梅田透吾インタビュー 前編「身も心もボロボロになった世界大会、模索した“自分なりの勝ち方”」【アプリ期間限定無料公開】

清水エスパルス
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10月24日〜11月2日期間限定でプレミアム会員コンテンツの一部を無料公開! キャンペーンに伴い、ユーザーの皆様からご好評いただいた過去記事より、4月に掲載した梅田透吾選手のロングインタビューを再掲載いたします!

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〜「身も心もボロボロになった世界大会、模索した“自分なりの勝ち方”」梅田透吾インタビュー 前編〜

あの日の朝も、梅田透吾はいつもと同じ時間の電車に乗って学校へ向かった。清水西高校へは最寄りの静岡鉄道静岡清水線・桜橋駅から徒歩10分程度。いつもと同じペースで歩いて行けば、少し余裕を持って定刻までに登校できるはずだった。

しかし、明らかに足取りが重い。視界もぼんやりとしている。周りの生徒が早々に校門を通っていく様子も目に入っておらず、自分だけがポツンと取り残されていることにも気づいていなかった。

学校に着くと、普段なら何でもない階段を上がることさえ、体が重くてしんどい。遅刻しながらも何とか教室までたどり着いた梅田は、思った。「俺、もう終わったな」

異変を自覚したのは、直前まで参加していた『FIFA U-17ワールドカップ』からだった。それまで年代別代表の招集経験はなかったが、高校2年の10月にインドで開催された同大会のメンバーにサプライズ選出され、グループステージ第3戦のニューカレドニア戦(1-1のドロー)に出場した。国内で地道に結果を残し、世界の舞台へ。傍から見れば、羨ましがられる“シンデレラストーリー”の主人公のようだ。だが、急激な環境の変化や味わったことのないプレッシャーは、ストレスとして梅田の心に蓄積していた。

「初めての年代別代表がW杯という大きな舞台。選んでもらったことは素直にうれしかったし、感謝しています。ただ、チームメイトは久保建英(現マジョルカ)とか、同年代のスーパーな選手たちばかりで、こっちはもう、気が気じゃないんですよ。メチャクチャ緊張したし、練習内容もハードで、遠征中はずっと体もメンタルもキツかったんです」

日本のベスト16敗退に伴い帰国すると、2日後には『Jユースカップ 第25回Jリーグユース選手権大会』のV・ファーレン長崎U-18戦が控えていた。前日練習の時点で、梅田はかつてないほどの疲労を感じていたが、「長崎戦が終われば次の日はオフだったので、そこで休めば、何とかなるかな」と判断し、平岡宏章監督とも話し合った上で長崎戦に強行出場。体は重かったものの、4-0の完封勝利に貢献した。

だが、1日のオフを挟んで迎えた火曜日。疲労が抜けるどころか、体のだるさは増していた。ついに耐えきれなくなった梅田は、練習を途中で抜け、トレーナーに症状を訴えた。

「なんかもう…疲れちゃったというか、『無理だ』って思っちゃったんです。練習したくなかったし、これ以上、自分を追い込むのもツラかった。『もう、サッカーをやりたくないです』って伝えました」

それから梅田は1カ月ほどピッチを離れた。学校には通い、練習場にも顔を出していたが、クラブハウス内にとどまって練習を全く見ないまま帰る日もあった。オーバートレーニング症候群が疑われ、病院で検査も受けた。結局、検査の結果では明らかにならなかったものの、身も心もボロボロだった。

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〜最優先事項は「ピッチに立ち続けること」〜

年代別代表から一転、サッカーに対するモチベーションさえも失いかけていた梅田に救いの手を差し伸べたのは、2018シーズンからエスパルスユースのGKコーチに就任したアダウト氏だった。同氏が梅田のプレーを初めて見たのは2016シーズン、当時高校1年生だった梅田がトップチームの練習に参加した時のことだ。ボールタッチやフィーリングの上手さに目を惹かれ、ポテンシャルの高さに驚いたことを鮮明に記憶していた。

