事の範囲をはるかに超えていて、私の後に続く所長や、より幅広い多くの人たちが関わっていかないと、成し遂げられないことだとも思いました。そして、自分もその一端を担えて楽しいとも。

早大とアシックス 新たに4年間の協定締結 トップ対談で大学スポーツの未来語る
https://www.waseda.jp/inst/athletic/news/2021/04/26/17248/

協定書に調印したアシックス・廣田社長(右)と早稲田大学・田中愛治総長 【早稲田大学】

――最後に、このプロジェクトにかける思いや意気込みを聞かせてください。

現在、新型コロナウィルス感染症対策を筆頭に、世界でも国内でも政治や経済など分野を問わず問題は山積です。どの分野の問題であっても正解ははっきりせず、「今」をどうするかに精一杯の状況で、将来を展望できなくなっていると思います。当然のことです。スポーツ界も、これまで東京オリパラを一つのマイルストーンとして、いろいろな制度設計をして問題に取り組んできたと思いますし、早稲田もそうでした。

でも、こうした状況だからこそ、今こそ私たちが早稲田大学校歌にある「進取の精神」と「久遠の理想」を本当に持っているのか、が問われていると思うんです。どんな結末になるのかは判りませんが、8月にはオリパラは一つの決着をみるでしょう。1年先か2年先か判りませんが、コロナ禍もいつかは収束するはずです。

そのとき、大学スポーツにできることは何か。ポスト・オリパラの日本を元気にするのは、大学スポーツなのではないか。そう思っています。また、コロナ禍でボロボロになってしまった人と人とのリアルなコミュニケーションをキャンパスに取り戻すのに、スポーツほど適したものはないのではないか。学生たちにも多大な苦労をかけていますから、そのときのための準備をするのは、私たちの義務だと思うのです。

この難局を皆で乗り切って、学生も、教職員も、OB・OGも、保護者の皆さん、一般ファンの方々も、みんなで肩を組んで「紺碧の空」を歌っている姿。その場面を想像すると、どこからか力が沸き起こってきます。そこに新ロゴが力強くはためいている。差し当たり、その日が来るまで頑張ろうと思っています。(終わり)
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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