【水戸】私の「ミッション・ビジョン・バリュー」 第14回住吉ジェラニレショーン選手「言葉を変えて未来を変える」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【ⓒMITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」
を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが昨年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

17名の選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
第14回目は住吉ジェラニレショーン選手です。


(取材・構成 佐藤拓也)

【ⓒMITOHOLLYHOCK】

Q.MVVを策定にあたって、スタンス面談を行ったと思いますが、いかがでしたか?
「今まで自分の人生について、誰かに話したことはありませんでした。話をしてみて、自分がどういうことを考えていたのかについて新たな気づきがありましたし、サッカーをはじめたきっかけを思い出すこともできました。なので、やってみてよかったです」

Q.自身のMVVを見ての感想は?
「この言葉を忘れずにサッカーに取り組んでいこうと思いますよね」

【Misshion】

Q.「Mission」について聞かせていただきたいのですが、「母親を幸せにし、地元の友人・中学時代の恩師に喜んでもらうこと 地元の子供たちにスポーツに触れられる機会をつくること」とあります。説明してもらえますか?
「僕は母子家庭で育ちました。それで大学まで行かせてもらったので、母への感謝の思いは強いです」

Q.母親に対する思いは学生のころから強かったのでしょうか?
「そうですね。母親が大変な思いをして育ててくれたので、プロになって恩返しをしたいという気持ちが強かったです。高校進学時も特待生ではなかったので、学費を払ってもらっていました。金銭的に迷惑をかけているという思いはあったのですが、母親は『お金のことは気にしなくていいから』と言ってくれて、高校・大学に行かせてくれました」

Q.実際、プロになることができました。一つ恩を返せましたね。
「はい。でも、まだまだこれからだと思っています」

Q.「地元の友人」とは?
「地元の友達の存在は大きいです。小学校・中学校と同じだった親友がいるんです。その友達はいろんなスポーツをやっていて、2人で切磋琢磨する関係でした。今でもしょっちゅう連絡を取り合っています。その友人に喜んでもらいたいという思いが僕の中の大きなモチベーションなんです」

Q.「中学時代の恩師」は?
「その方との出会いが自分の人生の分岐点になったと思っています。その方は現在メジャーリーグでプレーしている筒香嘉智さんのお兄さんで、中学時代に担任の先生だったんです。自分がサッカーをしていることを知ってくれていて、『普通の人間になるな』と言い続けてくれましたし、説教をされた時にも『お前はそんなことをしている場合じゃない』と言ってくれたんです。『お前は絶対にプロになれるから』とずっと言ってくれた人。だから、プロで活躍する姿をその方に見てもらいたいという思いを強く持っています」

Q.思春期の時は特に期待されることは大きな力となりますよね。
「今振り返ってみると、あの時の言葉はすごく大きかったと思います。思春期でいろいろ揺れる時期にそういうことを言ってくれたおかげで道を間違えずに済みました。本当に感謝しています」

Q.「地元の子供達にスポーツに触れられる機会をつくること」とありますが、地元というのは横浜のことでしょうか?
「僕は横浜の中でも外国人とのハーフの子が多く、母子家庭も多い地域で育ちました。その地域は家庭環境が厳しい子が多いんです。なので、そういう環境からでもプロになれるし、夢や希望を持って生きていけるということを僕が証明したいんです。自分ができることはスポーツで還元することなので、今後地元の子供達が夢を見てスポーツに取り組めるような機会をつくりたいと思っています」

【Vision】

Q.次に「Vision」について聞かせてください。「多くの人々の目標、憧れの存在となり、世の中に笑顔で頑張る人を1人でも増やしたい」ということですが、どんな思いの言葉でしょうか?
「今お話しした『地元の子供達』への思いもつながっています。自分自身、幼い頃にサッカー選手を見て『すごいな』と思ったので、自分もそういう存在になりたいと思い、Visionとして掲げさせてもらいました」

Q.住吉選手自身にとって希望を抱かせてくれる存在は誰だったのでしょうか?
「まず母親ですね。小さい時から『母親のために』と思っていましたので、その思いが一番のモチベーションでした。幼い頃は楽しくサッカーをしている感じで、好きなサッカー選手は特にいませんでした。でも、年齢を重ねるごとにサッカー選手のすごさに気づいて、『自分もこういう選手になりたい』と思うようになりました。特に海外の選手に憧れていましたね」

