【新日本プロレス】史上3人目の快挙!『G1』2連覇を達成した飯伏幸太に直撃!

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【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

史上3人目の快挙!今年の『G1 CLIMAX 30』を優勝し、2連覇を達成した飯伏幸太。初の“秋”開催、そしてコロナ禍での『G1』をゴールデン☆スターはどう闘い抜いたのか? 直撃インタビュー(前編)!

撮影/タイコウクニヨシ 

※以下、インタビューの「序盤部分」をSportsnaviで無料公開!

去年のケガのことを考えても、今年のほうがキツかったと思いますね。それはやっぱりいまが“こういう状況”だからなのかなって

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

──さて、飯伏選手。『G1』優勝決定戦の翌日ということで、さぞかしお疲れだと思うんですが……。

飯伏 ええ。疲れてますね。さすがに……、さすがに疲れてます(苦笑)。

──というのも、表彰式の最後で、銀のテープがパーンと発射されたじゃないですか? あの時、崩れ落ちるようなシーンがありましたよね。

飯伏 あ、そうでしたか。

――あれは、マスコミ各社がいい写真を撮ろうと狙いすますタイミングなんですけど、あの場で座り込まれていたので、「コレは相当に疲れているんだろうな」と思ったんですよ。

飯伏 いやー、本当に立ち上がれなかったですね。力尽きたし、出し切った。そのまんまです。

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──『G1』開幕前には、「昨年の『G1』がキャリアの中で一番キツかった」というお話をされていましたが、そこと比べて今年は?

飯伏 今年は前哨戦がなかったですし、去年のほうが試合数自体は絶対に多いんですよ。だから、去年のほうが確実にキツいはずなんですけど……、なぜか今年のほうがキツかったです。

──去年の『G1』は開幕戦のダラスで足首のケガをされたじゃないですか? それを考えると去年以上のキツさってないような気もするんですけど。

飯伏 いや、去年のケガのことを考えても、今年のほうがキツかったと思いますね。それはやっぱりいまが“こういう状況”だからなのかなって思うんですよ。

──このコロナ禍の特殊な状況なのが大きかった。

飯伏 ハイ。じつは、これまでボクはあんまりそこは感じていなかったんですよ。無観客でやってた時も普通にプロレスができてたし、「お客さんがいてもいなくても変わらない」人間なのかと思って、実際にやってこれてたんですね。でも、やっぱりどっかで影響が出ているのかなと。たとえば回復力……、コレは肉体的な回復力じゃない部分の精神的な回復力ですね。それって声援をもらって回復する部分なのかなとか。そういうことを考えましたね。

──『G1』は年間で一番過酷なシリーズとして知られていますけど、そのぶんお客さんの声援や盛り上がりも凄い。そのお客さんの作る空気が選手の力にもなる。それがなかったのも要因でしょうか。

飯伏 そうですね。拍手の応援はあるんですけど、今年は声を出せなかったんで、そこは公式戦であっても優勝決定戦であっても変わらない状態ですよね。「これに勝てば優勝決定戦に行ける!」という試合でさえも、一つの公式戦のような感覚だったので、例年とは違いましたね。

──ただ、今年は秋開催ですし、例年の真夏での開催よりもコンディション的にはラクなのかなとは思っていたんですけど。

飯伏 たしかにコンディションは、去年よりもあきらかに良かったんですよ。個人的にはシッカリ肉体改造もしてきたし、季節的にも暑くないし、絶対に条件はいいはずなんです。ところが今年のほうがキツかった……という謎の感覚が残りましたね。

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──では優勝決定戦を振り返っていただきたいんですけど、代表が決まった後のコメントでは「ひさびさに内藤哲也とやってみたい」ともお話されていましたが、SANADA選手が出てきたのはどう思われました?

飯伏 「なるほど、そっちが来たか……」っていう感じですね。まあ、SANADAさんとやるのは1年ぶりぐらいだと思うんですよ。

──お二人の対戦は、初対決が2018年長岡大会での『G1』公式戦で、SANADA選手が勝利。2019年は後楽園大会の『G1』公式戦で飯伏選手が勝っていますが、それ以来でしたね。

飯伏 その間の1年以上、ほぼ絡みがなかったんですよ。たぶん、SANADAさんはタッグでも当たってないぐらいほとんど触れてないんですよね。しかも、今回は公式戦のない日は大会に参戦してなかったので、SANADAさんとはブロックが違ったから1カ月近く顔も会わさなかったし、試合も観ていないんですよ。そういう状況で1年ぶりのシングルマッチだったんで、なんか違和感というかヘンな感覚もありましたね。

──なるほど。

飯伏 SANADAさんそのものを長く見てないというか、もちろん『新日本プロレスワールド』とかでは見てるんですけど、生で見るのとはまた違いますからね。ちょっと変な感じがしました。

──それもあって、最初は少し感覚がうまく掴めなかったところもありますか?

飯伏 まったく掴めてなかったですね。そこはいろんなものが重なって、「掴めなかった」んだと思うんですよ。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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