松井稼頭央、片岡治大、金子侑司…… 埼玉西武ライオンズ背番号「7」の歴史

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【撮影:丹羽海凪】

 プロ野球選手にとって背番号は自身の顔とも言え、代々受け継がれていく背番号は選手の背中で輝きを放つ。かつて日本でプロ野球が始まった頃、打順や契約順などさまざまな形で番号が決まっていた。現在も背番号の決め方に関して決まりはないが、それぞれの球団にとって「特別な番号」がうまれ、背番号が意味を持つようになった。

 昨季「ライオンズ」命名70周年を迎えた埼玉西武ライオンズ。チームの顔となる外野手のイメージが強い背番号「1」、強打者揃いの「3」、エースナンバーの「18」など、伝統的背番号はかつて背負ってきたレジェンドたちの魂とともに若獅子たちへと受け継がれている。

 今回は「スピードスター」の印象が強いライオンズの背番号「7」の歴史を振り返る。「7」は、かつてチームの指導者も務めた伊原春植氏(1971〜1975年)、広瀬宰氏(1976〜1979年)、在籍時に10度『ゴールデングラブ賞』を獲得した石毛宏典氏(1981〜1994年)らが背負った番号だ。「ミスターレオ」と呼ばれた石毛氏はチームリーダーとして黄金期を支え、14年にわたりこの番号を守り続けた。

 その後は、俊足好打の内野手・松井稼頭央氏(現・埼玉西武二軍監督)に継承。松井氏は3年連続の『盗塁王』に輝き(1997〜1999年)、『最優秀選手』(1998年)や『ベストナイン』(1993〜2003年)なども獲得する活躍を見せた。

 2004年に松井氏がMLBに移籍すると、2005年からは片岡治大氏(現・巨人三軍野手総合コーチ)が番号を継承。片岡氏は4年連続で『盗塁王』を獲得すると(2007〜2010年)、『最多安打』や『ベストナイン』(いずれも2008年)にも輝いた。

 ともにリードオフマンとしてチームを引っ張り、球界きっての快足は多くのファンを魅了した。また、どちらもリーグ優勝の経験があり、そのルックスから女性ファンも多いと共通点が多い。埼玉西武の背番号「7」にスピードスターのイメージが強く付いたのも、両者の活躍が大きいだろう。

 そんな背番号「7」を2020年から背負ったのが金子侑司選手だ。2019年は41盗塁で3年ぶり2度目となる『盗塁王』を獲得し、リーグ連覇に貢献した。まさに背番号「7」にふさわしい存在と言える。

 2020年は不動のリードオフマン・秋山翔吾選手(現・レッズ)が移籍し、1番打者としての活躍が期待されたが、首痛により戦線を離脱するなど、打率.249、14盗塁と思うような結果を残せなかった。2021年は万全の状態で臨み、「走・攻・守」でさらなる活躍を見せられるか。レオのスピードスターに要注目だ。

埼玉西武ライオンズ・金子侑司選手 【撮影:丹羽海凪】

【ライオンズ背番号7の歴史】
鬼頭政一(1950〜1951)
八道勉 (1952)
豊田泰光(1953〜1962)
バーマ(1963〜1967)
浜村健史(1968〜1970)
伊原春植(1971〜1975)
広瀬宰 (1976〜1979)
鴻野淳基(1980)
石毛宏典(1981〜1994)
ジャクソン(1995〜1996)
松井稼頭央(1997〜2003)
片岡易之(2005〜2013)※2013年から登録名を片岡治大に変更
脇谷亮太(2014〜2015)
松井稼頭央(2018)
金子侑司(2020〜)

文・北嶋楓香
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