【新日本プロレス】5年ぶり『G1』出場! いま高橋裕二郎は何を思うのか?

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社】

ただいま各地で開催中の『レック Presents G1 CLIMAX 30』。今回、じつに5年ぶりに出場を決めたのが高橋裕二郎。

エントリーから外れていたこの5年間、いったい何を考え、そしてこれから何をしようとしているのか? 最前線に戻って来た裕二郎に直撃ロングインタビュー!

※このインタビューは『G1』開幕前に、リモートで収録。
※一部写真提供/高橋裕二郎

※以下、インタビューの「序盤部分」をSportsNaviで無料公開!

俺の『G1』出場への観客の反応は「まさか裕二郎が?」っていう驚きで、それ自体は喜ばしいことじゃないと思ってる

【新日本プロレスリング株式会社/高橋裕二郎選手】

――さて裕二郎選手、先シリーズの開幕戦から、バックステージで『G1 CLIMAX』出場をアピールしてきましたが、いざ9.9仙台で出場選手としてご自分の名前がアナウンスされたときのお気持ちは?

裕二郎 いや、正直なことを言うと、自分で出場アピールしといてなんだけど「コレ、マジ?」って思ったよ(笑)。

――ご自分でも驚いた、と。

【新日本プロレスリング株式会社】

裕二郎 俺はあの発表直後に試合だったから、バックステージで待機してたんだけど、自分の名前が呼ばれたのを聞いてうれしくてうれしくて、入場のときにいつも以上にニヤニヤしてたよ。

――うれしさを隠しきれなかったと。裕二郎選手の名前が発表されたときは、会場の拍手も一際大きかったですし、今回の注目株の一人というか。

裕二郎 ただ、そういう反応があったのは、単純に「意表をついてた」ってことなんじゃないの? 「まさか裕二郎が?」っていう驚きであり、それ自体はけっして喜ばしいことじゃないなと俺は思ってるけど。

――でも、今年は7月に勃発したオカダ・カズチカ選手との抗争で存在感を示したというか。7.25愛知のシングルマッチで敗北を喫するも、オカダ選手から「今日の裕二郎さん、最高的に魅力的でした」という言葉もありました。

裕二郎 まあ、あのオカダがコッチを向いたし、「これは使える」と思ったから「ひさびさに『G1』出場をアピールしてみるか」っていうのはあったよ。

【新日本プロレスリング株式会社】

――アピールポイントとして使えるなと。

裕二郎 とは言え、『KOPW』の一回戦(8.26後楽園)で、俺はオカダに1vs3のハンディキャップで負けてるし、「三人で勝てなかったのに、よく『G1』に出られるな」と我ながら思ってるけど。でも、あのときは最後にフォールを取られたのが外道さんで、自分が直接負けてないのがよかったのかもな。

――さすがに自分がフォールを取られてたら、出場は微妙だったんじゃないか、と。

裕二郎 『KOPW』はファン投票でオカダのルールが採用されたけど、こっちが要求してたルール(ランバージャックwithレザーベルトデスマッチ)で万が一負けてたら、『G1』に出られなかったかも知れないし。そう考えると、自分に運が向いてきてるのかなって

――今回の『G1』出場を冷静に分析されてるわけですね。

裕二郎 そもそも、俺が今年やったシングルなんて、オカダ以外だと『NEW JAPAN CUP』一回戦の後藤洋央紀戦くらいで、そこでも負けてるからさ? 誰が『G1』の出場メンバーを決めてるのか知らないけど、試合内容を評価してもらったのかもしれないな。

『G1』に出られなくてもBULLET CLUBの中でポジションがあったから、ここまでやってこれたのは間違いない

【新日本プロレスリング株式会社】

――裕二郎選手は『G1』には2010年から2015年まで連続出場しますが、16年に選考から漏れました。あのときはやはりショックでしたか?

裕二郎 まあ、驚いたよね。あの年も普通に「今年も『G1』の季節が来たか」ってタカをくくってたら、名前が呼ばれなくて。まさか自分が出られないとは思ってなかったから……。
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

新着記事

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント