「ケルンなぁ、本当にいい街ですね」 長澤和輝インタビュー【1.FCケルン】

1.FCケルン
チーム・協会

【©1FCKoeln】

「はじめてケルンに来たのは11月の下旬から12月上旬にかけて2週間ほど、練習参加に呼ばれてきました。ちょうどクリスマスマーケットがやっていて、練習の合間なんかにひとりで行ってました(笑)。今思えば一番いい時期に来たのかなと思います。」

 「はじめてケルンに来たのは11月の下旬から12月上旬にかけて2週間ほど、練習参加に呼ばれてきました。ちょうどクリスマスマーケットがやっていて、練習の合間なんかにひとりで行ってました(笑)。今思えば一番いい時期に来たのかなと思います。」

 ケルンの街の第一印象について長澤和輝はこう話してインタビューはスタートした。その時は知り合いは誰もいなかった。1.FCケルンにも日本人選手はちょうど在籍しておらず、日本でもまだどこのプロとも契約してことのない大学生が一人でケルンに降り立った。

 野心と希望と胸にケルンの地に立ったのだが、練習参加4日目に目にばい菌が入り、その後1週間ほどホテルで隔離されてしまう。ただでさえ練習参加にはストレスや不安はつき物だが、その間、練習はできず精神的にも苦しい時間を過ごした。

 「クラブ側としたら、この日本人、来たのはいいけど目腫らしてホテルで休んで、クリスマスマーケット行って飯食ってるだけだぞみたいな感じだったと思うんですよね(笑)。その時は、食事とかも自由だったのでずっとホテルにいるのもどうかと思って、近くのホテルのイタリアンによく行っていました。結構おしゃれなイタリアンだったんですけど、アジア人一人でしかも当時まだ大学生だったからそんな風貌で行くとちょっと浮くんですよね(笑)。でも、なぜかそこのオーナーの家族の席につけてくれて、その家族と一緒にイタリアンを食べてました(笑)そこで、ケルンの練習参加で来てるって言っても信じてもらえなかったんですが、入団後にまた行ったときは大歓迎してくれました。」

 それでもホテルから見えるケルンの自然と、外から来た人を歓迎するケルンっ子たちの人柄に助けられたようだ。その後目も回復し、最後の2、3日でいいアピールができてオファーまで扱ぎ付けることができた。

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 晴れて1.FCケルンの選手になった長澤和輝は、ケルンで頑張っているその他の日本人にも感銘を受けたようだ。その辺りも大学生からプロを経由せずに来た彼ならではの考え方や付き合い方があったからだろう。

 「今まで奥寺さんから始まり、それから風間さんもこの辺でプレーしていたり、チョウキジェさんらもケルン体育大で勉強していたり、今日本のサッカーを作っている多くの人がケルンの街に降り立っていて、僕がいたころにいた日本人もまたそれぞれ日本のサッカーのために何かやってやろうと希望と目標にあふれていました。そういう人たちとの横のつながりができたということはケルンにきたことの財産ですね。しかも、ちょうどワールドカップでドイツが優勝したんですよ。だから、余計にそれぞれカテゴリーや選手やコーチやエージェントやいろいろな立場の人たちが自然とドイツとの比較や熱い議論になっていました。ケルンの日本人のサッカー文化というか、そういうところにも日本とのつながりの強さとかその歴史とかを感じることができました。」

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 当時通訳を務めていた宮澤悠生(現RBザルツブルク)、ケンランバート(現ヴィッセル神戸)、梅村徹(現マーケティングコンサルタント)らとは今でもコンタクトはある。ドイツ人選手ともSNSで繋がってる。インスタグラムでお互いコメントしたり、日本に来たときには一緒に食事に行っている。

