フェンシング オリンピックレース最終戦直前特集(3)縁に導かれてきたキャリアを悔いなく~サーブル青木千佳

チーム・協会

【日本フェンシング協会】

1年にわたる国際大会の中止・ランキングの凍結が明け、いよいよフェンシングが動き出した。東京オリンピックの切符を争う最後の大会に挑む選手たちに心境を聞く今回のシリーズ。先陣を切って、ブダペストでW杯を戦っているサーブル勢の最終回は青木千佳(ネクサス)をお届けする。

2019年オルレアンW杯 【日本フェンシング協会】

 人生の節目で運に恵まれてきた――。女子サーブルの2016年リオデジャネイロ五輪代表、青木千佳(ネクサス)にそう問いかけると、少し間を置いてから返答があった。「たしかに。そんな感じもします」。競技人生の岐路で何に導かれるようにここまできた。2度目の五輪、しかも、自国開催の代表切符に、頑張れば手が届く位置にいる。チャンスをつかみとれるか。
 「ワンチャンスを生かしたリオ五輪」。5年前、リオ五輪のフェンシング日本代表に選ばれた6人のなかで、青木はそう言われていた。本人にも、その自覚はあった。

 五輪の代表選考でポイントが高い2015年のアジア選手権の参加メンバーに最初は入っていなかったんですけど、メンバーが一人、けがをして出番が回ってきたんです。そこで銀メダルを取れてポイントをガーンと稼げたのが大きかったです。
 リオ五輪はもちろん、めざしてはいましたけど、ランキング的にはちょっと難しいかなという感じでした。アジア選手権のときは調子もあまり良くなかったですし、開き直り状態で楽しんでやろうかな、と。勝ち負けにこだわらずに無心でできたのは初めてだったかもしれません。

今までにない緊張で動けなかったリオ五輪

 リオではいわゆる五輪の洗礼を強烈に浴びた。力を出し切れず、初戦で5-15で敗れた。

 女子サーブルからは一人しか出られなかったですし、選ばれたからには代表として全部出し切ろうという意気込みだったんですけど、すごい緊張しましたね。元々緊張するタイプですけど、今までにない緊張感でその日を迎えました。高校の先輩で2012年のロンドン五輪にも出ている佐藤希望さんから、そうした緊張を聞いてはいたんですけど、実際にピストに上がったとき、あっ!これか、という感じでした。
 初戦はパナマの選手でランキングもそんなに高い選手じゃなくて、勝たなきゃいけないようなレベルでした。最初に1ポイント取ってから、たしか7連続失点して、頭が真っ白になっていましたね。いつもの自分だったら前後を動いて取るスタイルが多いんですけど、そのときは動けなくて緊張しているんだと実感しました。もちろん、悔いは残りました。何も出し切ることなく終わってしまったので、リベンジは東京でという気持ちはありました。

2020年モントリオールGP 【日本フェンシング協会】

 
 小学校のときは水泳、中学生ではバドミントンに打ち込み、陸上の短距離種目に取り組んだ時期もあった。

 水泳は福井県大会に出てもすぐ負ける。バドミントンも県大会で1回戦負け。だから高校に入ったら、何かスポーツで結果を残したかったんです。フェンシングとの出会いは実家から100メートルぐらいの近所にお姉さんがいて、その先輩に誘われて武生商高のフェンシング部に入りました。練習が厳しかったせいか、当時はあまり部員がいなくて、そのお姉さんも部員を集めるのに必死で、私はまんまと引っかかって入ったんです。でも、彼女も高校総体の女子フルーレ団体で優勝していましたし、高校から始めて3年間で全国制覇できるなら頑張ってみようと覚悟を決めました。
 
 高校から日大に進学し、さらに大学卒業後も競技を続けたのも自然な巡り合わせだった。

 高校総体では団体3位に終わったんですけれど、会場で選手をスカウトに来ていた日大の山崎監督にフットワークがいいから、サーブルで来ないか、と誘われたんです。私自身、フェンシングの3種目の中でかっこいいとは思っていました。それに、あまり性格的に我慢できないタイプだし、パパッとやっちゃいたい気持ちもあるんです。なので、挑戦してみようと心に決めました。イチかバチかみたいな勝負、スピード感的には自分に向いているかも、と思っていました。
 私は身長が158センチなのでリーチは長くない。外国の選手には180センチぐらいの人もいるなかで小柄なのは不利だとは思います。なので、その分、動いたりとか、適切な距離を作ったりとか、スピードで勝負したりとかすれば、十分戦うことができます。

迷いは一切排除して、自力で掴み取る

大学3、4年とインカレの個人戦を連覇。全日本選手権の個人も13年、14年と連覇した。東京五輪の招致が決まったのは13年秋。そのころから、五輪への意識は明確になり始めたのか。

 招致が決まったときは、まだ五輪は遠い感じがしていましたね。ああ、東京に決まったんだ、すごいな、という程度。最終プレゼンターとして太田雄貴さんが演説しているのを見て、ああ、太田さんがいるわ、みたいな感じです。わざわざ深夜に起きて決定を待ったりはしなかったです。
 五輪という目標が明確になってきたのは、リオの数年前、韓国からリー・ウッチェコーチが来日してからです。韓国で五輪メダルを取らせていた実績がありましたし、この人の下でサーブルを教われば世界で通用する、と信じさせてくれました。サーブルは攻撃しかするな、やられてもいいから、とことん攻めろ、と。怖いとか迷いとかという気持ちを一切排除しろ、と練習から言われ続けて成長できました。


2020年の全日本フェンシング選手権大会では準優勝 【日本フェンシング協会】

 
 五輪切符がかかるブダペストの大会は14日まで。今、世界ランク40位。日本女子サーブル勢では4番手だが、この大会の結果次第では逆転もありうる。

 リオのときと違い、今度はラストチャンスで結果を出せるか、が勝負です。日本には開催国枠もありますけど、そうした計算はしない方がいいと思っています。あくまで自力で、自分で五輪切符を取りに行くしかないな、って思っています。
 高校でやめようと思ったら、大学でも続けた。大学を卒業を機に地元・福井に帰りたいなとなんとなく思っていたら、ネクサスとのご縁があった。こんなチャンス、そして恵まれた環境があるなら、ちょっとだけやろうかな、と思ったら、もう7、8年やっています。こうしてつながってきたキャリアだから、悔いなくやりたいです。

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著者プロフィール

突け、心を!  従来のスポーツ界は、五輪で金メダルを獲得することが最上位概念でした。 しかし、私たちはこの勝利至上主義からの脱却を目指します。 「突け、心を。」のキャッチコピーの元、私たちが策定した新たなビジョンは「フェンシングの先を、感動の先を生む。」です。 フェンシングを取り巻くすべての人々に感動体験を提供し、フェンシングと関わることに誇りを持つ選手を輩出し続けていくことを約束します。

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