【新日本プロレス】『G1』連覇・飯伏幸太インタビュー!公式戦を振り返る!

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【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

今年の『G1 CLIMAX 30』で史上3人目の“2連覇”を達成した飯伏幸太。インタビュー後半は、『G1』リーグ戦を振り返りつつ、二冠王座戦への野望、さらに内藤哲也や棚橋弘至についても言及!!

撮影/タイコウクニヨシ

※以下、インタビューの「序盤部分」をSportsnaviで無料公開!

鷹木さんからは12年間、逃げてました。「この人は危ない」と思って逃げていて…。

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

――では、飯伏選手。『G1』公式リーグ戦も少し振り返りたいんですけど、初戦はオカダ選手に勝ち、2戦目はジェイ選手に負けてしまいましたけど、その後は順調に勝ち星を重ねてきました。

飯伏 ハイ。

――ただ、6戦目の鷹木信悟戦で敗戦して連勝がストップしてます。鷹木選手とは同い年の初対決ということで注目されましたけど、やはり思い入れがある試合でしたか?

飯伏 以前、鷹木さんたちと昭和57年会という集まりをやってましたけど、これまで本当に試合では絡むことがなかったんです。でも、「なかなか当たることがない」と思っていたのが、このタイミングでシングル初対決が実現したと。しかも、新日本プロレスという最高の舞台で戦えるということだったんで、やっぱり「絶対に負けたくない」という気持ちはありましたね。

――鷹木選手は、「飯伏を12年間追いかけていた。団体は違っても、常に仮想の相手として頭に入れていた」っておっしゃってましたね。

飯伏 鷹木さんとは、じつは2007年に一度ドラゴンゲートの大会で組んでるんですよ。その時からなんですけど……。逃げてましたね、鷹木信悟から。

――あ、鷹木選手から逃げてた?

飯伏 ハイ。12年間、逃げてました。「この人は危ない」と思って逃げていて……。じつは6年ぐらい前にも試合のオファーがあったんですけど、それも逃げて。実現したのが新日本プロレスだったということです。

――危ないと思って逃げ続けてましたか(笑)。じゃあ、一度組んでからはなるべく関わらないようにしていたと。

飯伏 ボクは逃げてました。でも、鷹木さんは本当に執念深いですからね。いざ対戦となったら、本当にその執念にやられたんでしょうね。

――その執念深さは感じました?

【新日本プロレスリング株式会社】

飯伏 もう鷹木さんのテンションというか、興奮は凄かったですよ。もちろんボクも興奮してましたけど、鷹木さんの興奮ぶりはもう……(笑)。ただでさえ、常にハツラツ感が凄いのに、もう燃え滾っちゃって。ちょっと怖かったですね。
 
――去年の『G1』での内藤選手vs鷹木選手との試合でも感じましたけど、やっぱり同い年の内藤選手や飯伏選手へのジェラシーというか、負けたくない気持ちは人一倍強いんでしょうね。

飯伏 その気持ちの部分に関しては、完全に負けてたでしょうね。

(鈴木戦は)ボクは7年前に抹殺されたから、今回は「抹殺してやろう!」と思っていたので、その通り実行しただけ

【新日本プロレスリング株式会社】

――あと、印象的だったのは第7戦の鈴木みのる戦で、これは壮絶な打撃戦になりました。

飯伏 鈴木さんは大先輩ですけど、おたがい格闘技をやってましたからね。ボクはキックボクシングをやっていたし、そういう雰囲気の戦いになったんじゃないかなと。これはこれで他の公式戦とは、べつの色の試合になったと思います。

――7年前にも『G1』で対戦されているんですけど、「7年前は抹殺された」とおっしゃってましたよね。前回の試合との違いはありましたか?

飯伏 ボクは7年前に抹殺されたから、今回は「抹殺してやろう!」と思っていたので、その通り実行しただけですね。

――抹殺する気マンマンでいきましたか。

飯伏 ええ。自分の得意分野である打撃で戦おうと。前回の試合は鈴木さんの土俵に乗ったというか、乗せられた感じですよね。でも、今回はコッチ側に引っ張り込めた感じがしました。

(タイチ戦は)「ここまで来たら最後まで蹴りだけでやってやろう」という感じでしたからね。ただ、ボクは最後にちょっとズルしましたよね。ヒザを使ったので

【新日本プロレスリング株式会社】

――そして、優勝決定戦進出の懸かった最後の公式戦、タイチ選手との試合は、鈴木戦の流れを継ぐような、これまたとんでもない試合になりました。

飯伏 フフフ。そうですね。左足がやばかったです。

――この試合の前、いろいろとリング上で事件が起きていたじゃないですか? あれはご覧になってました?

飯伏 あ、(ウィル・)オスプレイの裏切りですか? ウォーミングアップしながらですけど、ギリギリ見てました。

――オーカーン選手も入ってきたりして、会場が凄くザワザワしていたので、非常にやりにくい状況だったと思うんですけど。

飯伏 だからこそ“ああいう試合”になったんじゃないかなと。わからないですけど、おたがいそんな気持ちだったのかもしれないですね。ただ、新日本では蹴る選手って少ないじゃないですか? もうあの日は蹴りだけで行こうと思っていましたね。

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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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