「一番気をつけないといけないのは、彼の才能を潰してしまうこと」

そう考えたアダウト氏はまず、梅田とじっくり話をした。前年に起きた体の不調について。それからプロ入りへの意欲を改めて確認し、こう伝えた。「3年生はトップチーム昇格が懸かった大事なシーズン。1年間をとおして試合に出られるように僕も協力するから、あなたもそれを目指してほしい」と。

2人の共通認識として、最優先事項は「ピッチに立ち続けること」。そのためにアダウト氏は細心の注意を払って指導にあたった。

「彼はとても誤解されやすい選手です。なかなか感情や闘争心を表に出さないので、周りから『やる気があるのか?』と言われてしまうこともあります。ガツガツと気持ちを全面に出すタイプの選手と比べたら、彼が手を抜いているように見えてしまうのかもしれません。だけど、彼なりに精いっぱいやっているから、それ以上を求めるとケガにつながってしまう。追い込んだほうが伸びるタイプの選手もいますが、彼の場合は違うと僕は思っています。もちろん、ただ甘やかすのではなく、彼を伸ばしたい気持ちもあるので、限界の一歩手前を見極めることが大事。彼の場合、負荷が大きい練習をしていると、少しだけ表情が変わる時があるんです。そういう時は、少し休ませる。そのバランスを大事にしています」(アダウト氏)

アダウト氏の繊細な気配りによって復活を遂げた梅田は、その年の夏、『日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会』で大会MVPを受賞。チームを16年ぶりの全国制覇に導いた。また、シーズンをとおして高いパフォーマンスを維持し、同年10月にトップチーム昇格が発表された。

ところが、晴れてプロになった翌シーズンは、再び苦悩の時を過ごした。「アピールしなければならない」という焦りから、自らを追い込みすぎてしまい、約1年の半分近くをケガで棒に振った。

「1年目だし、まだプロの世界を何も分かってないから、とりあえず言われたことは全部やろう、先輩がやっている練習はやらなきゃいけない、と思いながらやった。そうしたらケガが続いてしまって…。試合も出てないのに離脱するなんて、自分でも『何やってるんだろう』ってすごく不甲斐ない思いをしました。自分が周りのレベルについていけないだけなので申し訳ないですけど、でも、ケガをしてしまったらアピールも何もできない。だったら今シーズンは、ちゃんと自分を守ろうと思いました」

奇しくも今シーズンからアダウト氏がトップチームのGKコーチに復帰し、再び師事することとなった。2人で立てた誓いは、2年前と同じく「ピッチに立ち続けること」。2年前の成功体験が、2人の信頼関係を強く結んでいる。

「時々、他のスタッフから『あなたは梅田を守りすぎ』って言われてしまうこともあるんですよ(苦笑)。僕も、彼への接し方がこれで正しいかどうかは分かりません。でも、彼のことはとても信用しています。まだ若いですから、これから大人になって少しずつ気づくこともあるでしょうし、僕がついていても、壁にぶつかってしまうこともあるかもしれない。だけど、そういう時にまたサポートをしてあげたいと思っていますし、せっかく良いものを持っているのだから、それ大事にしないと。僕にとっては大変でもありますけど、指導する甲斐のある、とても面白い教え子の一人です」(アダウト氏)

西部洋平、大久保択生のベテランGK2人がケガで長期離脱を強いられるなか、3月28日に行われたジュビロ磐田との練習試合で梅田は3、4本目に出場。90分間ピッチに立ち続け、無失点に抑えた。「楽しかったし、やっぱり完封は気持ちが良い」。ピッチの上でしか味わえない充実感をかみ締めながら、無限の可能性を秘めた19歳が笑顔を覗かせた。

後編につづく

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著者プロフィール

チーム名の「S-PULSE」は、「サッカー・清水・静岡」の頭文字Sと、サッカーを愛する県民、市民の胸の高鳴りとスピリットを表現するため、英語で「心臓の鼓動」を意味するPULSEを組み合わせて名付けられました。 1993年に「オリジナル10」の一つとしてJリーグ開幕を迎え、クラブの歴史がスタートしました。 こちらのサイトではチームや試合、イベントなど様々な情報をお届けいたします

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