鈴木将平は飛躍なるか。栗山巧・小関竜也との共通点や、過去の高卒外野手のブレイク例は?

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 開幕スタメンを目指し、日々アピールを続ける埼玉西武のプロ5年目・鈴木将平選手。オープン戦は12試合で打率.281。3月3日の北海道日本ハム戦は「8番・右翼」で2安打、10日の中日戦は「1番・右翼」で3安打1打点と活躍した。ルーキーの若林楽人選手や2年目の岸潤一郎選手に負けじと存在感を発揮している。

 プロ4年目の昨シーズンにブレイクの兆しを見せた鈴木選手。6月27日に初めて一軍で1番打者に抜てきされると、7月10日から31日まで18試合連続でトップバッターを務めた。7月26日までは打率.300を超える数字を記録し、シュアな打撃と持ち前の脚力でチャンスメーカーとして大いに奮闘。守備でも俊足を生かした好捕を幾度となく見せ、攻守の両面でポテンシャルの高さを垣間見せている。

 昨年は8月に打率.143と打撃面で壁に直面しているが、長年にわたって「1番・センター」として活躍した秋山翔吾選手が抜けたライオンズにとっても、鈴木選手の台頭は大きな意味を持ってきそうだ。

 ところで、近年の埼玉西武において高卒の外野手として活躍を続けている選手といえば、球団の通算安打記録を保持している栗山巧選手の存在が挙げられる。また、小関竜也外野守備・走塁コーチも同じく高卒の外野手として台頭し、ライオンズの主力として活躍した経歴の持ち主だ。

 今回は鈴木選手にとってはチームの先輩にあたる栗山選手、小関コーチに加え、2010年以降のパ・リーグにおいて外野手として入団し、ベストナイン受賞経験を持つ高卒の選手3名を紹介。また、ドラフト4位で入団した鈴木選手にちなんで、2000年以降に同部門を受賞している「ドラフト4位以上」の「高卒OB選手」の経歴についても振り返ってみた。

現役ながら球団の「レジェンド」と呼べる存在となっている栗山巧

 まずは、鈴木選手のチームメイトでありライオンズ打線をけん引している栗山選手の経歴について見ていきたい。栗山選手がプロ入り後に記録した各シーズンの成績は、下記の通りだ。

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 栗山選手は育英高校から2001年のドラフト4位で入団したが、プロ入りからの3年間では合計1試合の出場にとどまっていた。しかし、4年目の2005年にわずか286打数で10本塁打を記録し、打率も.300近い数字を残してブレイクを果たす。同年のプレーオフでも1番打者として起用され、千葉マリンスタジアムでの第1戦で初回先頭打者初球本塁打を放つ活躍を披露。一軍の戦力として、確かな存在感を発揮した。

 そして、2年後の2007年には初めて出場試合数を3桁に乗せると、2008年には2番打者として完全にレギュラーに定着。自身初タイトルとなる最多安打を獲得してベストナインにも輝き、主力選手としての地位を確立した。その後も中心打者として長きにわたって活躍を続け、通算4度のベストナイン、1度のゴールデングラブ賞を受賞。高い打撃技術と優れた選球眼を生かして、現在に至るまでチームに貢献し続けている。

1990年代後半から2000年代にかけて、中心選手としてライオンズを支えた小関竜也コーチ

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 国学院栃木高校から1994年のドラフト2位で西武(現・埼玉西武)に入団した小関コーチは、ルーキーイヤーには一軍での出場がなく、2年目と3年目もそれぞれ1試合の出場にとどまっていた。だが、プロ4年目の1998年に一軍定着を果たすと、そのまま右翼手のレギュラーの座を確保。俊足、小技、選球眼といった持ち味を活かして堅実な働きを披露し、同年のリーグ優勝にも貢献。その活躍が認められ、同年のパ・リーグ新人王にも輝いた。

 その後も不動のレギュラーとしてチームを支え、2002年にはそれぞれ自己最高となる打率.314、153安打、43犠打を記録。緻密な西武野球を体現する存在の一人として、チームのAクラス入りに貢献し続けた。大きく出場機会を減らした2005年オフ、米球界挑戦のために西武を離れ、その後は巨人と横浜でもプレー。引退後は2011年から2018年までコーチとして巨人に在籍し、2020年から古巣の埼玉西武に指導者として復帰している。

栗山巧と小関コーチは、どちらも4年目のブレイクをその後の活躍につなげた

 栗山選手と小関コーチ、そして鈴木選手は俊足、好守、シュアな打撃を武器にするという点で、プレースタイルの面で共通点が見られる。それだけでなく、鈴木選手はドラフト4位で静岡高校からプロ入りし、4年目のシーズンに一軍定着への足がかりを作ったが、栗山選手と小関コーチがそれぞれ一軍の舞台で台頭を見せたのも、同じくプロ4年目のシーズンだった。

 こういった要素からはある種の不思議な因果を感じるが、栗山選手も小関コーチもプロ4年目のブレイクを一過性のもので終わらせることなく、その後も主力としてチームの屋台骨を支える存在となっていった。鈴木選手の現在のプレーぶりを見れば、今後のチームをけん引するような選手へと飛躍を遂げていく可能性は大いにあるだろう。