Q.子どもたちに夢や希望を与えられるスポーツの持つ力はすごいですよね。
「そうなれるように頑張りたいです」

【Value】

Q.「Value」では5つの項目を挙げています。1つ目は「目的のための目標を一つ一つクリアしていく」。
「夢をかなえるために何が必要か。たとえば、キックがうまくなりたければ、どういうキックの練習をすればいいのかを考えなければいけない。ただ、『なりたい』だけではダメで、そのために何をすればいいのかを設定することが大事なんだと思っています。なので、常に目標を設定して、一つひとつクリアしていくことを意識するようになりました」

Q.学生の頃からそういうことを考えていたのでしょうか?
「大学時代ですかね。難しい言葉のように思われますが、みんなやっていることですよ。目的から逆算して考えることです」

Q.住吉選手は大学までFWでプレーしていたんですよね。センターバックにコンバートされたのは「プロになる」という目的のためだったのでしょうか?
「FWでも、DFでも、プロになれると思っていました。ただ、DFは自分にとって新しいポジションだったので、DFとしてプロになるためにどうすればいいのかということはすごく考えました」

Q.コンバートは素直に受け入れられましたか?
「すんなり受け入れることができました。そこからはセンターバックとしてプロになることしか考えませんでした」

Q.2つ目は「目的、目標を具体的な言葉に変える」とあります。
「1つ目と似ていますが、練習の内容や意識などもっと細かく考えていかないとさらに成長することはできないということです」

Q.「言葉に変える」とは?
「キックでもどういうキックなのか。どういう場面でどういうタイミングのキックなのかを明確にして取り組むことですね。アバウトにしないことが大事だと思っています」

Q.次は「やるべきことは可視化、見える化して行動する」ですが。
「プロになってからはじめたことなのですが、今まではやるべきことを頭の中で考えて取り組んでいました。でも、頭の中で考えるだけでは忘れてしまうんですよね。なので、自分の場合は目標などをホワイトボードに書いて、目で見えるようにして、『これをやらなきゃ』と常に思えるようにしています。頭で考えるだけでなく、目で見る。それによって忘れなくなるんです」

Q.可視化するようになったきっかけはあるのですか?
「コロナの自粛期間中、自分を見つめなおす時間がありました。そこでそういうトライをしようと決めました」

Q.次は「大切におもったことをメモに記す」とあります。3つ目と似ていますね。
「それも同じですね。考えたことを忘れないようにすることが大事だと思っています」

Q.そして5つ目は「選んだ道を後悔しないように生きる」です。
「これを思うようになったのは10歳の時です。『20歳の自分へのメッセージ』を書くことになって、このような言葉を書いたんですよ。今までの人生で迷うことはありましたが、その度にあえて厳しい道を選んできました。大学進学時も国士舘大学が厳しいということは分かっていたのですが、そこに自分の足りないものを見つけられると思って選びました。後から『ああすればよかった』と思いたくはないので、その言葉にしました」

Q.自分で選んだからには後悔しないように努力しますよね。
「自分が選んだ道なんだから、どんな道でもそこに花を咲かさないといけない。そう思って生きています」

Q.印象的に住吉選手は身体能力を生かしたプレーが特長だと思っていますが、その裏には何事もアバウトにせず、一つひとつのプレーを細かく意識して取り組んでいることが分かりました。
「まだ足りないですけど、もっと意識して取り組んでいきたいと思います」

【スローガン】

Q.「スローガン」は「言葉を変えて未来を変える」という言葉です。どういう思いが込められていますか?
「大学時代に考えた言葉です。コーチから『センターバックでプロになりたいのか?』と聞かれたので、『なりたいです』と答えたら、『なりたいではなれないよ』と言われたんです。なので、それからは『なります』と言うようにしました。言葉を変化させることによって、自分にプレッシャーを与えることは大事だと思うんです」

Q.言葉を変えたことによって、意識は変わりましたか?
「変わりましたね」

Q.未来に向けて、今はどういう言葉を発信しますか?
「J1に行く。まずチームとして行くことが今の目標。誰に聞かれても、そう言うようにしています」

Q.ルーキーながらも今シーズン試合出場を重ねて手ごたえを感じているのでは?
「まだまだですね。でも、秋葉監督はすごくチャレンジする監督で、選手にもいろんなチャレンジをさせてくれる。それによって、プレーの幅が広がったと思っていますし、考え方も広がりました。自分を成長させてくれる監督と出会えたと思っているので、毎日充実しています」

【ⓒMITOHOLLYHOCK】

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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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