 「ヨナスが結婚、ティモが馬飼ってたり(笑)。当時、若い年代の選手たちがブンデスリーガで活躍してますよね。ヤニック ゲアハルト(現VfLヴォルフスブルク)とかジモン ツォラー(VfLボーフム)なんかはすごく活躍してますよね。ヤニックは一回ミッチェル ヴァイザー(現バイヤーレヴァークーゼン)と一緒に日本に休暇で来ましたよ。その時は大迫君誘って寿司食べに行きました。モデスト(現ACサンテティエンヌ)も、中国でプレーしていたときにACLで日本に来たから彼とも日本で寿司食べに行きました。みんなとはケルンでも桃太郎によく一緒に行ったし、日本でもまた一緒に寿司行ったし(笑)。だから、ティモとかヨナスとか早く日本来いよって伝えてください。ヨナスには奥さん紹介しなさいと伝えてください(笑)。距離あるんでなかなか難しいですけどね。またみんなで会いたいですね。」

 また、当時のケルンについてこのように語っている。
「あの頃はマネジメントが上手くいってたと思います。ヤニック、ヨナス、ティモ、ケヴィン ヴィマー(現カールスルーエ)、ケヴィン フォクト(現TSG ホッフェンハイム)、レオ ビッテンコート(現ベルダーブレーメン)、大迫君なんかを獲得して、重鎮としてドミニク マロー(現KFCユルディンゲン)、マルセル リセ(現ヴィクトリアケルン)がいました。チームのバランスがすごくよかったですね。今では当時まだ若手だったヨナスとかティモとかがそんな風になっていて、更にそこにまたユースから若い勢いのある選手たちが上がってきてますよね。その流れが上手く作れたときだったんじゃないかと思います。それから、2部に落ちてもティモやヨナスが残留したのがすごいですよ。彼らがケルンっ子でケルンの意思を告ぐ象徴であったから、サポーターももちろん離れなかったし、他からいいオファーがあったり代表とかあれだけのキャリアを積んだ選手たちが骨をうずめたいと思うようなクラブって価値がありますよね。ティモなんてテアシュテーゲン(現バルセロナ)とかレノ(現アーセナル)とかと肩並べてた選手なのに、ケルンを背負うという決定は街を活気付けたと思いますよ。」

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 最後にケルンとこれからの自分の関わり方やファンへのメッセージを聞くと、
「歴史がある文化が根付いたFCケルンっていいですよね。昇格と降格を繰り返しているクラブだけど、ファンの熱気はドイツナンバー1ですね。熱くて独特のスポーツ文化。2部に落ちてもシーズンチケットが売り切れる。ケルンなぁ、本当にいい街ですね。Jリーグだと約30年、少しずつ地域に根付いたサッカークラブができつつあるけど、その見本としてケルンは目指すところでもありますよね。誰しもが週明けは職場や学校でFCの話。それって理想じゃないですか。選手としても、REWEのスクールや病院訪問みたいにサッカー選手を超えた存在にサッカー選手がなれる環境をつくりたいですね。選手としても日本のサッカーがそうなったら幸せだし、そういったところを目指していかなければいけない。一サッカー人としてこれからも勉強させて欲しいです。
日本のケルンファンは、日本からケルンの雰囲気を感じるのは難しいし、現地で応援するのとは全然違うと思いますけど、その感動を共感できるようにそこの差の部分はケルンの裏方ががんばって埋めていってくれると思うんで(笑)。日本のファンも現地のファンがクラブを誇りに思っているのと同じような気持ちになって欲しいと思います。」

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 ケルンスタッフへのハードルの高い要望を最後にインタビューは終了した。ケルンでの経験を生かし、プロとしてプレイしながら大学院で修士号を取得した彼には、引退してからもアカデミックなアプローチでケルンと繋がっていって欲しい。そして、将来日本のサッカー界の為に尽力して欲しい。

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著者プロフィール

1.FCケルンは1948年に設立された、ドイツ西部の大都市ケルンに本拠地を置くサッカークラブで、ブンデスリーガに所属しています。1963年に発足したドイツ・ブンデスリーガの初代王者であり、日本人海外移籍の先駆者である奥寺康彦が所属していた頃には2度目のリーグ優勝を成し遂げました。また近年では、槙野智章や鄭大世、大迫勇也も所属していました。

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