西川遥輝と中田翔も高卒4年目のシーズンに飛躍を遂げていた

 ここからは高卒外野手のブレイク例として、埼玉西武以外の球団に在籍する現役選手について紹介。北海道日本ハムの西川遥輝選手、中田翔選手、オリックスのT-岡田選手の3名が、プロ入りから初めて規定打席に到達するシーズンまでの成績は下記の通りだ。

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 西川選手はプロ入り3年目の2013年までは内野手としての出場も多かったが、2014年の7月以降は外野手としての出場数が大きく増加。同年には自身初の規定打席に到達するとともに盗塁王のタイトルも獲得し、レギュラーの座に定着。その後も2017年と2018年に2年連続で盗塁王に輝くなど、主力選手として現在に至る。

 また、現在は一塁手として活躍する中田選手も、2014年までは外野手としての出場が主だった。2010年の途中から一軍に定着すると、2011年には年間を通じてレギュラーとして出場。統一球導入の影響で球界全体の本塁打数が大きく減少する中で、リーグ3位タイとなる18本塁打を記録した。翌2012年にはリーグ2位タイとなる24本塁打を記録し、4番としてチームのリーグ優勝にも貢献している。

 T-岡田選手は履正社高校で長距離砲として活躍して「浪速のゴジラ」の異名を取り、2005年の高校生ドラフト1位でオリックスに入団。そこから3年間は一軍での出場機会がほぼなかったが、2009年の終盤に低打率ながら7本塁打を放ってそのパワーの片鱗を見せた。登録名を本名から現在の「T-岡田」に変更した2010年にはその打棒にさらに磨きがかかり、22歳にして自身初の本塁打王を獲得するほどの大ブレイクを果たしている。

高校でプロ入り、2年目や3年目に早くも主力となった選手たちも

 続けて、2000年代以前に活躍したOB選手たちについて見ていこう。なお、2005年にベストナインの外野手部門を受賞した宮地克彦氏は投手としてプロ入りしていたため、今回の記事では対象外とした。

 まずは、プロ入りから比較的早い段階で台頭を見せた例として大村直之氏とイチロー氏を紹介したい。

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 大村氏は育英高校から1993年のドラフト3位で近鉄に入団すると、高卒2年目となる1995年には早くも一軍で110試合に出場。1996年からの2年間は出場試合数が2桁にとどまったものの、1998年には自身初の規定打席に到達して打率.310、23盗塁という好成績を記録。翌年以降もシュアなバッティングを活かして活躍し、近鉄・福岡ソフトバンク・オリックスの3球団において、10年以上にわたって主力打者として多くの安打を重ねていった。

 イチロー氏といえば日米の双方において数々の金字塔を打ち立てた、まさに球界のレジェンドと呼べる存在だ。そんなイチロー氏であっても、プロ入りから2年間はそれぞれ40試合台の出場にとどまっていた。大ブレイクを果たしたのはプロ3年目の1994年で、NPB史上初のシーズン200安打超えという快挙を達成。一躍スターダムを駆け上がると、そこから米球界に挑戦するまでの7シーズン連続で首位打者を獲得するという驚異的な活躍を続けた。

プロ10年目のシーズンに花開いた、遅咲きのケースも存在

 最後に、プロ入りから規定打席到達までやや時間がかかった森本稀哲氏と、多村仁志氏の成績を紹介しよう。

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 森本氏は帝京高校から1998年のドラフト4位で日本ハムに入団し、プロ3年目の2001年から4年連続で60試合以上に出場。ただ、2002年から3シーズン続けて打率.100台に終わるなど、当時は代走や守備固めが主な役割となっていた。潮目が変わったのは2005年のシーズンで、自身初めて出場試合数が100試合を超え、打率.264と向上。続く2006年にはさらに成績を伸ばし、トップバッターとしてチームの日本一にも大きく貢献した。

 多村氏はプロ入りから5年間での一軍出場が18試合と若手時代はなかなか台頭のきっかけをつかめず、2000年に84試合で7本塁打を放ってからも停滞が続いた。だが、2004年にプロ10年目にして初めて規定打席に到達すると、打率3割、40本塁打、100打点という大台をクリアし、2006年のWBCでも主力として優勝に貢献。福岡ソフトバンクでも2010年に打率.324、27本塁打、89打点という活躍を見せ、同年のリーグ制覇にも大きく寄与した。

ドラフト4位で入団し、球界を代表する外野手となったケースは少なくない

 ブレイクまでにかかる年月やその経緯は、当然ながら各選手によってさまざまだ。そんな中で栗山選手、イチロー氏、森本氏、多村氏はドラフト4位で入団している。鈴木選手と同じく、ドラフト上位とはいえない順位からプロの舞台で実力を認められ、チームの主力として息の長い活躍を見せた選手たちの存在は、鈴木選手にとっても良い先例となりそうだ。現在売り出し中の若武者は、プレースタイルの似た小関コーチや栗山選手のように、今後もチームの屋台骨を支える存在となれるか。今シーズンの活躍に要注目だ。

文・望月遼太
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